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 春見がHに帰る日は、諏訪は新しい勤め先となる特別支援学校を訪ねることになっていて、見送りはできない、と言った。それを聞いて、その方がいいかもしれないな、と春見は思う。Hは、遠すぎた。見送られたらそのまま連れ去ってしまいたくなる。
 諏訪はこのMという街で暮らしてゆくし、春見はHに帰る。もう別れが迫っていた。
 諏訪のアパートに、春見は夕方までとどまった。これからのことなどなにも相談せず、ずっと肌を求めあって過ごした。本当は話すべき事柄がたくさんあったのに、知らないふりをした。ようやく求めあえた喜びに浸っていたかったし、この先のことなんか、考えたくもなかった。
 シャワーを浴び終えて、またシャツとスラックスを身に着ける。これしか着るものがなかったし、諏訪の衣服はサイズが合わなかった。上着を着てしまえば、あとは帰るだけだ。寮に戻って、明日の準備をしなければならなかった。いくら持ち物が少ないとはいえまとめるべきものはあるし、記入すべき書類もある。
「――じゃあ、帰る」
 諏訪は春見が帰る支度をしているのを横目に、ベッドにただ横になっているだけだった。いまも動こうとしない。ベッドに突っ伏して、春見を見ようともしない。
 春見は、その肩にそっと触れた。あまり触れると名残り惜しくなるので、とんとん、と軽く叩く。諏訪は顔をあげて、諏訪を見る。いまにも泣きそうな、ひどい顔をしていた。
「帰るよ、諏訪。――元気で、」
「……」
「じゃあな」
 春見は諏訪の髪をくしゃっと撫でて、部屋を出た。出た途端に、ああまた連絡先を聞き損ねた、と思いだす。それでも後ろの扉をもう一度開ける気になれない。街はそろそろ夕暮れで、春靄のおかげで遠くまで見通すことが出来なかったが、星が瞬いているのが見えた。しばらく佇んでから、春見は勢いよく一歩を踏み出す。鉄階段を下り、駅への道のりを歩いていく。
 未練だ。諏訪のことがこんなにいとおしいのに、今日で終わりということが、せつなかった。これからはじめよう、という気にならないのは、春見と諏訪がごく短期間でしか恋をしてこなかったせいだ。出会ったのが二月、こんなことを思うぐらいなら、出会わないで卒業した方がずっと良かった。火事なんか起こらなければ、もしくは起きても実家に帰っていたとしたら。もし、たらればの話なんかいくらでも湧いてくる。
 アパートから少し歩いた先に、緑化公園があったので、春見はそこに立ち寄った。整備の行き届いていない公園だったが、桜の木があって、これはじきに咲くだろう、というふくらみと色合いをしていた。せめてこのことだけでも諏訪に教えてやりたい、と思った。教えてやったら、あの冷たく不愛想な顔でも、花を見あげるだろうか。
 不意に、背後から手が伸びて、その手は春見の身体に巻き付いたので驚いた。ぎょっとしながらも振り向くと、それは諏訪だった。すっかり着替えて、洗い髪で、ぎゅうぎゅうと春見に身体を押し付けてくる。春見はそれをなんとか振りほどいて、向かいあった。顎を掴んで上を向かせると、諏訪の瞳はいまにも泣きそうに、潤んでいた。
「あんな簡単に、あっさり帰るな、馬鹿!」
 諏訪は春見の手を振り払って、どん、と春見の胸をひとつ叩いた。
「あんたは、一時の相手でいいかもしれないけど、おれは、……おれは、」
「……そんなこと思ってねえよ」
 春見は、絞り出すように言った。声が震えている。胸に置かれたままの手を、上から握る。「続けて、いいんだな」
「明日からも諏訪のこと好きだ、って思ってて、」
「誰がだめだって言ったんだよ」
「……おれの方が泣きそうで、崩れそうで、……怖かったんだ」
 うなだれると、諏訪の腕が頭に絡みついて、ポンポン、と春見の頭をはたいた。諏訪の肩先に顔を埋める。片手は握りあったまま、春見は体重を諏訪に預けた。
 こうしていると安心すること。本当は離れがたいこと。それでもHに帰らねばならないこと。
