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 十年働いて正社員としては雇用されなかった。ずっと契約社員として働いてきた宇野のことは、社内じゃほとんど「どうでもいい人」だ。無口で、必要最低限のことも喋らないからコミュニケーションどころか仕事上必要な連絡を取ることでさえ苦労したし、おかげでやらかした失敗も何件も数え上げられる。本人にそれを伝えても、やはり没コミュニケーションで「ああ」とか「はい」ぐらいしか言わない。反省など皆無、それでも忙しい仕事なので、宇野のように仕事に文句言わずに一通りをこなせる存在はありがたかったような…いや、やっぱり迷惑だったような。
 その年の契約更新をしないと聞いて、優良(ゆうら)は少し驚いた。十年務めた会社を、あっさりと辞められるものなのか。上から首を切られたわけではないし、十年も勤めれば契約社員と言えども待遇はそれなりによくなっていて、給料もさほどは悪くなかったはずだ。休みも取りやすかったと思う、少なくとも正社員という身分に縛られサービス残業が当たり前の優良よりは。
 おそらく優良よりも十五歳は上、下手すると二十歳離れるだろうか。痩せて背の高い男で、長めに伸びた髪が不衛生だ、という指摘もあったが本人は知らん顔だった。身のこなしは素早く、常に急いでいるイメージだ。てきぱきしている、というよりは、急いでいる。なにかに対して常に怒っているようにも感じる。
 同僚たちは「辞めてどうすんだろうな」「宝くじでも当たったかな」とどうでもいい噂をしていた。ただ、「宇野さんに辞められて四月からどうすんだ」という話は、出ないわけではなかった。宇野の後釜は決まっていない。募集をかけて、採用して、一から教え込んで――まあおそらくはそういうのを自分がやるんだろうな、と優良は思う。入社して三年、春から四年目だ。若手よりは中堅の立場に入って来たが、まだまだ下っ端だ。契約社員がほとんどの社内じゃ、年上に指導をせねばならない機会は何度もあって、その摩擦に毎回胃を痛めている。
 三月、年度末だけあって忙しい時期だが、年休消化をせねばならないと言って、休みが増える。仕事していた方がいいんだか、無理に休まされるのもどうなんだか。することもないのでうらうらと街を歩いていた平日の昼、駅前で宇野とばったり出くわした。宇野は先日の金曜日をもって正式に退職したばかりだった。
「――え?」
 こんにちは、ではなく、そんな声が出てしまったのは、宇野のいでたちに驚いたからだ。長めの髪はさっぱりと短くなっており、日頃は制服姿でしか見なかった長身はいま、黒の革ジャンにスキニータイプのパンツを身にまとっている。三月の日差しが眩しいのかサングラスまでかける様は、どこまでも攻めの格好だ。私服姿だとこうなるのか、予想しなくて慌てた。
 サングラスを外しながら、宇野は「どうも」と挨拶をした。
「――休み?」
「はい、年休を年度内に消化しなくちゃいけなくて……宇野さんは、買い物?」
「いや、引越し」
 いでたちに驚いていたからうっかり見落としていたが、よく見ればボストンバッグを提げていた。引越し、と聞いてさらに驚く。退職してまだ一週間経っていない。
「どこに?」
「南の方」
 南へ行くには少し暑そうな格好だが、宇野の長身と相まって、黒ずくめの身なりは目を惹いた。いい意味で目立っている。それは、サングラスを外した時に思わぬ柔和な瞳が現れたせいかもしれないし、髪を切った方が似合っているせいかもしれない。いままではうざったい前髪や素早い行動のせいで、まともに顔を突き合わせて見つめあおうなんて機会がなかった。
 うっすらと浮かべた笑みは若々しく、本当の年齢はもっと下なんじゃないかと思わせた。
「宇野さんが仕事辞めるって言うもんだから、けっこう大変ですよ。なんで辞めて、引越しまでするんですか?」
「宝くじが当たった」
 答えてから、宇野はにやりと笑う。「――ってしょうもねえ噂してんだろ、あんたら」
「ばれてますね」
「あんたらは声がでかい」
「本当に宝くじ当たったんですか?」
「いや? 男に逃げられた」
「え?」
「最愛の男。俺はしつこいゲイなのさ」
 言われて、固まった。どう返事したらいいのだろう。優良の思いをさらにかき乱すように、宇野はうすく笑いながら「追っかけるための旅に出るんだ」と言う。
「とりあえず南の方面行きの切符を買ったらしいから、同じ切符を買って、あとは勘で」
「まじすか」
「まじ」
 ゲイって、男が好きって、と優良は頭の中で懸命に考える。仕事を辞めてまで恋人を追いかけるだなんて、ゲイでなくても度が過ぎている。少なくとも、そんな情熱は優良には備わっていない。あっけに取られて「まじすか」の後が続かない。どうこたえよう、と悶々としていると、宇野は「いまのがパターン二な」と指を二本立てた。
 パターン二?
「――へ?」
「三つ目は、故郷のおふくろに介護が必要になった。さて、どれがいい?」
「……こうもからかわれると、正解があるとも思えないんすけど…」
「いや、あんたあんまりいい反応するからさ」
 からからと宇野は笑った。そのほどけた満面の笑みに、優良も笑うしかなかった。こんなに喋る人だったんだな、という発見と、はじめて見た笑顔と。おちょくられたことに対する怒りは沸かなかった。
「――ゆうら」
 突然名前を呼ばれ、びくっとした。
「……さん、って、いかにも今時の名前っぽいよな」
「……あんまり気に入ってはいないんです」
 はは、と宇野は笑った。優良は、自分の名前が本当に好きではない。せめて上の苗字で呼んでくれと思うのに、歳が若いせいか、職場でも「優良、優良」と呼ばれるのが嫌だ。もっとしっかりとした響きの名が良かった。漢字も、これじゃ優等生すぎて名前負けだ。
「俺はさ、一か所に留まりたくねえんだ」
 唐突に、宇野が言った。
「安定が第一と考えるおたくらの世代には考えらんないことかもしれないけど、俺はゆらゆら漂って生きていたいのさ。だから十年はちょっと長すぎた。まあ、あんたがいたのってその十年のうちのたかが三年ぐらいだけど、」
 再び宇野はサングラスをかける。レンズの間の弦を押す、その指が長い。
「あんたの仲間らがあんたの名前呼ぶじゃん。それ聞いてる分にはいい気分だった」
 じゃあな、と言って宇野は先を進もうとする。いい気分だった、と言われたことはない。優良はとっさに宇野の名前を呼んで引き止めていた。
「宇野さん! 本当は、どれなんですか?」
「ああ?」
「辞めた、理由」
「どれだと思う?」
 後ろ向きに歩きながら、宇野は歩みを止めない。本当に行ってしまう。
「い、一番」
「はは」
「ちゃんと正解教えてくださいよ…」
 ひらりと身を翻して、宇野は片手を挙げた。吸い込まれるように駅へと進み、軽やかに、いなくなってしまった。


