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「朝喜(あさき)と名前をつけたのよ。だってこんなに喜ばしい朝はなかったんだから」
と母はよく言っていた。それは僕に語るよりは、自分に言い聞かせている風があった。そう信じたかったのかもしれない。
母は、僕をとてもかわいがった。猫かわいがりに近かった。都合のよいときだけすり寄って来て、頬を寄せて「あんたは世界一かわいい子」と囁く。僕を育てたのは主に祖母だった。祖母は厳しい人で、座り方立ち居振る舞い、箸の持ち方から礼儀作法、なにもかもを僕にしつけた。この、祖母の厳しいしつけが耐えがたくなると、母の元へ行った。母は母屋からは廊下を渡った先の離れにいて、自室ではよく歌をうたっていた。折り紙を星形に切って部屋の壁という壁に貼り付けたり、飲酒をしながら風呂に浸かっていたりと、自由に過ごしていた。そこへ僕が顔を出す。母はにっこりと笑って、「どうしたの、朝喜」と腕を広げて僕を迎え入れてくれる。「どうしたの、かわいい子。そんなに泣くなんて」ととろけた声で僕を抱いて、なにかを歌ってくれる。たいていは映画の主題歌だった。それも母が昔見たものなので、僕にとってはなにを歌われているのかさえ分からないような曲だったが、いつも同じ曲ばかりだったので、母の声音で覚えてしまった。
「朝喜、朝喜、かわいい子」と、母は僕に頬ずりをする。
母の不幸は、その美貌にあった。とんでもない田舎で、オールドタイプのファッションを良しとして、大した店もない駅前通りを繁華街と言って、どこか土くさい顔立ちの女たちが集う中、母だけは正真正銘、ため息が出るほどの美少女だった。高い鼻すじ、くっきりとした瞳、唇はふっくらとまるく、スレンダーな身体つきはそこらへんのただ痩せた女たちとバランスが違った。やはり母も厳しい祖母にしつけられたおかげで最低限はふるまいが身についており、その身のこなし方や仕草もまた、男たちを虜にした。清楚なお嬢さん、という風ではなかった。むしろその逆で、いつも仏頂面だったし、男女構わず他人には冷たくあしらった。彼女の興味の先は、たとえば春の発芽、花のひらき方、南風のにおいなど、自然に関することだった。感受性が高く、しかしそれはあまり表に出なかった。クールな美少女。そこが最大の魅力だった。彼女はやがて絶世の美女へと自然に移行していく。
彼女は、二十六歳のときに、男に強姦された。相手は小学校からの同級生で、いわゆる幼馴染、ずっと母のことが好きだったらしい。母はそのたびに相手にしてこなかったのだが、ある日酔った勢いで自宅に侵入され、離れで、彼女は犯された。男は泣きながら「好きなんだ、好きなんだよ××ちゃん」と繰り返し、腰を突き動かした。母は全力で抵抗した。男の肌に爪を立て、泣き叫んだが、タイミングが悪く、誰も助けは来なかった。
不幸はこれにとどまらない。母は男の子どもを妊娠してしまった。
これをきっかけに、母は心の調子を一気に崩した。よくも僕を産んだものだと思う。よくも「朝喜」なんて名前をつけられたものだと思う。僕は生まれてはいけないはずの子どもで、でも母に、愛されて生まれた。
そんな男の子ども、おろしなさい、と言ったのは祖母だと聞く。心を乱しながらも、母はそれを頑として受け入れなかった。ただし、子育ては到底できなかった。祖母に助けを借りるほかなく、母はやがてアルコールに溺れるようになった。
幸なのか不幸なのか、僕は父とされる男に全く似なかった。
母の美貌をそれなりに受け継いで、強すぎる感受性のおかげでまともな職に就けず、おまけに自分は男が好きな男なのだと自覚したときの、めまい、絶望に近いもの、あれらには相当苦しめられた。ゲイだということは祖母には告げられなかったが、母には告げた。母は酒に溺れながらも、とろんとさせた瞳を僕に向けて、「良かったじゃない」と言った。
「あんたは間違っても、女を泣かせちゃあだめよ」
いい子ね、優しい子。彼女は呆けたようにそれを繰り返した。実際、呆けていたんだと思う。
そして僕は今年三十歳になった。
母もまた歳を取った。アルコール依存で身体はぼろぼろ、彼女はもうこの先、長くない。
→ 後編
と母はよく言っていた。それは僕に語るよりは、自分に言い聞かせている風があった。そう信じたかったのかもしれない。
