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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 飼い猫が死んだ。恋人は悲しんだ。
 主に、恋人がかわいがっていた猫だった。拾って来たのが十五年前、僕らは大学で知りあったばかりのころだった。ばっかだなおまえ、学生の身分でアパート暮らしの身分で、そんなの拾ってきてどうすんだよ、と僕は言った。恋人(当時は恋人ではなかった)は「黙ってりゃ分からないだろ」と言って、猫にミルクを与えたり、排せつ物の世話をしたり、一緒に寝たりしていた。子猫は元気に育った。おおよそ一歳を迎えるころになって、大家にようやくばれた。だから言っただろ、と僕は言った。恋人は(そのころには恋人になっていた)はにかんで、おまえんちで飼ってよ、と言った。僕が暮らしていたのは祖父の生前の持ち家で、学生生活には贅沢に一軒家でひとり暮らしをしていた。
「おれも一緒に住んでいい?」
 それから僕らの同居生活がはじまった。猫一匹と男ふたりの生活。
 猫は、室内飼いにしておくつもりで、いったん外の楽しさを知ってしまったらどこへでも散歩に出かけるようになった。毛並みの鮮やかな、茶と黒と白の三毛猫だった。生活費はふたりで折半したからだいぶ余裕があったものの、動物まで飼うとなると、あまり贅沢は出来なかった。学生生活はそんなんで終わった。お互いに就職しても、祖父の家を出なかったから、仕事を始めてからはだいぶ楽になった。経済的な、という意味だ。仕事のストレスは、どうしようもなかった。学生のころには想像もつかないようなくだらないことで喧嘩して、恋人が家を出て行ったり、あるいは僕が友人の家に居ついたりするときもあった。そのたびにどちらかがどちらかの好物のスイーツだの惣菜だのを携えて、迎えに行ったり、謝りに来たりで、仲直りをした。もう怒っちゃいないさ、という意味で、ハグをしたりキスをしたり、身体を求めあったりもした。
 それを猫は全部見ていた。
 十五年分の僕らを見ていた。

 十五年も経てば世間は変わるというものだ。とりわけ、ここ最近はめざましいように思う。二つ折りのプッシュボタン式だった携帯電話は、タッチパネル式のスマートフォンに変わった。人工知能がプロの棋士に勝ったり小説を書いたりする夢みたいな時代だ。それになんと言ったって、こんな国で、同性同士で結婚と同等の権利が認められるようになった。まだごく一部でだけれど。LGBTという言葉がニュースで一般的に扱われるようになった。僕も職場で、カミングアウトをした。パートナーがいて、その人は男性です、と。上司は表情を曇らせたりもしたが、「これも時代かな」と呟いた。同僚らは、いつも通りだった。その、なんと幸福なことか。
 一方で恋人は、追い詰められていた。彼はフリーランスのイラストレーターで、会社勤めの僕とは違う人とのつながり方をしていた。理解を示してくれる人もいれば、気持ち悪いと思う人もいたようだ。もうあなたとの仕事はこれっきりにしてくれ、と言われたことがあって、それが相当に堪えたらしかった。僕は「僕の収入があるし、貯金もあるんだからさ。しばらく仕事しないでゆっくりしたら」と言った。これも恋人の気に障った。好きなことを仕事にしてしまったような人だったから。仕事をしないことは、人格の否定に繋がってしまうぐらいに、彼は仕事を愛していた。
 落ち込んでいた恋人を、猫はじっくりと癒した。だが誰も老いには勝てないのだ。猫は、次第に痩せていった。トイレトレーニングはしっかりと行っていたはずだったのに、僕や恋人の布団で粗相をするようになった。首が下がり、喉を詰まらせることが多くなった。カリカリ餌からやわらかな缶詰に切り替えたが、最期の方は水さえも飲めなかった。
 弱った体で、暗がりへ、人のいない方へと行く猫。恋人がそれを発見して、おまえの居場所はここだよ、と膝の上に載せた。もう頭を撫でてもごろごろと喉を鳴らす元気さえない。それでも恋人は猫を抱き、撫でた。
 猫は、寝たきりになって、なにも食べられなくなって、その三日後に息を引き取った。深夜、なにかに呼ばれたような気がして僕は起きた。恋人は枕を抱いて寝ていた。毛布を敷いたゲージを覗いてみると、猫は微動だにしない。触れてみる。冷たかった。まだ死後硬直はなかったので、息を引き取った直後だったのだと思う。
 そうか、逝ったか。僕は悲しくなかったし、泣かなかった。僕の実家は父の代で畜産業に転じていて、ゆえに動物の死はとても身近で、ごくありきたりなことだった。
 自然死してくれたのが良かったと思った。その分長く一緒にいられて、こうして看取れた。事故死だったら、さすがに僕も参ったと思う。
 恋人を起こすかどうか迷って、起こさなかった。明日の朝、悲しいことは明日の朝でいい。それまでどうか夢も見ないほど安らかにおやすみ、と願った。
 細い月が中天にのぼっていた。

