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諏訪のピアノを聴く機会は、思いのほか早く巡って来た。音楽科に在籍する学生による、卒業コンサートの開催だ。「金取るぞ」の言葉通り、チケットを買わされた。いわゆる「卒コン」と呼ばれているもので、毎年開催されていたが、なにぶん分野が遠くて興味もなかった。大学が所持している音楽ホールを利用してのコンサートだという。音楽科に在籍する今年度の卒業予定者二十名程度が、ピアノなり声楽なり器楽なりを演奏するという。
行ってみて驚いた。大学の施設といえど足を踏み入れるのははじめてだったが、本格的な音楽ホールだったのだ。そして来ている客も、年齢の幅が広かった。中には蝶ネクタイやワンピース姿の客もいた。これじゃまるで本物のコンサートじゃないか、と春見は思う。学生がやるのだから、もっと気楽なものなんだと思い込んでいた。
春見の隣には、尾田が座った。尾田の交際相手も音楽科で、フルートを専攻しているという。開演前に、プログラムに目を通す。尾田の彼女は中ごろの順番で、諏訪の演奏はいちばんはじめだった。
諏訪の曲目は、ラフマニノフ。「2台のピアノのための組曲第2番作品17より 第4楽章 タランテラ」と書かれていた。諏訪の名前の隣に知らない名前――高野悟、が並んでいた。2台のピアノのための組曲、というからにはピアノが二台登場するということか。考えていると、尾田がぽそりと「高野(たかの)さんと弾くんだな」と呟いた。
「たかのさん?」
「あ、いや、諏訪さんの曲目のこと」
「誰? 高野さん」
「……音楽科の院生で、いま一年」
尾田は少々言いにくそうに声を顰める。なんだ、と問いかけようとして開演を知らせるブザーが鳴った。慌ててスマートフォンの電源を落とす。いつの間にかステージにはちょうど互い違いにうまくはめ込んで、二台のグランドピアノが置かれていた。
舞台袖から諏訪が出てきた。拍手が起こる。せっかくの卒業コンサートなのに、諏訪ときたらシャツにセーターを重ねただけの格好で、かろうじてネクタイは締めていたが、いつもと変わりなかった。諏訪に続いて長身の男が出てくる。向かって右側のピアノに高野が座り、左側のピアノに諏訪が腰かけた。傍には楽譜をめくる係の学生もスタンバイしている。
ふたりは目くばせをした。重厚な低音が右側から響き、弾けるように左側の諏訪の指が鍵盤を滑る。ふたつのピアノは音階をあげながら重なりあって、強く鍵盤を叩きつける。間。また叩く。間。
高野の指から低音がガンと鳴り渡ると、応えるように諏訪の指がテンポを踏んだ。八分の六拍子で奏でられる音楽は、日ごろ一音で遊んでいる諏訪からは想像もつかないほどの激しさだった。二台のピアノは絡みあい、分離し、引き立てあう。とりわけ重厚な低音は、こちらにまで振動が伝わって来るかのようだった。なるほどな、と春見は思う。諏訪の鼓膜を震わせる振動を求めた結果が、ラフマニノフなのだろう。
高野と諏訪はお互いの鍵盤に夢中で、はじめの目くばせを除けば一向に顔をあげない。ふたりとも前かがみに、超絶技巧に夢中になっている。それでもぴったりと一致し、乱れないテンポ。
親しい誰かなのだ、という気が、ふっとよぎった。諏訪にとって、高野はきっと親しい。腹にあるとされる蝶を知っている人物かもしれない。二台のピアノを奏でるふたりからは、熱意、気迫、それ以上に信頼や親密さが伝わって来た。
クライマックスに向かうにつれて、春見は見ていることが辛くなり、目を閉じた。はじめの衝撃を失わないまま、失速を知らずに、音楽はエンディングを迎えた。春見はようやく目を開ける。拍手が鳴り渡っていた。
この気持ちをどう表せばよいだろうか。嫉妬かもしれないし、衝撃であるし、とにかく心はざわめき、波立っていた。春見は思わず席を立つ。それから尾田の制止にもかかわらず、ホールを後にした。
春見は走る。なんだかめちゃくちゃな気分だった。走って忘れたい、あの低音。眉間にしわを寄せながらも、音を愛し、見事な演奏を披露した諏訪に会いたい。
あてもなく走った。
行ってみて驚いた。大学の施設といえど足を踏み入れるのははじめてだったが、本格的な音楽ホールだったのだ。そして来ている客も、年齢の幅が広かった。中には蝶ネクタイやワンピース姿の客もいた。これじゃまるで本物のコンサートじゃないか、と春見は思う。学生がやるのだから、もっと気楽なものなんだと思い込んでいた。
春見の隣には、尾田が座った。尾田の交際相手も音楽科で、フルートを専攻しているという。開演前に、プログラムに目を通す。尾田の彼女は中ごろの順番で、諏訪の演奏はいちばんはじめだった。
諏訪の曲目は、ラフマニノフ。「2台のピアノのための組曲第2番作品17より 第4楽章 タランテラ」と書かれていた。諏訪の名前の隣に知らない名前――高野悟、が並んでいた。2台のピアノのための組曲、というからにはピアノが二台登場するということか。考えていると、尾田がぽそりと「高野(たかの)さんと弾くんだな」と呟いた。
「たかのさん?」
「あ、いや、諏訪さんの曲目のこと」
「誰? 高野さん」
「……音楽科の院生で、いま一年」
尾田は少々言いにくそうに声を顰める。なんだ、と問いかけようとして開演を知らせるブザーが鳴った。慌ててスマートフォンの電源を落とす。いつの間にかステージにはちょうど互い違いにうまくはめ込んで、二台のグランドピアノが置かれていた。
舞台袖から諏訪が出てきた。拍手が起こる。せっかくの卒業コンサートなのに、諏訪ときたらシャツにセーターを重ねただけの格好で、かろうじてネクタイは締めていたが、いつもと変わりなかった。諏訪に続いて長身の男が出てくる。向かって右側のピアノに高野が座り、左側のピアノに諏訪が腰かけた。傍には楽譜をめくる係の学生もスタンバイしている。
ふたりは目くばせをした。重厚な低音が右側から響き、弾けるように左側の諏訪の指が鍵盤を滑る。ふたつのピアノは音階をあげながら重なりあって、強く鍵盤を叩きつける。間。また叩く。間。
高野の指から低音がガンと鳴り渡ると、応えるように諏訪の指がテンポを踏んだ。八分の六拍子で奏でられる音楽は、日ごろ一音で遊んでいる諏訪からは想像もつかないほどの激しさだった。二台のピアノは絡みあい、分離し、引き立てあう。とりわけ重厚な低音は、こちらにまで振動が伝わって来るかのようだった。なるほどな、と春見は思う。諏訪の鼓膜を震わせる振動を求めた結果が、ラフマニノフなのだろう。
高野と諏訪はお互いの鍵盤に夢中で、はじめの目くばせを除けば一向に顔をあげない。ふたりとも前かがみに、超絶技巧に夢中になっている。それでもぴったりと一致し、乱れないテンポ。
親しい誰かなのだ、という気が、ふっとよぎった。諏訪にとって、高野はきっと親しい。腹にあるとされる蝶を知っている人物かもしれない。二台のピアノを奏でるふたりからは、熱意、気迫、それ以上に信頼や親密さが伝わって来た。
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粟津原栗子
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非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
****
2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」
2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
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