 話しあうべきたくさんの事柄が、クリアに見えてきた。
「いまさらだけど、連絡先、交換しよう」
 春見は目を閉じて諏訪に言った。諏訪は顔をゆがめた。笑おうとしたのかもしれない。「いまさらだよな」
「それで、諏訪もいつかHに来いよ。――ああ、五月がいいな。風がいいから。きっと諏訪も、気に入ると思う」
「五月か。――先だな」
「すぐだよ、すぐ。うまくすれば、桜が残っているかも。――今年の冬は冷え込んだから」
「そうか」
「ああ」
「じゃあ、次は五月に」
 駅まで送ろう、と諏訪は言ってくれた。ふたりは歩き出す。これから歩く道は別であるけれど、それはきっと、決して、後ろ向きではない。ふたりがふたりでいるための一歩。
 アドレスを交換し、駅で別れ、電車に乗る。諏訪から届いたはじめてのメールは、脇腹の黒い蝶を自撮りした画像が添付されていた。
 マイ・ブラック・バタフライ、と春見はそれを眺めながらちいさく呟く。そういう歌があった。もうこの先、諏訪につらい思いなんかさせない。そういう決意で、返信ボタンを押した。なにを書こうか、なにから書こうか。話すべきは、たくさんある。


End.


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Fさま(拍手コメント)
いつもありがとうございます。
五月という季節にふたりの再会を設定したのはGWがあるなあ、と思ったからなんですが、私自身も五月という季節が好きです。Fさんが感じ取ってくださった色合い、とても素敵ですね。幸福な五月をふたりには過ごしてほしいと思います。
春と言えば花粉症でつらい季節だ、という方も多いですね。どうかご無理なさいませんよう。そして素敵な春を過ごせるといいですね。
拍手・コメント、ありがとうございました!
粟津原栗子 2016/03/01(Tue)08:29:37 編集
アリィさま(拍手コメント)
いつもありがとうございます。
よしもとばななさんの「アムリタ」は未読でして、そのような台詞があることを知らないのですが、その通りだな、と思わず唸るような台詞ですね。他人同士なので、それは充分ありうることです。
春見はやはり、諏訪からのアクションを待っていたかと思います。春見が望むのは、諏訪が自分の殻を破る姿です。春見の臆病もあったかと思いますが、それでも彼は待つ姿勢でした。
会わないでもよかったかもしれない縁が、なんとか結ばれて、こういうかたちになりました。彼らには今後も続いてゆく努力をたゆまないでほしいな、と思います。
そしてアリィさんの仰る通り、諏訪がもっとのびのび自由に生きられることを、私も願います。
拍手・コメント、ありがとうございました!
粟津原栗子 2016/03/01(Tue)08:42:04 編集
はるこさま(拍手コメント)
いつもありがとうございます。
春見はスーパー楽天家というのか、はるこさんの仰る通りに基本は真面目で正しいのですが、とてもラフに、楽ちんに生きている男です。ストレスのない生き方を知っている、という感じです。諏訪は対照的ですね。ストレスを常に感じて生きている。このふたりが今後どうなっていくのか、私自身も続きが気になるので書こうかと思っているのですが、なにぶん、ここのところ嘘つき粟津原連発ですので(苦笑)、お約束が出来ません。ですがもしかすると、いつか、また、ぐらいに思っていただけたら嬉しいです。
新天地、新生活。この3月4月がキーになる方はきっと多いですね。
はるこさんもお体大切になさってください。読んでくださった方々の励みになるような作品づくりを、これからも精進してまいります。
ありがとうございました。
粟津原栗子 2016/03/02(Wed)09:10:31 編集
プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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