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七月三十一日が迫ると、胸が高鳴る。一週間も前からそわそわして落ち着かなくなる。まだ今日は二十九日、明日が三十日で、と、指折って数える。表現でなく。
今年も鳴るだろうか? と家の固定電話を見つめる日々。有宏は携帯電話を持たぬ主義だから、三ツ井から自分への連絡手段はこれに限られる。住所は教えていないし、メールアドレスも作っていない。徹底的に俗世間から離れたくてこうしたのだが、世間一般はこういう時いくつも通信手段があって、こんな祈るような気持ちにはならないんだろうな、と想像する。
電話は、七月三十一日の正午と決まっている。それよりも少し遅れる場合はあったが、早まったことはなかった。遅いと、今年こそだめか、と絶望する。心臓が痛くてたまらない。
今年の七月三十一日は平日だった。あの頃のまま勤めを辞めていなければ、あるいは変えていなければ、商社のサラリーマン、三ツ井は昼休憩に入るかどうかという頃だろう。固定電話の前でうろうろしていると、やがて、ラジオから正午の時報が届いた。少しして電話が鳴り、飛びつくように応答した。
「――は、はい、有宏です」
『今時、電話の相手が名乗らないのに自分から名乗るのは、不用心だよ』
聞こえた先から身体がじんと痺れ、融けそうだった。三ツ井の声など普段は思い出そうとも思い出せないのに(だって年に一度のことだから)、身体は覚えている、と実感するのはこの時だ。優しくて耳に心地よい、三ツ井の低音。
『それともおれからだから?』
「……」
『冗談。からかっただけ。……ご無沙汰しています、三ツ井です』
と、丁寧に三ツ井は仕切り直した。はい、ご無沙汰しています、と有宏までなぜか敬語をつかってしまう。
『――今年も、行っていいか?』
「……うん」
待ってる、と言いたかったが、有宏からはそんなこと言えなかった。
毎年八月七日の一日だけ、三ツ井は有宏の元へやって来る。過疎化の進む超のつく田舎の、この町へ。バスの路線はほとんどないので、車を運転してやって来る。毎年車種は違う。わ、がナンバーにつくのはレンタカーだからだと、三ツ井に教えられるまで知らなかった。
八月七日という日取りは、祭りの初日でもあった。この辺りでは旧暦に合わせた七夕まつりを、八月に行う。日は祝祭日に合わせず、七月七日の一ヶ月遅れである八月七日と決まっている。高齢化が進む町だが、地域の無形民俗文化財がどうとかいう理由で、規模をなんとか保ち必ず開催される。
この町で生まれ育っている有宏は、子どもの頃から、この祭りが楽しみだった。この日だけはどんなわがままも許されたからだ。あれ買って、これが食べたい。つかれた、おんぶして。まだ両親も祖父母も健在の頃だった。日頃忙しいという理由でろくに構ってもらえなかった有宏は、普段から大人しく、優等生でいた。この日だけは自分のことを見てくれる、という日の存在は、有宏の中で大きかった。夏休み、屋台からしょうゆの焦げたにおい、お囃子の音、夕方になれば灯る灯篭。夜通し踊り狂う踊り連。祭りの記憶は、どれもこれも懐かしく大切だった。
だから大人になっても、八月七日だけは特別な日。この日三ツ井は、有宏を抱いてくれる。一年に一度、有宏が望んだからこそのペースと機会だ。こんなことをもう九年も続けていて、有宏にも訳が分からなくなっている。自分はどうしてそれを望んだかな、と思う。遠く若く青かった自分の思考を、無茶を、恨めしく思う。
毎日毎朝、あるいは毎晩、あるいはふと思い立つ瞬間、三ツ井が傍にいてくれたらいいのに、とずっと思っている。