母は、僕をとてもかわいがった。猫かわいがりに近かった。都合のよいときだけすり寄って来て、頬を寄せて「あんたは世界一かわいい子」と囁く。僕を育てたのは主に祖母だった。祖母は厳しい人で、座り方立ち居振る舞い、箸の持ち方から礼儀作法、なにもかもを僕にしつけた。この、祖母の厳しいしつけが耐えがたくなると、母の元へ行った。母は母屋からは廊下を渡った先の離れにいて、自室ではよく歌をうたっていた。折り紙を星形に切って部屋の壁という壁に貼り付けたり、飲酒をしながら風呂に浸かっていたりと、自由に過ごしていた。そこへ僕が顔を出す。母はにっこりと笑って、「どうしたの、朝喜」と腕を広げて僕を迎え入れてくれる。「どうしたの、かわいい子。そんなに泣くなんて」ととろけた声で僕を抱いて、なにかを歌ってくれる。たいていは映画の主題歌だった。それも母が昔見たものなので、僕にとってはなにを歌われているのかさえ分からないような曲だったが、いつも同じ曲ばかりだったので、母の声音で覚えてしまった。
「朝喜、朝喜、かわいい子」と、母は僕に頬ずりをする。
母の不幸は、その美貌にあった。とんでもない田舎で、オールドタイプのファッションを良しとして、大した店もない駅前通りを繁華街と言って、どこか土くさい顔立ちの女たちが集う中、母だけは正真正銘、ため息が出るほどの美少女だった。高い鼻すじ、くっきりとした瞳、唇はふっくらとまるく、スレンダーな身体つきはそこらへんのただ痩せた女たちとバランスが違った。やはり母も厳しい祖母にしつけられたおかげで最低限はふるまいが身についており、その身のこなし方や仕草もまた、男たちを虜にした。清楚なお嬢さん、という風ではなかった。むしろその逆で、いつも仏頂面だったし、男女構わず他人には冷たくあしらった。彼女の興味の先は、たとえば春の発芽、花のひらき方、南風のにおいなど、自然に関することだった。感受性が高く、しかしそれはあまり表に出なかった。クールな美少女。そこが最大の魅力だった。彼女はやがて絶世の美女へと自然に移行していく。
彼女は、二十六歳のときに、男に強姦された。相手は小学校からの同級生で、いわゆる幼馴染、ずっと母のことが好きだったらしい。母はそのたびに相手にしてこなかったのだが、ある日酔った勢いで自宅に侵入され、離れで、彼女は犯された。男は泣きながら「好きなんだ、好きなんだよ××ちゃん」と繰り返し、腰を突き動かした。母は全力で抵抗した。男の肌に爪を立て、泣き叫んだが、タイミングが悪く、誰も助けは来なかった。
不幸はこれにとどまらない。母は男の子どもを妊娠してしまった。
これをきっかけに、母は心の調子を一気に崩した。よくも僕を産んだものだと思う。よくも「朝喜」なんて名前をつけられたものだと思う。僕は生まれてはいけないはずの子どもで、でも母に、愛されて生まれた。
そんな男の子ども、おろしなさい、と言ったのは祖母だと聞く。心を乱しながらも、母はそれを頑として受け入れなかった。ただし、子育ては到底できなかった。祖母に助けを借りるほかなく、母はやがてアルコールに溺れるようになった。
幸なのか不幸なのか、僕は父とされる男に全く似なかった。
母の美貌をそれなりに受け継いで、強すぎる感受性のおかげでまともな職に就けず、おまけに自分は男が好きな男なのだと自覚したときの、めまい、絶望に近いもの、あれらには相当苦しめられた。ゲイだということは祖母には告げられなかったが、母には告げた。母は酒に溺れながらも、とろんとさせた瞳を僕に向けて、「良かったじゃない」と言った。
「あんたは間違っても、女を泣かせちゃあだめよ」
いい子ね、優しい子。彼女は呆けたようにそれを繰り返した。実際、呆けていたんだと思う。
そして僕は今年三十歳になった。
母もまた歳を取った。アルコール依存で身体はぼろぼろ、彼女はもうこの先、長くない。
→ 後編
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プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
****
2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」
2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
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