 そして恋人は泣いた。
 呻き、身体を折り、座りこみ、すすり泣いた。恋人にとって壮絶な別れを、僕は肩を支えることでなんとか慰めようとした。亡骸は、結局庭木の下に埋めた。ペット火葬場へ持って行ってお骨にしてもらったものを、椿の木の下に埋めた。
 恋人は憔悴しきった顔で、「もう猫なんか飼わない」と言った。
「どうして?」
「死んでしまうから」
「当り前だ、死ぬさ。さかさまを言えば、僕ら飼い主は飼い猫より先に死んではいけない。そのいきものが、突然路頭に迷うことになるから」
 恋人は黙ったが、また「だから猫なんか飼わない、って言っているんだ」と繰り返した。
「ばかだな」
 おいで、と言って、僕は恋人の手を引いて、そのまま手をつないで縁側へ腰かけた。
「僕らいまいくつだ?」
 僕の問いに、恋人は「三十五歳」と答える。
「まだ三十五歳さ。次の猫を飼って、その猫が十五年生きたとして、そのときは五十歳だ。それからまた次を飼ったら、六十五歳、その次も飼うと決めたら、おお、八十歳だ」
「……その数だけ別れなきゃならない、って言ってんの?」
「違う、その数だけ出会うんだ。その数だけその猫と月日を共にするんだ。……十五年前、そんな顔させたくて僕は『ばかだな』って言ったんじゃないぜ」
 生きているものには、寿命があって、これは逃れられない。寿命を全うできることがすべての生物に当てはまるとは言えないから、別れの悲しみは、もっとたくさんある。猫は死んだ。僕も明日死ぬかもしれない。恋人だって、分からない。
 だからって、別離の悲しみに怯えてしまうから、生きていたくないだなんて、言えるだろうか? 動物は死ぬから飼いたくない、という気持ちは、分からないわけではない。けれど看取ること。それは納得のいかないものごとを、広い心で受け止めることだ。折り合いをつけることで、人は一歩、前へ進む。なにかの死はきっと、多分、そんなに悪いことばかりじゃない。
 死を受け入れて、僕らは生きている自分を実感する。息を吸い吐きしている、温かい血液の通う身体を。悲しむことさえ愛しい心や、その日々を。
「また猫を飼おう」
「……」
「無理に、いますぐに、とは言わないけど、でも、飼おう。おじいちゃんになって、もう猫を看取れない、っていう限界の年齢まで。もちろん僕らは、それまで添うんだ。どっちかが欠けたりしたらだめだ。一緒に、猫を飼おう」
 恋人は、顔をくっしゃくしゃにして、それを腕で覆い隠して、必死で涙をこらえていた。僕はその肩を背後から腕をまわして抱きしめる。恋人は僕の肩にすがるようにして、顔を押し付けてきた。
 こうして生きていること。きみの体温、僕の体温。
「また猫を飼おう。猫のいる世界に生きているんだから」
 きみの胸はまだ痛いままでいい。今日のところは。
 僕がついている。きみの背を、抱ける。



End.



