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たかだか朗読で、と高をくくっていたが、村上の朗読は確かに上質で、三崎はすっかり眠ってしまった。朝、すっきりと目覚め、隣ですうすうと眠る村上を見て、三崎は、嬉しかった。健全であるように思えた。村上が、心底ありがたかった。野口とのセックスは悪くないものだったけれど、一生こうやってでしか眠れなかったらどうするんだろうな、という不安はないわけじゃなかった。それは気が遠くなる、漠然とした、具体的には口に出来ない類の不安で、付きまとわれていい気はしない。それが解消したように思えた。(もっとも、村上の声を失ってしまったらまた眠れなくなるのかな、とも考えたが。)
村上が「いいよ」と言ってくれたので、三崎はなんの不自由もなく、村上の元へ通った。毎晩、朗読してもらった。職場から本を選んで持ってきて、村上に読ませた。ベストセラー作家の処女作、児童向けの童話、短歌集、古典、哲学、なんでも読ませた。
寝場所を共にすることは、ほぼ、家に帰らないことと同義になった。村上の家には三崎のものが増えていった。まず着替え。歯ブラシ、シェーバー。気に入りの入浴剤。本、DVD、三崎の部屋でかろうじて育てていた多肉植物(野口が、いつか飲みに出かけて酔っぱらって買って寄越した)も村上の家に移した。夕食、朝食も共にして、昼食も、余裕があればふたり分の弁当を詰めた。洗濯は村上の部屋で一緒にまわしてしまう。
村上の朗読も良かったが、話すのも楽しかった。適当に言い散らかしているだけで、お互い、収集をつけようとしないのがかえって新鮮で良かった。なにより、考えずに済むのが楽だった。野口といるより断然楽で、それはやはり、野口の彼女に対する後ろめたさみたいなものを薄々感じとっていたせいだろうな、と思った。
あ、そういえばもう二十日もセックスしてない。それを乾燥状態というのか、安らぎというのか、よく分からないが、すっきりと眠れればどっちでも良かった。いつの間にやらもう年末で、今年はいつ帰って来るんだ、というメールを弟から受け取って、なんだか我に返った。村上の部屋は静かで、クリスマスのきらめきも、年始へ向かう慌ただしさも、感じられなかった。
村上の、自由な暮らしを好ましいと思った。なんにも縛られずに生きている。「ずっとバイトでいいさ、楽だから」と言う引っ越し業者の仕事は性にあっているようだったし、ふらりとネコと散歩に出かけては空の写真を撮って帰ってくる、気ままさ、みたいなものに憧れすら感じた。交友関係は少ないようだったが、ひとりが平気、という人間はいる。おそらく村上はその類で、ネコ一匹との暮らしを芯から楽しんでいるようだった。ストレスフリーな生き方。だからこそ出せる上質な声音。三崎にとっての安心そのもの。
実家に帰るのは面倒くさいな、と受け取ったメールを眺めながら呟くと、村上は「正月、休めんの?」と訊いた。
「正月は休館するよ。休みはある。忙しいのは、蔵書点検の時期かな。三月」
「あー、三月っておれもめったくそ忙しい」
「引越し屋ならそうだよね」
「そうそう。どっか、行く?」
ベッドでふたり寝転んで、好き好きに話を転がせて遊んでいた。話の方向が具体的になって、三崎は隣の村上を見た。
「正月。初詣とか」
「ふたりで?」
「誰か誘ってもいいぜ。どうせこの分だと、あんた、この家で寝正月だろう」
それはその通りだと思った。実家に帰らなければ、自分の部屋にも帰りはしない。せいぜいが郵便物を覗きに行く程度。村上の部屋で年越しをするつもりはなかったが、帰らないということは、つまりそういうことだった。
「野口先輩でも誘って、どっか詣でようか」
「先輩はこの時期必ず実家に帰るから、多分呼んでも来ないよ」
「じゃあふたりでいいか。あ、そうそう、ここ行きたいと思ってた」
村上は雑誌を取り出して、ページをめくる。旅雑誌で、表紙には地元・Sの名があり、特集を謳っていた。雑誌に掲載されるような場所へ行くのは面倒だな、と思った。Sなら近場ではあるけれど、わざわざ出かけたくない。
村上が指差したのは、一ページの四分の一にも満たない小さな記事だった。写真のほかに紹介文が三行ほどあるだけだ。Sにある有名な神社の参道をくだった傍にある、銭湯の記事だった。
「元旦でも営業してるの?」と三崎は村上に訊ねたが、村上は「さあ?」という顔で首を傾げた。
「営業してなかったら寄らずに帰ってくればいいし、営業してたら入ればいいんじゃないのか?」
「Sって寒いよね。ここら辺より気温が二・三度下がる」
「行きたくないか」
村上は細い目をさらに細くして、微笑む。子どもみたいにだだをこねているだけの三崎を、そっと笑っている。三崎も微笑んで、首を横に振った。行きたくないわけじゃない。
「行く」
「決まりだな」
「何時ころ出かける?」
「起きてから決める」
そういう自由なところを、いいと思った。
S駅へ行くのに、最寄駅から二十分ほどかかる。超える駅はみっつ。車で行ってもちょうどよいドライブになる距離だ。元旦の朝に目が覚めて、同じく目を覚ましていた村上と視線が絡んで、彼が「行こうか」と微笑んだから、午前中の電車に乗った。車内は空いていて、向かいの席には四人組の大学生が座っていた。行先は同じくSだと、聞こえる会話から分かった。
電車に乗っている間ずっと、村上としたキスを反芻していた。
目覚めて村上が微笑んだ時、なんて幸福なんだろうと思った。自然に三崎も微笑んでいた。吸い寄せられるようにくちびるを重ね、うすい弾力に酔い、二・三秒遅れて肌が粟立った。途端、我に返る。しまった、キスをしてしまった。なんて言い訳しようと思っていたのに、くちびるを離した村上の台詞は「行こうか」だったから、深く考えるのをやめた。
なぜキスをしたか。もちろん、好きだからだ。空ばかり撮る村上の目線の先に自分がありたいと思った。ほかの誰かを向くなんていやだと思った。寝る前の上質な声色だけに惚れたわけじゃない、と隣の大きな身体を意識する。恋に落ちた瞬間はきっと、村上のごくシンプルな「おやすみ」で、三崎をやすらかに休ませようという行為が嬉しかった。
電車に乗っている時間をとても長く感じた。ずっとこうやって村上と隣りあって揺られていたかった。
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