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それから三崎は、村上の元へ足を運ぶのをやめた。村上の家に置きっぱなしの荷物はほったらかし、必要なものは新しく買い足して、元通り自分のアパートで生活をした。眠れない夜でも、野口にはコールしなかった。ましてや村上に連絡など、取れるはずもなかった。
仕事に出かけ、帰宅し、くたびれた身体をつめたいベッドに横たえる。心臓は唸り、不眠はひどくなる一方だった。やはり医者にかかるべきなんだろうな、とスマートフォンで近くの心療内科をサーチしてみたが、行動には起こさなかった。すべてがだるく、頭に靄のかかる日々がまた、やって来た。判断力が鈍り、思考が霧散する。
村上からはなんのメールも、電話もなかった。否、一度だけメールが入っていた。それはたった一言で、「眠れているか?」だった。三崎は返信をせず、ため息をつく。村上とした二度のキスを思い出し、身体の大きさを想い、声を反芻した。村上のあの声を聞きたいけれど、それは純粋に眠りたいからではないことぐらい、分かっていた。欲望だ。三崎は村上に抱かれたいと思っている。あの逞しく長い腕に絡め取られたい。その、なんと強欲なこと。
村上が三崎をなんとかして休ませようとした、純粋な思いとはまったく異なるのだ。それは不誠実であるような気がした。卑怯だと思った。たとえばいまからでも、三崎が「眠れない」と言って村上の部屋へ行けば、きっと村上は、傍にいてくれるだろうから。
眠れないよ、と三崎は心の中で村上に答える。
眠れない、傍にいてくれなきゃ。
長いあいだ不眠と一緒にいるから折りあいぐらいはついていた。共存、というやつかもしれない。眠れない日が続く時は、思い切って休みを取る。できるだけリラックスする環境を整える。そうやってだましだまし日を過ごして、いつの間にか、二月も半分ほど終わっていた。
職場の、新刊雑誌コーナーを三崎は整えていた。前号から汚損防止の透明カバーを外し、それを新刊にかぶせる。古い号は書棚を移し、旧本コーナーに置く。普段は三崎より年下のアルバイトがやる仕事だったが、彼女がインフルエンザで休んでいるからこその作業だった。
一冊のカメラ雑誌を手に取る。同じように旧本からカバーを外し、新号に掛けかえる。それをなんとなくぱらぱらとめくったのは、この雑誌を以前、村上が読んでいたことを覚えていたからだ。写真家のエッセイが載っているのもこの本だった。プロカメラマンの特集記事がはじめに並び、続いてエッセイなど読み物があり、各種カメラの批評が載って、最後の十数ページは読者からの投稿写真が評とともに掲載される。膨大な量の視覚情報、その中に、見たことのある人物を写した写真が載っていた。よく知っている、三崎自身だった。
驚いて、まじまじと記事を読む。読者の投稿コーナーで、一ページをまるまるつかって載った写真には「一等」の評がついていた。投稿者氏名は村上士信。年齢と都市名も載っている。間違うことなく、村上だった。
雑誌の中の三崎は、目を閉じうすくくちびるをひらいて、眠っている。毛布から半分身体を出して、陽の光に当たっていた。濃い陰影。ほのあかるく発光する頬や首筋。いつ撮られた写真なのかさっぱり分からない。ただ、村上が「あの声」で朗読してくれたからもたらされた睡眠なんだろうな、ということは容易に想像がついた。部屋の様子は、よく知っていた。なめらかにかけられた毛布の柄も、間違えようがなく覚えている。村上の部屋だ。
こんな顔で眠るのだ、という発見があった。こんな姿を、村上には見られていた。自分でも眩しく思う寝姿で、三崎は安心と不安を、同時に思う。こんな風に映っているのなら、村上が三崎をクリーンだと勘違いするのも無理はない。会いたい、会って声が聞きたい。囁かれたい。三拍子のリズムで、穏やかに、甘く。
つい雑誌に魅入ってしまった三崎の肩を、誰かがとんと軽く突いた。びくりと身体がこわばる。三崎を突いたのは先輩司書で、「カウンターにお客さん見えてるけど」と告げられた。
立っていたのは縦に長い影。村上本人だった。
髪が前より伸びていて、うざったい。無精ひげも生えていた。三崎を見てわずかに首を傾げ、それから彼は手にしていた紙袋を三崎に寄越した。中身を改める。まさにいま、三崎が夢中になっていたカメラ雑誌だった。
「そこに写真が載ってる」と村上は言った。
「あんたの写真。勝手に写して投稿した」
