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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 怒っているのか、歩く諏訪の足の速度は速かった。ほとんど駆け出すかのような速さで、春見の先をどんどん行く。春見は真剣に追いかける。帰ろう、と言った通り、諏訪がまっすぐ向かったのは学生寮で、そこだけは聞いてくれたんだな、と春見はほっとする。
 寮は静かだった。春休み中であるので帰省している寮生もいるし、旅行に出かけているやつもいるし、昼寝している輩もいたりするのだろう。ぜいぜいと息をしながら寮の玄関をくぐる。諏訪が真っ先に飛び込んだのは、ピアノ室だった。
 春見もピアノ室へ入る。諏訪は乱暴にピアノの椅子に腰かけ、鍵盤を一音叩いた。ボーン、と低音が響く。ボーン、とまた、鳴らす。
「尾田から大体は聞いたんだ」
 諏訪が答えないことを承知で、春見は語りかける。
「あの、高野ってやつにあれこれ悪い噂流されたとか。それでもなんで、一緒にいるんだ」
 一音だったはずの音が、いつの間にか和音になっている。
「あの人のことが、好きか?」
 和音。単音。和音。単音。それは次第に大きくなっていく。心臓の音みたいに音を轟かせて、それは曲になっていた。出だしは聞いたことがあった。確かこれも、ラフマニノフだ。
 信じられない手の指の動かし方で、諏訪はピアノを叩く。手を休めているときがない。高音から低音へと指はせわしく動き、曲をかき鳴らす。前傾姿勢で、ピアノしか愛せないみたいに。
 春見はたまらなくなり、背後からその身体を強く抱きしめた。腕を動かせなくなった諏訪の身体がピアノに触れて、ガン、とめちゃくちゃに鍵盤が鳴った。いきなり鳴りやんだ曲と、耳に残る不協和音。諏訪は全身で春見に抗っていたが、春見の方が力強かった。
「――もう、好きじゃない」
 絞るような声で諏訪が言った。
「でも、未練はある」
「……高野さんと、なにがあった?」
「別に、おれの片想いさ。高野さんは尊敬する先輩で、おれは話が出来るだけで嬉しかった。高野さんもおれのことをかわいがってくれた。かわいがってくれたから、勘違いしたんだ。……おれのこと受け入れてくれるんじゃないか、って」
 諏訪はふるえていた。春見はますます腕に力を籠める。
「ゲイだってカムアウトして、好きだと言ったら、あの人はおれのことが気持ち悪かったんだろうな。一気に仲がこじれた。それで寮内で、いままで高野さんに喋ったことのあるおれの過去の話なんかを、ばらされた。別におれは平気だった。ただ、本当にこの人には好かれてないんだな、ということが、悲しかった」
「……それでなんでまた、まだ、一緒にいるんだ」
「おれが頼み込んだ。もう好きだなんて言わないから、嫌わないでくれって。好きだなんて言わないから、前みたいに戻りたい、って。あの人は、優しい人なんだ。困りながら、おれに付き合ってくれている。卒コンだって一緒に弾いてくれた。今日だって、一緒に出掛けて、」
「ばっか、なんで優しいやつが人の過去ばらすような卑怯なことするか!」
「……」
「そんなのは優しいって、言わない。弱いって言うんだ」
「二年かかったんだ!!」
 いきなり諏訪は叫んだ。
「前みたいに先輩と元通りになるまで、笑えるようになるまで、二年かかった! それがついこの間知りあったばっかりのおまえに分かるかよ! これまでにおれたちのあいだに起こったこと全部! どうやって折り合いつけて徐々に距離を縮めていったかだなんて、おまえに分かるはずない! 放っておけよ!」
 深い、ふかい傷が、と思った。あるいは深い悲しみが。諏訪を覆いつくしているのは、なんだろう、いろんなものだ。好きな人に好かれないこと。痛みをこらえて平気な顔をすること。心では散々泣いていて、それを表に出さないように必死でいること。自分に課したたくさんの枷。
「知るはず、ないな、確かに」
 春見は愕然とする思いで頷いた。
「火事で住んでたところが全焼したって、処分が楽になったって、平気でいるようなおれだ。諏訪の痛いところは全然、分からない」
 だが春見は手の力を緩めはしなかった。
「でも放っておけないよ」
「……」
「諏訪、」
 触れている箇所が温かい。諏訪、と囁くと首筋に吐息が当たるのか、諏訪の肌に鳥肌が立った。春の斜陽が、ふたりの身体に当たりはじめる。諏訪は「痛い」と言った。「もう、放せ」
「おれ、どうすればいいかな」
 春見はそれを無視して続けた。
「諏訪が抱えているいろんなもん、知らない方がいい? 知ってた方がいい?」
「……おれに訊くなよ、」
「諏訪は、どっちのおれなら楽なのかな、と思ってさ」
「楽」
 と、諏訪は軽く笑った。腕の中の身体が、くつくつとふるえる。意外な反応に、春見はびっくりする。
「なんだよ」
「いや、あんたってそうだよな、と思って。楽な方へ流れる。楽天的、ってあんたのことさ。自分や他人のいろんなものを、許して生きてる」
「それは、悪口か?」
「褒め言葉だ」
 そうして諏訪はため息をつき、「そういうやつが社会に出てきちんと責任を果たせるんだろうな」とこぼした。
「……なんか真面目な話になってきたけど、……そういえば諏訪、卒業後は?」
「特別支援学校の教員だよ。あんたは?」
「おれは造園会社」
「ああ、あんた農学部だっけ。……どこの造園会社?」
「地元。帰るよ、実家に」
「実家どこ」
「H」
「遠いな」
「遠いよ。――でも山が綺麗なんだ」
 春見は徐々に身体の力を緩めた。もう諏訪は逃げないだろう。
 知らないままでいいのだと思った。諏訪のなにも、諏訪の口から語られるまでは。


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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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