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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 卒業式に向けて、スーツを新調した。就職活動時のリクルートスーツは火事で焼失したからだ。母親がわざわざHからやって来て、選んで買ってくれた。もっともこのスーツは、今後あまり活躍しそうになかった。春見も春から会社員とはいえ、仕事の内容からして作業着ばかりを着る生活なのだということは、ありありと分かった。というよりも、そう望んだ結果の就職先なのだ。
 ダークグレイのスーツには、濃い赤のタイを選んだ。卒業式の会場となった大学のホールは、ありとあらゆる人間でごった返していた。スーツ姿や、女子は着物、袴姿が多かった。その中で諏訪の姿を探したが、うまくゆくはずがない。待ち合わせをしているわけでもなかったし、そういえば春見と諏訪は、メールアドレスさえ交換していないのだった。諏訪と学部が違うこともまた、ふたりをすれ違わせる要因だった。結局、卒業式、謝恩会、後輩による卒業生送り出しの会、二次会、と深夜を過ぎても帰れず、帰寮したのは朝の五時だった。
 春見の退寮日は、明後日の予定だった。尾田も同日だ。もうとうに酔いも醒めた頭の中で、奥底で考えるのは、諏訪のことだった。会いたくて、会えずに終わった。諏訪のアパートの場所は分かるが、いますぐ行ける場所ではないし、日を改めて出直すことも、なんだかためらわれた。縁というものが存在するなら、これでぷちりと切れてしまったように思った。せめて挨拶ぐらいしたかったが、叶わないだろうか。元気で、とか、またな、とか、そういう他愛ないことですら。
 玄関の鍵を開け、うす暗い廊下を進む。もう夜明けだ。廊下のいちばん奥に、ピアノ室がある。暗いその部屋に、春見は入った。部屋の明かりを探り、スイッチを押す。蛍光管がパラパラと音を立て、やがて白々と部屋が明るくなった。
 部屋に堂々と置かれるグランドピアノ。その椅子に誰かが座っていた。ピアノの蓋にうまく腕を載せて、突っ伏している。見慣れた、もしくは焦がれた艶やかな黒髪がまず目に入った。それからスーツ。こげ茶色のチェックのスーツ姿は、春見が初めて見る姿だった。
「まぶしい」
 諏訪は突っ伏したままそう言った。それが壊れそうなぐらい繊細に聞こえたので、春見は慌てて部屋の電気を消す。目が慣れてくれば、室内は青っぽく映った。そうしてようやく、起きあがる諏訪の姿を確認できた。
「なんでここに」
「確かに、おれはもうとっくに退寮した身だからな。これは不法侵入だ」
 諏訪は茶化す。
「そうじゃなくて、」
「あんた待ってた。ぜんっぜん帰って来ねえし。尾田にも訊いたけど、農学部の卒業コンパは派手で有名だから遅いんじゃねえ? って返事だった。案の定、朝帰りとか」
「おれを、待ってた?」
「そうだよ」
「なんで?」
「卒業式で会おう、って言ったのは、どこの誰だよ」
 それは欲しい言葉であって、そうではなかった。まるで春見ばっかり諏訪を求めているように聞こえるからだ。それをどう言ってやろうか迷っていたが、諏訪がふと微笑んだので、春見はきょとんとした。
「高野先輩と話した」
 微笑みながら諏訪は言う。うす明るくなってきた室内で、その顔は清々しく映る。
「もう困らせません、いままでありがとうございました、って、おれなりにさようならを言ってきた。高野さん、頷いて、このあいだカフェで出張って来たあいつと付き合ってるのか? って、訊いた」
 どくっ、と心臓が鳴った。
「さあどうなりますかね、と答えたら、そうか、と笑ってくれた。ひどいことをした、すまなかった、とも言っていたけど、……おれは別にそのことはどうでも、よかった」
「そうか、」
「もう会わない、と思ったらここが、ぽっかりと空いた感じがする」
 と諏訪は、自分の胸をとんと突いた。
「あんた、埋められるか」
 目と目が合う。諏訪は睨みつけるように、挑発的に言った。
「おれは高野さんじゃないから、同じようには埋められない」
 少しずつ距離を詰める。春見は腕を伸ばして、諏訪の頬に触れる。つめたい頬だった。諏訪はすり寄るように、目を伏せる。
「相変わらずひどい男だな」
「違う人間だ。全くおんなじには、ならない。おれはおれのやり方で、諏訪の刺青が見たい」
「……」
「キス、していいか?」
「……いい、」
 春見は屈み、諏訪に顔を近づける。吐息が触れ合う距離で、いったん瞬きをした。お互いの瞳を底まで見通すかのようにして見つめあい、唇を重ねた。諏訪の眼鏡が当たる。その硬い感触よりも、唇の温かさ、湿っぽさ、やわらかさに夢中になる。
 唇を離し、諏訪の左右を確認してから、左耳に唇を寄せた。「諏訪が好きだ」
「――聞こえてる?」
「ああ」諏訪が笑う。「そっちならちゃんと、聞こえるよ」
「刺青、見たい」
「ここじゃだめだ、不法侵入者だからな」
「諏訪の部屋行っていいか?」
「聞くな、馬鹿」
 もう一度キスをしたら、諏訪は「ん」と腕を突っぱねて、春見の身体を離した。
「――夜明けだ」
 朝という名の音が聴こえてくるような、静寂だった。


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Fさま(拍手コメント)
いつもありがとうございます。お楽しみいただけているようでうれしいですw
素直になれないのが諏訪という男ですので、こんな台詞になりました。残り2話ですが、諏訪がこれからどういう台詞を吐くのかもご注目ください。
拍手・コメント、ありがとうございました!
NONAME 2016/02/28(Sun)08:20:39 編集
プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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