「知ってる」
もう見たから、と答えると、村上は「そうか」と頭を掻いた。
しばらくの沈黙の後に、しっかりと正面から、三崎を見据えた。
「逃げんなよ、三崎」
「……」
「逃げんな」
村上のその台詞には、三崎は「うん、ごめん」と答えた。村上はふっと息をつき、わずかに微笑んだ。
「眠れているか」と村上は訊いた。三崎は首を横に振る。
「眠れていない」
「だろうな、隈がひどい」
「村上じゃなきゃだめなんだ」
そう言うと、村上は細い目を少しだけ大きくしてから、うん、と頷いた。
「村上じゃなきゃ、だめだ」
観念して三崎は言う。ここが職場でなければ、いつまでももっとだって話をして、声を聞いていたかった。
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写真を撮ることで相手への愛情とする行為が好きで、わりとよく書いている気がします。村上くんが投稿した雑誌は言わずもがな某有名カメラ専門誌ですが、私はあれをほぼ毎号眺めていて、とりわけ読者からの投稿コーナーが好きだったので出してしまいました。村上くんの愛情の深さ、です。
逃げても追いかける村上くん。作者としては「頑張って!捕まえて!」という気持ちでした(笑)
本日でラストです。最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
拍手・コメント、ありがとうございました!
「丁寧」「繊細」な表現とはよく言われるのですが、「色気がある」とは滅多に言われません。なにか「妖しい」とか「魅力がある」といった表現に憧れているので、「色気」は嬉しかったです。
写真誌を好きでよくめくっています。読者の投稿コーナーは本格的で、審査員の評がつくのですが、どういった人たちがこういう写真を撮って送るんだろうな、というのはいつも想像していたことでした。主婦でも、会社員でも、もちろん引越し屋のアルバイトでも、写真を投稿しているのかな、というのが今回のお話です。「一等」を取るのは本当に大変だと思われます。村上くんの愛情の深さですね。
三崎くんは、思わず撮らずにはおられなかった寝顔をしていた、そのことが伝わったようでほっとしています。
睡眠障害、入眠障害、つらいものですね。私自身にも経験がありますので、村上くんの声は一体どんなだろうかと想像するのが楽しかったです。
本日でひとまずラストです。お付き合いください。
拍手・コメント、ありがとうございました!
まとめてで申し訳ないと思いつつ、お返事をいたします。
この夜1:三崎くん、なにが起こったのかさっぱり、だったでしょう。知らない男が隣で眠っていればそう思いますね。
まとめ読みが楽しい、という気持ちも分かりますwなんだか宝の山を探り当てた気分になるなあ、と私などは思っちゃいます。
この夜2・3:村上くんの細い目のモデルは特に誰という人がいるわけではありませんが、アジアの女優さんや俳優さんなどを見ていて、素敵だなと思ったから加えた設定でした。気に入っています。
この夜4:Beiさんの仰る通りだと思います(笑)三崎くんは常に頭に靄にかかる感覚があって、行動に起こしてから我に返るパターンが多いのかな、という気がしています。覚醒する時がない。しかし眠りにくい。不眠は生まれつきの体質、みたいなものと捉えています。
この夜5・6:「逃げる」は樹海の常套手段とでも言いましょうか、肝心なところで回れ右をするキャラクターが多いです。意気地ないところが好きですみません(笑)
ようやく更新に追いついて頂けて、ようこそ!という心持ちです。本日夕方、ラストになります。どうかお付き合いください。
ひとつひとつが面白くて大変励みになりました。ありがとうございました!
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
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暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
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短編「さきごろのはる」
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