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二〇〇七年
「別れたい」とアキは唐突に切り出した。夏の終わりで、市民病院の病室で、昼過ぎだった。僕はりんごの皮をアキのために剥いていた。アキはベッドでつまらなさそうに横たわっている。
自転車事故。アキはロードバイクを走らせるのが趣味なのだが、トレーニングに出かけて、その帰りの坂道、スピードが出ている最高潮でカーブを曲がりきれずにガードレールを突っ切ってカーブ下へ転落した。宙に浮かんだアキの身体は幸いにも樹木に守られて大きな事故にはならなかったのだが、骨折はした。利き腕と利き足だ。精密検査もするので入院と相成り、僕はその見舞いに来ていた。
アキが事故、と聞いたときは肝が冷えた。いてもたってもいられず、慌てて市民病院に駆けつけてみれば、アキはぴんぴんしていて、腰が抜けた。そんな僕をアキは笑ったが、ふと真面目な顔になると、「悪かった」と一言謝った。
「び、びっくりしたんだ、」
「うん、悪かったよ」
その日は検査があるからと帰されて、翌日、りんごを携えて見舞った。そんなタイミングで別れ話。
むしろよくもった方だと思う。高校生から続いて、もう何年だろう。アキは辛抱強く、おおらかに、僕を受け入れてくれた。アキ、社会人になって四年目、僕、半年後には大学卒業を控える年。そんな年齢に差し掛かって、アキはなにか決意した風に見えた。
「どうして」と僕は訊ねる。アキは即答した。「先がないだろ、男同士じゃ」
「素直に言うよ。おれ、自分の子どもが欲しいと思った」
「いつ?」
「事故ったとき。本気で、死ぬかと思ったんだぜ。なにも成さないまま死ぬのか、と思った。おれはなんの取り柄もない。あるとしたら、健康ぐらいだ。それが奪われちまったら、本当になんにもできない人間で終わる」
「……」
「どうせ生きるなら、なにかを成してみたいのさ。それが、嫁さんつくって、子どもを持つってことだと思った。平凡なおれが、唯一できる、道」
それは、僕には成せないことだった。どんなに頑張っても僕はアキの子どもを妊娠できない。セックスのたびに腹の中に吐きだされるアキの精子は、ただ無意味にこぼれ伝うだけだ。一生恋愛して生きていけるなら、僕らの関係はありだ。アキはそうじゃない。アキはほんの少しだったとしても生死の境を垣間見て、父親になりたいと決意したのだ。
それを僕は止めることを出来ない。生物として、ごくまっとうで正しいあり方だからだ。
ただ、僕がアキをあんなにも心配していたあのとき、アキは僕のことではなく子どもが欲しい、と思っていたんだなあと思うと、心の底からやるせなかった。
「いやだ」僕はだだをこねるように、拒絶する。
「いやだ、いやだ、いやだ」
「悪い、おまえの気持ちも分かる。でもおれは、おれの気持ちに素直になりたい」
「おれのこと少しでも好き?」
「好きさ。いまでも好きだ。でも多分、おれの好き、とおまえの好き、は、ずいぶんと違う。――おまえだって分かるだろう?」
「いやだ、ひどい、別れたくない」
「じゃあたとえばおれがよそに女つくって子ども産ませても、いいって言うか、おまえ」
「……絶対にいやだ」
「別れたい、ミツミ」
「いや」
「別れよう。お願いします、別れてください」
そう言って、アキは出来うる限りで頭を下げた。僕にはもう分かっていた。これはアキの、揺るがない意思だ。どんなに自分がだだをこねても、覆しようがない。
だがどうしてもどう考えても自分が可哀想だった。
「呪ってやる」
口をついて出たのは、そんな子どもじみた言葉だった。
「おまえに彼女が出来て、子どもが生まれたら、その子を呪ってやる」
「……三番目の悪い魔女みたいにか?」
「そうだ。だってその子はもう、……この世に存在しないうちから、おれから存在を否定されている、可哀想な子だ」