 後日、親展、と書かれた茶封筒を総務課の女子社員に渡された。社名に優良の部署名、優良の名前。切手の日附印は知らない局の、三日前のものだった。差出人の名前はない。
 不審に思いながら封をあけると、一枚の写真が出てきた。どこまでも青い空、青い海に白い砂浜、それをバックに男が二人並んで立っている。手こそつないでいないがごく親密な距離で肩を触れ合わせ、アロハシャツを着て、麦わら帽子をかぶっている。
 片方の男は知らなかった。強い光の下でも分かる、えくぼが魅力的だ。もう片方ののっぽの男は、知っていた。胸のポケットに挿したサングラスは、見覚えがある。
「……宇野さん、アロハ似合わねえー…」
 先日の黒づくめと言い、この変な柄のアロハシャツと言い、宇野のセンスはさっぱり不明だ。いいんだかわるいんだか。だが二人で笑っている写真を、優良は嫌だと思わなかった。
 もし優良がこの名前でなかったら、果たして宇野はこの写真を送ってくれただろうか。
 同僚に見られぬよう、大事に手帳に挟み、鞄に仕舞った。新年度はもうはじまっている。



End.



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nさま(拍手コメント)
いつもありがとうございます。
そうでしたか!そんな方が!!(見てみたい!笑)
実は、このお話は私の職場の方をネタにしています。勝手にネタにしてすいません、て感じですけれども。
宇野さんは、うちに出てくるキャラクターにしては珍しく、革ジャンだったり、アロハだったりと、色々と着せかえ出来るのが楽しかったです。今頃新天地で仲良くやっていてくれているといいなと思います。
パンケーキ組はせつなかったですね。宇野さんと言い、春は色んな出来事があって、感情がめまぐるしくて、せわしないです。ですがこの季節も結構好きです。そんな短編でした。
拍手・コメント、ありがとうございました!
粟津原栗子 2014/04/02(Wed)08:09:13 編集
プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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