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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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「――あ、車ですか」と通志が言う。
「滝まではここから二十㎞離れています。歩いて行きたいなら止めませんが、林道で、けっこう険しいですよ」
「そうなんですか……」
「滝には遊歩道がついていますから、歩けます。なんならその辺の林を少し歩いてもいい。とにかく、行きましょう」
 飼い犬に留守を頼み、出発した。がたがたと舗装の悪い道をしんらはものともせずに運転する。慣れきっているのだ。のぼること十五分程度で、滝の遊歩道のある入口に着いた。
「――本当に山の中だ」と通志が言った。
「遊歩道、こちらです。滑りやすいので、気をつけて」
 通志の先行をして歩く。途中、歩きにくい個所は足の載せ方をあらかじめ見せてから進む。五分程度で、滝についた。夏場なので水量は少なく、巨石の隙間から水が申し訳程度にしたたり落ちていた。
 滝壺(と言っても池より小さい水たまり程度)の際まで行って、なにが楽しいのか通志はしばらく滝を眺めていた。それを邪魔せぬよう、しんらは一歩下がる。鳥の囀りが頭上を駆け、木々が覆い、直射日光を遮る。水辺なので虫がたかって気に障る。しかし通志は動かない。しばらくして「この大きな岩を昔の人は巨人が動かした、と考えたんですね」とこぼした。
「もっと水量があるときは見ごたえあったんですが」
「いえ、充分です。あの、水で穿って出来た窪みなんか、水があったら見られないですからね。――ありがとうございました」
 と、深く頭を下げる。
「ええと、少し歩きましょうか?」
「ええ、ぜひ」
 車を路肩に停め置いて、散策した。林道を進んでゆくだけだったが、通志はいちいちに反応した。あの鳥の声はなんの鳥? この花は? 木は? 質問攻めにあったが、単純に好奇心から来ていると分かるから、苦ではなかった。
「――あ、それはウルシです。触っちゃだめだ」
 通志の手が葉に伸びる、その手を上から握るようにして覆って制した。驚いた通志と目が合う。通志は眼鏡の奥で目をぱちくりさせた後、さっと目を逸らした。耳が少し赤い。
「ウルシはね、厄介なんですよ。服の上から触っても、かぶれてしまう。この、茎の赤いのが目印です」
「そうなんですね。――そんな毒なのに、塗装につかおうとするなんて、すごいな」
 それで祖母の台詞を思い出した。猛毒は薬になる。ウルシを塗装につかうことで、食器や建物は、堅牢になるのだ。だが毒は毒。恋愛と一緒よぉ、という母の声も聞こえた気がして、いやになった。
「これは?」と通志が指差した先には青紫の綺麗な花が咲いていた。これも毒だ。通志の背後に寄り、耳元でそっと「それ、トリカブトです」と言ってやった。華奢な肩がびくりとこわばる。
「――これが?」
「そう、猛毒のトリカブトです。綺麗でしょう、花。でも全草に毒性があるので、素人は触らないでおくほうがいいでしょうね」
 通志はしらばくそれを眺めていたが、「トリカブトは薬にもつかわれると聞きました」とぽつり、答えた。
「ああ、確か漢方で、強心剤に」
「そうです。――知らなかった、こんなに綺麗な花だったなんて」
 くるっと通志がいきなりしんらを振り向いた。「あなたはなんでも、由来を知っているんですね」と言った、その真意が測れなかった。
「たとえば、僕らはスーパーで肉や魚を買うけれど、切り身ばかりで実際の魚も豚も見たことがない。豚の部位なら、ロースだとかヒレだとか知っているけれど、生身の豚に触れたことはないんです。それをあなたは、よく知っているような気がして」
「僕も豚は見たことがないですよ」
「でも、トリカブトの花を知っている。ウルシを知っている。同じことですよ」
 その言葉は、しんらの心になんとなく沁み渡った。時間を確認すれば、そろそろ戻らねばならないころだった。「滑るから気をつけて」と声をかけながら、斜面を下りてゆく。
「――ホテルの予約は何時でしたっけ?」
 荷物を取りに家に戻ったついでに、家にあげて茶を出してやりながら訊いた。通志は今日中には市街地のホテルへ戻る予定だ。講演会は明日の午後だと聞いている。
「チェックインは、十八時です」
「なにでそこまで行くつもりでしたか?」
「最寄駅までバスで出て、そこから電車を」
「ああ、ならホテルまで送ります。バスはあちこち周回してから行きますからね。時間がかかる。本数も少ないですし」
「そこまでお世話になるわけには」
「構いませんよ。ちょうど僕も買い出しに出ようと思っていたところなので」
 と言うと、通志は迷ってから、「じゃあ、お願いします」と答える。
「まだ時間はありますか」と言うので、時計を確認した。十四時半。街へ出るのに一時間を見込むとして、余裕があった。
「じゃあ、少しあなたの話を聞きたい」
「なにを」
「ここでおひとりで暮らされているんですよね」
 と、通志は室内を見渡した。典型的な田舎の、木造の、古い家だった。土間があり、土壁で、長靴や鎌、鉈、草刈り機、魚籠やらざるやらが隅に寄せてある。裏手はすぐ畑で、玄関先には耕運機を置いてある。あまり広い家ではない。それでも、通志は「広いですね」と言った。
「この家は集落から少し外れるようでしたが、」
「ええ。うちが集落のいちばん外側にあります。ここから先は森ですよ、という目印でもあるんです」
「ガイドのほかに、農業をして暮らしている?」
「そうです。畑で作物を育て、少しは出荷しますが、ほぼ自給自足みたいな暮らしです。小遣いはこうやって、ガイドで稼ぎます」
「おひとりで、大変ではないですか?」
「多分、どこで暮らしていても、そうだと思います。でも街で暮らすよりはここでひとりの方が性に合っている。大変ですが、苦ではないです」
 通志を見る。彼もまた、いつの間にかしんらを見つめていた。目が真剣で、しんらはぎくりとする。
「――淋しくは、ないですか」
 それはまるで、イエス、と言って欲しいみたいな訊ね方だった。
「こんな、緑に埋もれるようにして、ひとりで……淋しくは、ない?」
「淋しい、と言ったらどうしてくれるんですか」
「こう、します」
 通志の身体が一気に近づく。唇と唇が触れあった。発する熱が肌に当たり、鳥肌が立った。



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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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