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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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「明日早いから」と野口が言って、会は早々におひらきになった。街の雑踏の中で、三崎は途方に暮れる。どこかその手の場所へ行って一晩の相手を探せば、眠れるだろうか、と考える。でもそんな発想は、三崎にとって、現実的なものではなかった。また家に帰るだろう。帰って、眠りづらい夜を過ごすのだろう。
 確かにこのままじゃいけない。不眠を扱う心療内科か精神科、そういうところにかかるべきなのかもしれない。
 ぼんやりと考えながら歩いていると、後ろから「三崎」と声をかけられて、三崎はゆっくりと振り返った。
 村上が、立っていた。
 ダークグレイの長い上着と、タイトなジーンズは、村上の身長をますます長く見せていた。「帰りか?」と訊かれ、なにを言おうか迷って、結局ただ頷いただけだった。村上は「そっか」と笑い、「おれも帰り」と答えた。
「私服で通ってるの?」
「そう。ロッカーがあるから、そこで着替える。あ、ごめん、シャワーは浴びてないから、汗臭いかも」
「冬だし、そんな気にならないよ」
 なんとなく、前に進みづらい。帰るのがいやなのかもしれない。どうせ一晩眠れない――ため息が出る。
 村上が「うち、来る?」と訊いた。
「え?」
「眠れてるんなら、来る必要もないけど」
「行っていい?」
「いいよ。あ、ネコいるけど、平気か?」
「平気……」
「じゃあ、来いよ」
 こっち、と村上は横手の道を指差す。
 古い住宅が立ち並ぶ中にある、平屋の一軒家だった。「持家?」と訊いたが、それはないだろうな、と思った。案の定、「借家」という。「ネコも住める物件探してたら、こんなところになった。古いけど、気に入っている」とのことだった。
「ネコ、名前は?」
「ブチ」
「安易だ」
「分かりやすい方が馴染むさ」
 点々と続く庭石を渡り、鍵をあける。主の帰宅を待っていたのか、脇から出てきたネコは、確かにブチ猫だった。白地に黒地。瞳が金色。ホルスタインにも見える。
 村上が屋内の電灯をともす。と、三崎は目を瞠った。
 部屋の壁という壁に、プリントされた写真が貼られている。マスキングテープで無造作に貼られているそれは、すべて空に関する写真だった。青空、星空、雷雲、夕暮れの電信柱、虹、月。撮ったのか、と訊くと、村上は頷いた。
「おれの趣味。前は雑誌に投稿してたけど、いまはもっぱら、家で楽しむ用」
「カメラ、いつも持ち歩いている、ってことだよね」
「そう」
「空だけ? 人物とかは?」
「人物はあんまり得意じゃねえな。好きじゃないのかも、人間のことが」
 家の壁に、空がある。それはとても幻想的で、壮大で、純粋に感動した。一枚いちまいを熱心に眺める。そのあいだに、村上はシャワーを浴びに消えた。
 空ってこんな色をするんだな、と思った。村上にはこんな風に映るんだな、と。自分はどうだろうかと考えてみるが、空など見あげた記憶はほとんどない。青色をしている、ぐらいの貧困な発想しかなかった。
 夢中になっていたおかげで、村上がシャワーから上がったことに気が付かなかった。首筋にぺとりと冷たいものをあてられて、びくりと身体がこわばる。それは瓶に入ったサイダーだった。
「それとも酒やあったかいもんの方がいいか?」
「いや、いい。ありがとう」
 瓶に直接口をつけ、サイダーを飲む。本当に古い家だな、と、三崎はようやく写真以外に目を向ける。居間兼台所と、他に部屋がふた部屋。いちばん奥が村上の寝室になっているようだった。部屋と部屋はふすま障子で仕切られている。いまどき、ふすま、というところが古さを感じさせる。
「おれとあんた、席が上下してたの、覚えてない?」唐突に、村上が言った。
「……そうだっけ、」
「三崎、村上、で、おれがあんたの後ろだった。あんた、学校に来てるか来てないかよく分かんなかったけど、テストだけは受けただろう。いままで空席だった前の席が、テストのときだけ埋まるんだ。それをよく、覚えてる」
「……」
「もっとも、それだけだな、あんたとの思い出っていやあさ、」