そのたびに「自分で決めたことだから」と言い聞かせてきたが、いまやもう、限界が近い。会いたい、という気持ちだけが純粋化して、そればかり考えている。三ツ井はどうだろう。こんな生活、もう飽き飽きしているんじゃないか。こんなばかげた約束を――三ツ井の誠実を疑い、そのたびに自己嫌悪に陥る。
今年も来てくれると言ってくれて良かった、と電話を終えて、安堵する。
会った時……絶望されたりなんかしないか、少し、不安。
八月六日のうちから忙しい。町の中心部までわざわざ出て、遠くてあまりつかわない大型スーパーで買い出しをしておく。日用品から生鮮まで、もし明日三ツ井が来てなにか要望を口にしても(たとえば腹が減ったとかトイレットペーパーが切れてる、とか)、一歩も外へ出なくてもなにも困らぬように。布団は陽に当てておく。家じゅうの掃除をし、洗濯もする。汗だくになりながら、そんなことで、ほぼ一日終わる。
翌日は、朝のうちにシャワーを浴びる。と、庭に車が入ってくる音がした。続いて引き戸をあける音と、「こんにちは」の威勢良い声。髪もろくに拭わず、慌てて着替え、玄関へ飛び出す。
長身でがっしりとした体躯の三ツ井が、穏やかに微笑んで立っていた。去年より髪は短く刈られ、体格の良さから、Tシャツとジーンズがこんなにも似合う。濡れ髪の有宏を見て、三ツ井は「なんだ、風呂入ってたのか」と言う。
「朝風呂。豪華でいいな」
「三ツ井、外は暑かっただろう」
「車内はクーラーかけてきたから平気。こっち来たらさすが田舎で、涼しいしさ。……でもやっぱりちょっと、暑いな」
「あがってくれ」
三ツ井を居間へ促す。縁側を開け放っているから、家の中で(北向きの納戸を除けば)いちばん涼しい風が通る。三ツ井は「土産」と言って途中のSAで買い求めたらしい包みを寄越した。中にはパック詰めのあんみつとわらび餅が入っていた。
「夏には、いいだろ」
「ぴったりだ」
すぐ冷蔵庫へ入れる。三ツ井は「あーつかれた」と言ってその場に寝転がる。ここまで高速道路をつかって二時間半かかる道のりだ。無理はない。
寝転んだ三ツ井に「なにか飲む?」と訊くと、三ツ井はじっと有宏を見上げた。
「……」
「……なに、」
「疲れたから、膝枕して」
とんでもないことを言う。早く、と促され、戸惑いながらも座った。正座を崩したような格好になると、三ツ井は身体をずらし、太腿に頭を預けてくる。
チノパン越しに、三ツ井の耳が当たる。じわじわと熱くなる。
「あー、気持ちいいー……」
そう言って三ツ井は目を閉じる。風が通り、金製の風鈴がちりりと音を鳴らす。
有宏は、三ツ井の横顔をじっと見下ろした。短髪、額からくっと切れ込んで、そのままくっきりと流れる鼻筋。やや厚みあるくちびる。顎から首、肩へと、眺めおろしてゆく。髪を撫でたいと思ったが、有宏の手はじんと痺れて動かない。
その代わりに、「しないの?」と訊いた。三ツ井の目がそっと開く。
「――早くしたい?」ごろりと寝返りを打ちながら、三ツ井が訊く。上を向いた三ツ井と目が合い、とっさに視線を外した。
「おれと、したい?」
「……」
「ごめん、冗談。最近さあ、どうもしつこくなる癖が出てきてさ。これも親父化してるってこと?」
「まだそんな歳でもないよ」
「いや三十歳超えちゃったら焦りますって。有宏はない? そういうこと」
「僕は……よく分からないな」
一人暮らしで、自分のことにはとことん関心が薄い。三ツ井の手が有宏の額に伸びた。撫でられる。
「髪、もう乾いた」
「……」
「……無駄口言ってないで、早く布団、行こうか」
待ちきれない、と三ツ井は笑った。待ちきれないでいるのは有宏の方だ。
三ツ井とは大学時代に、付き合っていた。たった三ヶ月だけ。別れを申し出たのは、有宏からだった。
