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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 朝食は? と聞いたら「パンケーキがいい」と答えたからとびきりのものを用意した。きみがすきなパンケーキはうすっぺたく、ナッツが入っていて、バターの利いた、ベーコンエッグの添えてあるものだ。たっぷりの生クリームとメープルシロップも忘れない。「このあまいのとしょっぱいのが一度に楽しめるお得感」と嬉しそうに話すから、僕はけっこう練習したんだ。きみ好みのパンケーキを用意できるように。
 三月三十一日の学生寮の朝は不思議と静かだ。今日、残っている卒寮生はいっせいに寮を出てゆかねばならないし、明日からは入れ替わりで新寮生が入寮する。もっと慌ただしい朝であっていいはずなのに、みな眠りを貪っている。――もっとも、卒寮生のほとんどは前もってアパートを決め引越しを済ませているので、最後まで残っているのは僕ときみぐらいだけれど。
 四年間、相部屋で過ごしたきみ。寝起きが悪くて、人に「起こして」と頼んでおいて起きない。まあ今日は、ゆっくりやっていい。寮の共同炊事場で二人分の朝食を用意していると、一階一〇五号室の後輩である西野がのそりとやって来た。
 こいつは大喰らいだ。まずいやつに見つかった、と僕は苦笑する。
「いーいにおい」
「おまえのじゃないよ。俺とハルのめしだから」
「えー、超本格的じゃないすか。おれにも食わしてくださいよ」
「おまえのはナシ。今日は、だめなんだ」
 そう、今日はだめだ。「ハルさんに聞いてくるっす」と僕らの部屋三〇三号室に向かおうとする西野のジャージの裾を慌てて引っ張った。
「おまえが起こすのも、今日は、だめ」
「最後だからすか?」
「まあなー」
 朝食の準備が出来たところで僕は部屋に戻る。二段ベッドの下、ぐうすかと眠っているきみのほっぺたをべちべちと叩いて、「起きろー」と何度も言ってやる。
「お待ちかねのパンケーキだぞ」と言ってやると、きみは目をこすりながらも起き上がった。
「パンケーキ? まじで作ってくれたん?」
「おう、まじまじ」
「鷹野のパンケーキかー」
 それじゃあ起きる、とか、まだねみー、とか、ごにゃごにゃ言いながら眠りに入ろうとする、その頭をまたひっぱたく。
「西野に狙われてっからな。食われちまうぞ」
 それを聞いて、きみはようやくベッドから出た。


 食堂には西野がちゃっかり座っていて、僕らの朝食は西野と同席となった。パンケーキを羨んだ西野ではあるが、「朝から甘いもんはいいっす」と言って自分はベーコンエッグに白米を用意した。きみが、僕の用意したパンケーキにナイフを入れる。バターと、生クリームと、メープルシロップをたっぷりかけてパンケーキを口に運ぶ。なんともあまく、かわいらしい、最高の顔をした。
「んー、あま。うま」
「そうだろ」
「鷹野、店出せるんじゃねえ? パンケーキの店タカノって、」
「表参道に?」と言うと、西野が「だはは」と笑った。
「そりゃ地元に帰って家継ぐよなあ」
 きみがしみじみと言った。まあね、となんでもない風で、僕はパンケーキに目玉焼きを乗せて頬張る。
 僕の家は洋食屋で、地元じゃちょっと有名だ。三男坊だから家を継がなくともよい立場だったが、僕ら三兄弟の中でもっとも食に興味があったのが僕だし、向いているのもまた僕だった。大学は遊び半分で進学させてもらったが、卒業したら家は継ぐ。これは四年前からの約束だった。
 食堂に差し込む朝の光に透けて、きみの茶色く染めた髪がさらに赤く見える。白い肌がまばゆく発光しているように見えて、ぼくは瞬きをした。きみと暮らした四年間、朝食の係は必ず僕で、きみは僕の食事を食べてばかりだった。そのたびにいい顔をするので、きみと同室でよかった、と僕は心から思っている。もちろん、淋しい。
 ただ、この淋しさはきみが僕に抱くものとまた、違うだろう。
 一時間半ほどお喋りをしながらきみと僕と西野の三人で食事を楽しんで、後片付けをした。食器や調理器具の類は、寮の後輩に譲る約束だ。荷物は手荷物を残してすでに実家に送ってある。夕方から行われる送迎会に出席して、夜行バスで僕は生まれ故郷へ戻る。
 ふあ、ときみが大きなあくびをした。
「まだ、ねみー」
「ほんとよく寝るよな、ハルは」
「昨夜ばかみてーに遅くまで飲んで喋ってたのにさー、朝早くてもぴんぴんしてるおまえの方が不思議だよ」
「また寝る?」
「鷹野は?」
「俺はちょっと散歩しようかなって。腹ごなしに」
 荷物はまとめきっているのですることがないのだ。
「ふうん」
「ハルも行こうぜ」
「まあ、鷹野が言うなら、な」
 素直じゃない。ばかめ、と僕はきみの頭をぐしゃぐしゃにかきまわす。猫毛のやわらかな髪。