 三崎にはそんな思い出すらもない。高校のクラスメイトで覚えている顔は、ほぼない。担任ですらあやふやで、思い出せるのは、保健室と、保健室の窓際に飾ってあったゼラニウムの鉢と、学ラン姿の野口ぐらいだった。この身体も学ランを着ていたのかな、と目の前にある大きく長い体躯を眺める。風呂あがり、村上は薄着で、筋肉質な腕や、背筋、すっと切れ込む腰つき、性器のふくらみなんかが服の上から分かった。
 じわ、と腹の奥底から性欲がしみ出した。気がした。
 もっとも、村上にそんなことは告げない。そういえば村上は三崎の不眠を知っているが、野口とセックスしていることは知っているのかな、と思った。野口からは喋らないだろうが、自分はどうだっただろう。あの夜、喋ったのか、喋らなかったのか。仮に野口との関係を知られていれば、気持ち悪いと思われやしないか。あるいはセックス込みで今夜誘われた可能性もある。知られていなかったら、余計な情報を与えたくない、と思う。脳内がねじれそうだ。こんがらがる……面倒になり、考えるのを、やめる。余計なことを考えるから眠れないのだ。
 村上が「おまえも風呂入って来いよ」とタオルを投げつけて来た。新品と思われる下着と毛玉のついた部屋着も丸め込まれている。
「めしは?」
「いい……」
「おれはまだだから、食ってる。ゆっくりあったまって来いよ」
 また糸のような瞳をされて、三崎はなんだか居心地の悪さを感じた。廊下を進むと、三崎と入れ替わりにブチ猫が部屋に入って来た。ふすまの向こうから「なあんだよ」「寒いか」という、村上の甘ったるい声が聞こえた。
 村上の言う通りに、シャワーをゆっくり浴びた。下着や部屋着は、案の定、大きかった。身長、いくつだろうな、と考える。野口は三崎と似たか寄ったかの体格で、服の貸し借りも、頭を悩ますことなく行えた。
 洗面台の吊り鏡の脇にも写真が貼られていた。夕闇に赤信号が灯っている。上ばっかり見て生きてるんだな、と思った。あの細い目に映る世界。
 着替えて戻ると、村上は寝室にいた。ベッドに背をもたせ、ネコをあぐらに載せて、雑誌をめくっている。カメラの専門誌のようだった。今度は三崎の方から声をかけた。「ごはん、もう食べたの」
「食った」
「なに食べた?」
「インスタントラーメン」
「そんなの、夕飯って言わないよ」
「腹が膨れりゃいい」
 言いあっているうちに、こんな風にしていつかも会話をしたような気がしてきた。きっとあの、記憶をなくすほど飲んだ夜だ。そっか、楽しかったんだな、と分かった。三崎は微笑む。
「寝るか?」
「うん」
「本、選んで」
 言われて、三崎は笑った。寝る前に本を読んでもらった記憶が、三崎にもあった。小学生に上がるよりずっと前、幼稚園生よりも下かもしれない、そのぐらいのころ。三崎が楽しそうにしているのを、村上も微笑んで見ていた。三崎は「それでいい」と指を指す。さっきまで村上が読んでいたカメラ雑誌。
「いちばん難しそうなところ、読んで」
「ふ、」
 村上のベッドに潜りこむ。村上も当たり前のように隣に潜りこんできて、それが安心だった。ベッドは多少狭かったが、野口の部屋だってそう変わりない。狭さが落ち着いた。ベッドから濃く村上のにおいがする。いやなにおいではなかった。息を吸い吐きし、身体の位置や向きを落ち着かせると、三崎の方から「読んで」とねだった。
 村上は部屋の明かりを絞り、ベッドサイドのスタンドだけ明かりをつける。
「――連載第二十四回、コタニマコトの、旅の話をしよう。さて、十二月であるが――」
 聞きやすいと思える個所を選んでくれたのだろう。村上が読んだのは、写真家のエッセイだった。三拍子、と三崎は思う。歌うように流れてゆく声、それはまるでワルツで、身体がふわりと浮く。
 低く、なめらかな、上品な声をしていた。心地がいい。たとえば舌の上で甘くとろける濃厚なチョコレート。たとえば丁寧になめして艶を出した革細工。イメージがとろとろと入れ替わる。まわっている感覚、夢見心地。
 遠くで、声が途切れた。まだ読んでいて欲しいと思ったが、身体は眠りに引きずり込まれている。
――おやすみ。
 そう聞こえた後、ふっと真っ暗になった。



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粟津原栗子
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成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
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