大学四年、就職だ卒業だと言っている時期だった。短期間で「別れたい」という有宏に、三ツ井は「なぜ?」と問うた。
「どうした? なにか、あった?」
「なにもない……別れてくれ、頼む」
「なぜ? おれたちうまくやっていたよな? おれのこと、急に嫌いになったわけじゃないだろう?」
「――耐え切れない」
そう口からこぼすと、涙がすっと一筋頬を伝った。三ツ井は驚いた風に、ぎくりと動きを止めた。
「不安が……いくつも沸いて出てくる」
「……言ってみな。全部、聞くから」
「……母さんに言えない。大学でつきあっていたのが男だなんて、男が好きだなんて……僕の故郷は田舎だから、ばれたら、すぐに広まる。偏見の目で、」
有宏の祖父母は、その頃には亡くなっていた。父も急な事故で早死にし、残っているのは田舎の大きな家と畑と母ひとり。兄弟はいない。卒業したら、否が応でも田舎へ帰らねばならなかった。
うん、と三ツ井は頷いた。眉根がきゅっと寄っている。
「……それから?」
「人を好きになることがこんなにつらいことだと思わなかった」
奥手な有宏にとって、はじめて本気で人を好きになって、付き合ったのが三ツ井だった。恋を喜びだとは思えなかった。たとえば三ツ井が誰かと話しているだけで、置いて行かれたような気になって、ものすごく淋しくなる。嫉妬もする。僕だけを見てほしいと思うのは、子ども時代に厳しくされた反動だろうか? 三ツ井とふたりでいても、常に不安が付きまとう。この人は本当に自分を好いてくれるのか、自分に自信がなくて。
携帯電話を、四六時中気にしてしまう。三ツ井からメールは来ないか、着信はないか。ふたりでいる時、三ツ井が携帯電話を構うことさえ許せない。いっそこの二つ折りの携帯電話をぱっきりと反対側へ折って、海へ投げ捨てたいような気にさえなる。
慣れない就職活動の疲れと、卒業論文へのストレスもあって、有宏はひどく弱っていた。恋人の存在は、強い味方にはならない。ひとりになりたかった。
有宏の言葉をひとつひとつ真剣に聞いて、三ツ井はため息をついた。
「――そうだよな、有宏はいつも、おれに緊張してるもんな」
三ツ井の手がそっと頬に伸びる。涙を拭おうとする手に、びくりと身体がこわばった。三ツ井も手の動きを止める。
手は、そのままコートのポケットに収まった。強引に触れてこない手に、自分から拒絶しておいて、失望する。
「じゃあ、こうしよう。年に一回だけ、おれが有宏に会いに行く。それなら許してくれる?」
三ツ井の提案に、有宏は目を瞬かせた。
「有弘は田舎に帰るんだろ? おれは就職先がこっちだし、ちょうどよく、離れちまう。だから、年に一回だけ、恋人になりに行くよ。他はなんにもしない。メールも、電話も、手紙も送らない。普段はおれのこと忘れて過ごして。それで年に一回だけ、思い出して」
「……」
「おれのこと、遠ざけるほど嫌いになったわけじゃないだろう?」
「好き。……だから、苦しい」
「うん、有宏はそれでいいよ」
優しく三ツ井は頷いたが、ずいぶんといびつで不器用なやり方だと思った。無理があるのは、はじめから分かっていた。それでも一年に一度だけの恋しか、自分には出来ないのだと思った。
もっと器用だったら良かった。そうしたら三ツ井と素直な恋人同士でいられたのに。
会うならいつがいい? と言われて、八月七日を選んだ。特別な日に、特別な恋をしたかった。
田舎に戻って六年目に、母も亡くなった。晴れてひとりぼっちになって、有宏は携帯電話も捨てた。
歳を重ねるごとに、重圧がひとつふたつとなくなっていく。いまどうしてこんな歪んだ関係を続けているのかなと、不思議に思う。
→後編
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