拍手[61回]

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nさま(拍手コメント)
いつもありがとうございます。
なにかの死というものは、それとの関係性にもよりますが、やはり淋しいものですね。私自身もここ数か月で縁のある人や動物の死を続けて体験しましたので、このような物語となりました。
ですが生活と地続きなのだと思います。nさんもどうかあまり気を落とされないよう、そしてご愛猫のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
文中、最後に「僕」が言っている「猫のいる世界に生きているんだから」は、つくづく不思議なものだな、と思いながら書いた台詞です。nさんをはじめとする、猫をかわいがる方に届くといいなと思っています。
「出会えて幸せです」とあったので、嬉しかったです。また次回をお楽しみに。ありがとうございました!
粟津原栗子 2016/04/12(Tue)21:24:08 編集
憧憬さま(拍手コメント)
いつもありがとうございます。
まずは、ご愛猫のご冥福を心よりお祈り申し上げます。20歳とは、大往生された猫だったのでは、と思います。ですが20年も連れ添ってしまうと、20年間当たり前に傍にいたものがいなくなってしまうのですから、その喪失感というものはとてもよく分かります。
今回の物語はすべての愛猫家の方に捧げる、という趣旨ではありませんが、ひとりでも多くの読み手の方、とりわけ猫をかわいがる方に伝わるといいなと思っています。心のもやもやはなかなか晴れないかもしれませんが、私の書いたもので少しでも和らぐことが出来ていたとすれば、作家冥利に尽きるというものです。
こちらこそ、読んでくださってありがとうございました。
粟津原栗子 2016/04/13(Wed)09:00:11 編集
Lさま(拍手コメント)
いつもありがとうございます。
Lさんの仰る通りだと思います。生きているということは、なにかの死と出会わなければならないことです。
時間薬、これも大事なことですね。これも私はひとつの「折り合い」なのだと思っています。その準備が出来るまで、しばらくは、ということは、必要です。
そしてポジティブ思考とネガティブ思考の行きつく先は同じなのだと思ったら、少し笑ってしまいましたw
そう考えると、やはり「恋人」には猫を飼うことを諦めてほしくないなと思います。
拍手・コメント、ありがとうございました!
粟津原栗子 2016/04/14(Thu)09:05:44 編集
Re: nさま
コメントをありがとうございます。励みになります。
読み方、受け取り方は人それぞれですので、それぞれの解釈でよいのだと思っています。それよりもnさんに変化が起きたであろうことが嬉しいです。
「猫のいる世界」ですので、またいつかnさんが猫を存分に可愛がられる日が来るといいな、と願っております。
コメントありがとうございました!
粟津原栗子 2016/04/14(Thu)09:17:42 編集
fumiさま(拍手コメント)
読んでくださってありがとうございます。
fumiさんは犬を飼っていらっしゃるのですね。猫の話ですが、動物を飼う方にはよく分かっていただける話なのではないか(あるいは、動物を飼っている方に届けばいい)と思って書いた物語ですので、届いたようで、ほっとしております。
どの動物も、喋ってはくれないので幸せかどうかは分からないんだよね、と私の友人が言っていました。ですがfumiさんのご愛犬は大切にされている様子が伝わってきて、こちらまで嬉しくなりました。一日でも長くご愛犬との大切な日々を過ごせるように祈っております。
拍手・コメント、ありがとうございました!
粟津原栗子 2016/04/14(Thu)09:26:32 編集
はるこさま(拍手コメント)
いつもありがとうございます。
「くだらないの中に」は私も聞きます。はじめ聞いたときは冒頭の歌詞に驚きましたが、良い曲ですよね。そんな歌と重ね合わせていただけて、光栄に思います。
いろんなことに忙殺されて、いろんなことがおざなりになる毎日の中で、出来れば丁寧に暮らしたいな、というのは私自身の思いでもあります。なので、はるこさんのコメントとても嬉しかったです。
寒かったり暑かったりしていますね。はるこさんもどうぞ、お体ご自愛くださいね。
拍手・コメント、ありがとうございました。
粟津原栗子 2016/06/03(Fri)07:21:58 編集
プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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