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 春見と諏訪は、次第にふたりでいることが多くなった。諏訪がピアノ室にいて音を鳴らしているとき、春見はそこへ訪れた。諏訪は春見に構わず耳をピアノに押し当て、一音だけを鳴らして遊んでいる。春見は脇のパイプ椅子に腰かけ本を読んでいる。そんな風にして、ふたりは時間を共有した。
 三月も半ばに差し掛かろうというころ、春見は同室の尾田と出掛けた。映画のチケットをもらったのだが彼女とは都合が合わずに、公開期間が終わってしまうから、と言って、小説が原作のアニメ映画を見に行った。飛行機乗りの話で、ぶんぶん飛び回る戦闘機の速さは圧巻で、なかなか見ごたえがあった。帰りになにか食って帰ろうぜ、と尾田が誘い、でもあまり金がなかったので、ファーストフード店に入ることにした。
 店はショッピングモールの一階にあった。向かう途中のカフェで、ウインドウ越しに春見は諏訪の姿を発見した。向かい側には見覚えのある男が座っていた。確か、高野という男だ。諏訪とピアノを弾いた。
 尾田もそれを見て、顔をあからさまに顰めた。「なんで高野さんとつるむかな」と言う。春見にはその真意が分からなかった。
「なに? なんで高野さんとつるむのが悪いの」
 訊ねると、尾田は眉根を寄せてはーっと息を吐いた。それから「言っていいもんか分からんが」と断りを入れ、「最近はおまえ諏訪さんとつるんでるもんな」と複雑な表情を浮かべて言った。
「なんだよ、」
「どうしておれや、おれたちが諏訪さんの腹の刺青だの、ゲイだの、虐待だのの話を知っていると思う? 全部高野さんが言いふらしたことなんだよ。高野さんは元・寮生でな。諏訪さんとは仲が良かったが、あるときを境に悪くなった。そのあとだよ。諏訪さんの噂が流れだしたのは」
「……仲が悪くなった腹いせに、諏訪のこと言いふらしたのか?」
「そういうことだと思う。……高野さんはそのあとすぐに退寮して、ひとり暮らしをはじめた。諏訪さんは漏らされた噂のせいで変な目で見られたり、あからさまな嫌がらせを受けたりしたもんだが、――あの通り、ほかの寮生とは慣れあわないで、涼しい顔で寮にいる。不思議なぐらいだ」
「仲が悪くなってそれでなんで? なんでまたつるんでいるんだ? 卒コンだってふたりで弾いて……」
「それが不思議なんだ。おれにも分からん。けど、高野さんの、諏訪さんへの陰口はひどかった。いまでも覚えているけど、……悪意があった、明らかに」
「どんな」
「……『知ってるか? 諏訪はゲイだってよ』って。おれたちは食堂に四人ぐらいでたむろしてて、めし食いながらあれこれ喋ってる最中だった。遠くの席に、諏訪さんも座ってた。それを高野さんはへらへら笑って普通の喋り声で言った。耳が悪いから聞こえない、とでも思ったのかもしれない。それから諏訪さんについて色々と喋り出したんだ」
「刺青が入ってるとか、暴行を受けたとか、を?」
「そう。高野さんの話は信用に足りなかったけど、とにかく諏訪さんは育ちの悪い、そういうきな臭い男だから、信用しない方がいいぜ、って。……ちょうどそのころ、寮生の部屋から金がなくなる、っていう盗難事件があってな。仲間同士が疑心暗鬼になっているころだった。案外、諏訪が盗ったのかもよ、って言われるとな。高野さんの噂話も、本当に思えた。それを高野さんは何人もの寮生に、話したらしい。あっという間に広まった」
「……」
「諏訪さんの態度もああだろ? 人を寄せ付けないっていうかさ。よく思ってないやつからすればさ、高野さんの噂話は自分の気持ちをさらに焚きつけるようなもんでさ。一度、衝突も起こった。寮生のひとりが諏訪さんの態度に腹を立てて、掴みかかったんだ。『おまえが金盗ったんだろ!』って」
 どうしようもない怒りが、ふつふつと湧いてきた。そこまでしてなぜ諏訪は虐げられなければならないのか。「金を盗った犯人は?」と訊くと、尾田は首を横に振った。
「分かんないまんまだ。盗られたやつも、今回限りは警察沙汰にしない、と寮会議で話したからな」
「……掴みかかられた諏訪はどうなった?」
「喧嘩になる前に周りのやつらが止めたさ。大体、ゲイで刺青があって耳が不自由なら金を盗るのか? 理屈が合わないだろ。でもあのときはみんな、ピリピリしてたから」
「なんで、なんでそんな噂流したやつと一緒にカフェにいんだよ……一緒にピアノ弾いたり、」
「な、訳が分からないだろ。――いやな話したな。行こうぜ」
 と尾田に肘を引かれて、春見は抗った。尾田が驚いた顔をする。春見は「先帰ってて」とだけ言って、走り出す。カフェに入ると、もう諏訪と高野しか見えなかった。ふたりのいるテーブルしか見えない。一直線に彼らの元へ向かい、テーブルの際に立った。
 突然現れた春見に、諏訪は顔をあげる。「なんでこんなやつと一緒にいるんだよ」と言うと、諏訪は、分からない、という顔をした。
「なんであんなこと言われてんのに平気な顔して一緒にいるんだって聞いてるんだよ」
 諏訪はじっと春見を見上げた。瞳がまた、しんと透きとおっている。向かいに座る高野が「なんだおまえは」と言ったのを遮って、春見は諏訪の腕を掴んで立ちあがらせた。
「――ちょっ」
「行こうぜ」
「どこへ、……春見、」
「寮だよ。帰ろう」
 高ぶっている心を、努めて冷静に保つ。「帰ろう」と再び言うと、諏訪は少しだけうなだれてから、上着を羽織った。
「じゃあ、先輩」
「おい、諏訪!」
 諏訪は振り返らず、春見の先を歩いて行った。


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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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