 よく晴れていてくれて嬉しかった。僕はよく散歩をするので、歩く、となればルートがいくつか候補にあがる。住宅街の中を歩いてゆくコース。これは途中に銭湯がある。川沿いを下って市立図書館で引き返すコース。花の時期や紅葉の季節はもってこいだ。繁華街の裏手を歩くコース。これは夜は少々危険だが、昼間ならけっこう楽しい。人間を観察したいならここを歩く。
 川沿いのコースにした。桜がほころびかけているからだ。きみはスマートフォンのアプリケーションを起動させて、写真をぱちぱちと撮っていた。空、花、傾いた建物。僕にも向ける。日頃はいやがってやめさせるのだが、最後だしいいかと思って、放っておいた。きみはそれを喜んで、何枚でも撮る。
 途中、小さな商店で実家への土産を買った。こちらでよく出回っている、珍しい品種のみかん。五玉がネットに入っていて、ついでに隣に並んでいたキャラメルも求めきみに渡した。
「なに、くれんの?」
「このシリーズさ、覚えてるか? ひでえ味の種類があって、入寮早々おまえが俺にくれたんだ。キャラメルいる? って、パッケージかくして」
 さも無邪気にくれたキャラメルは、たしか黒こしょう味だとかわさび味だとか、そんなのだった。
「あったあった。よく覚えてんな。先輩からもらって、困ってたんだよ俺も」
「面白がってくせに。ひどい味だった」
「鷹野とどんなふうに仲良くなれっかなーって、探ってた頃だ、きっと」
 知らない顔同士がいきなり同室で、はじめは戸惑いも大きかった。きみは僕よりもずっと人見知りが激しいから、はじめは辛かったに違いない。ふざけたキャラメルは、僕らの距離を一歩狭めてくれた。そうやって日々を重ねるうちに一歩、一歩、と、僕らは実に親密な仲になった。
 親友、と僕は思っている。ばかみたいに笑いあい、毎朝なにがあっても朝食を共にした最高の友人。だがきみは違う。相部屋になって一年後、きみは夜、泣きながら僕のことが好きだと告白した。ごめんな、気持ち悪いよな、でも好きなんだ、ごめんな、ごめん、と。
 嫌だとは思わなかったが、だからと言って付き合う方向へは向かなかった。あのことは忘れて、と朝、きみが言って、僕はこのことを胸の内に仕舞っておくことにした。恋心に気付かないふりで、親友の体で。僕はきみにひどいことをしてばかりいた。恋ではなかったけれど、きみとは本当に、一緒に暮らせて毎日がたのしかった。
「ハルは楽ちんだな」と僕はきみに言う。
「引越しがなくて、楽」
 きみは、大学に残る。大学院に進むのだ。
「でもな鷹野、俺は緊張してんだよ。明日から相部屋になるやつどんなのだー、って」
「人見知りだもんな」
「そうそう、人見知り」
「いいやつが来るさ。あ、いっそ西野と相部屋になったらどうだ?」
「ごめんだ、あんなデブ。部屋の湿度があがる」
 ちがいない、と僕らは笑い合って、桜の咲き始めた道を辿る。


 部屋に戻ると、昼を少し回っていた。昼寝をしたい、とあくびをすると、きみは「俺のベッドつかっていーよ」と言った。僕の布団はすでに実家へ送ってしまっている。
 少し間ができる。僕は頷いて、「一緒に寝るか?」と訊いた。
 最後だから。
「腕枕でもしてやろうか」
「ふざけんなよ、ばか」
「ハルは? 寝ない?」
「俺ちょっと、買い物」
 そう言ったが、部屋を出てゆく気配がない。どうも、見られている気がする。きみのベッドを拝借したが落ち着かず、僕は「やっぱり一緒に昼寝するか?」と訊いた。
「……いや、鷹野が寝てる姿を見るのも多分これが最後だろうと思ったから、見てる」
「悪趣味だぜ、それ」
 部屋の内鍵をかけてしまえば、そうそう飛び込んでくる失礼な輩もいないだろう。「来な」と言うと、きみは数秒ためらってから、ベッドへ潜りこんできた。
「鷹野、ひでえ」
「うん」わかってる。僕のこの行動が、どれだけきみを傷つけているか。
「……俺がおまえにキスしたい、って言っても、今日は拒まねえんだろ」
「……かな、」
 途端、きみはみるみる泣きそうな顔をした。頭を掴んで、引き寄せる。「あー泣くな、泣くな」と幼い子をあやすように背中を撫でてやる。
「鷹野の、ばーか」洟をず、とすすり上げてきみは悪態をついた。
「すきだよ」
「ああ」
「鷹野、すき」
「うん」
「すきでたまんないんだ……なんで遠く行っちゃうんだよ」
 僕の胸の中で、きみは泣く。僕は背を撫で、髪に頬ずりをする。
 でも気持ちには応えてやれない。僕にとってきみはそういう対象ではなかった。ただひたすらにかわいかった。恋愛感情ととらえられなくても、愛情は、きみに対して人一倍強く感じていた。
 惜しい、けれど、今日で別れる。僕の愛情は、しょせんその程度だ。僕がそうしたいからきみを甘やかしている。僕がこうしたいから、いまこうしてきみの髪に触れている。
 きみは失恋をする。端から失恋だったのを、ずるずると今日まで先延ばしにしていた。僕は、楽しかった。ちょっと優越感もあった。そして、嬉しかった。きみに会えて。
 いつか僕にもきみにも、今日よりもっと大事な日や人が現れる。他人と感情やスペースを共有することを、自らの意思で選んで、守りたいと思う日が来る。そうしているうちにそれが当たり前になって、摩耗して、いまある純粋な感情を忘れてゆくのかもしれない。そうやって大人になって、今日のことを思い出しても、胸も痛まない日が来るのかもしれない。
 でも今日の日は、僕が生きてきた二十二年間で一番淋しいし、悲しい。きみは僕以上に感受性が豊かだから、泣いているのが、可哀想で、愛おしい。
 いま二十二歳の僕らが感じている思いをいつまでも抱えていては、大人になれない。でも僕は、忘れたくないと思う。今日を、いまを。
 だからきみ、もう泣くな。僕らは確かに共にした、時間を、感情を、こうして抱きしめあうことを。


End.





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成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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