アキは黙っていたが、やがて「それでもいいよ」と言う。
「その災厄から、おれが全力で守ってやる。だからいくらでもおまえは安心して呪え」
涙が出てきた、まだ存在しないうちから愛されている子が憎らしい。出来うることなら僕はアキの子に生まれたかった。
「だから別れてください」
アキは瞬きせずに真っ直ぐと見つめてそう言った。
二〇一五年
新生児室から看護師が赤ん坊を連れてくる。右足にタグのつけられた、アキの愛する宇宙人だ。その赤ん坊をまず母親が抱き、僕に顔を見せてくれた。彼女はアキと僕との過去を知らない。とても仲の良い友人だと思っている。
「ほーら、みっちゃんですよー」
と彼女は子をあやす。まだ目のあかない子は見るからにふにゃふにゃで、扱いに困るであろうことは抱かずとも分かったのに、母親から子を預かったアキは、「ほら抱いてみろよ」と僕に子を寄越した。
「無理むり、落っことす、怖い」
「情けねえやつだなあ。大丈夫だから。ほら、抱いてみ」
と、押し付けてくる。やわらかい物体は熱く、ずしりと重たかった。「首、首」と言われて、慌てて頭を支える。
ふあ、ふあ、と名のない子が声をあげる。僕は慌てる。しかしそれを両親らはおおらかに見ているのだった。
「感想は?」
「あ、」
「あ?」
「あっつい。重い。怖い」
子が、手をもぞもぞさせる。なにかを求めている。僕にはそれが分からない。目もあかないのに、表情は分かる。僕じゃ不満です、という体で彼女は僕の腕に抱かれている。
「――なんかよく分かんない。分かんなくて怖い。けど、……かわいいな、」
「そうだろう」
とアキは自信満々に言った。ここ数日で急に人間らしくなってきたんだぞ、と言う。
かわいい、という言葉が当てはまるか分からない。愛おしいと思う。アキの血を継いだ子。そうでなくてもちいさくて、ふくふくとまるく、愛せない方が無理だ。こんな塊を、どうして女性は産めるのか。
抱いているうちにしっとりと汗ばんできた。やわらかいものがしっとりしてくる感触は、三十年間生きてきて僕が感じたことのない経験だった。アキが、急かす。「さあいくらでも呪っていいぞ」と言うから、事情を知らない母親の方がぎょっとしていた。
「――すごいね」
「ああ?」
「もうこの先、なんにも、この子には苦しみも悲しみも起こって欲しくない」
「それがおまえの呪いか?」
「……ああ」
僕は半分泣きながら頷いて、そのうち子が泣きだしたので慌てて母親に返した。
この先なにも、なんにも、この子に苦しみも悲しみも起こらないことを。
三番目の悪い魔女は、そう祈る。生まれてきた子どもらにはみな、そう思う。はじめはみなそうだったんだろう。かつて子どもだった僕らも、たくさんの祝福を受けた。
「みんなこの子が好きになるんだ」
「――ありがとう、魔法使い」
アキがすっかり湿っぽくなってしまった僕の背を優しく叩く。それはいつどんなときのアキよりも逞しく、穏やかで、自信に満ちた手のひらだった。
おめでとう、と心の中で僕は呟く。
ありがとう、とアキが答えた気がした。
End.
← 前編
魔法使いの人数については諸説あるようですが、ディズニー版を引用いたしました。
子ども、とりわけ赤ちゃんが出てくるお話は、BLではむやみに書いてはいけないような気がしていました。基本的には「おれ」と「おまえ」だけの世界でなければ、と。ですが最近考えが変わりまして、色んな人とのかかわりがあっていいだろうな、と思うようになりました。
「おれ」と「おまえ」が結ばれるだけがBLではないのでは、と思いながら最近は書いています。
というような経緯のお話でしたが、楽しんでいただけて嬉しいです。
だんだんに秋に移行してきましたね。お体お大事になさってください。
拍手・コメント、ありがとうございました。
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