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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 村上の言う通りに、三崎にはいつも通りに仕事があった。三月、年度末で、忙しいころだった。朝、早速だらだらと寝ている村上を横目に、出勤した。普段は出勤時間がかぶることが多いので共に取る朝食も、別だった。
 帰宅すると、居間から笑い声が聞こえた。複数聞こえる、と思って玄関をよく見れば、知っているブーツが脱ぎ捨てられていた。あ、これ、と思いながら靴を脱ぎ、廊下を進む。飼い猫がすり寄って来るのを適当にいなしながら居間に顔を出すと、村上と共にいたのは野口だった。
「おー、おつかれ」と野口は赤い頬で言った。酒が入っているらしく、食卓にはビールやチューハイの缶が載っていた。
「なあなあ、『うららかに』ではじまる歌、知ってる?」唐突にそう訊かれた。
「……、分からない」
「小学校で卒業式に歌わなかった? 村上は知らない、って言うんだけど」
 そう言って野口は、歌ってみせた。少し音痴で、高いキーで音を外した、と思う。

 うららかに はるのひかりが ふってくる
 よいひよ よいひよ よいひ きょうは

 出来上がっているなあ、と酒の缶の数を確認しながらそれを聞く。一節を歌い終えた野口は「知らねえ?」とまた訊いた。
「知らない。なんでそんな童謡みたいな歌なんか持ちだしてきたの、」
「なんか、そういう日差しじゃなかった、今日」
「……あったかかったけど、図書館は基本的に陽が当たらないように設計されているから、よく分かんない」
「外出てさー、超気持ちよかったなー、って話」
 にっこりと笑って、「おす、久々」と野口は仕切り直した。
「先輩、村上が呼んだ?」
「そう、暇だったから」
 だからって野口を家に呼ぶか、と思った。野口と三崎は過去、身体だけの関係を続けてきた。現在の恋人である村上が野口を誘う理由としては、ちょっと考えが甘い気がする。だがそんなのも、野口が「おまえらふたりともめしろくなもん作れないからよー」と言って台所からいい匂いをさせる惣菜を取り出すと、どうでもよくなった。呼び出された野口は、先輩という身分にもかかわらず、その人の好さを発揮して、得意の(というより、職業の)中華を振る舞ってくれていたらしかった。
 余計なことを考えるから眠れないのだ、と考えることにした。
「村上も、災難だったよな。俺も今日休みでさ、暇だったから点心包ませていただきました。ってことで、いまおまえの分蒸してやるから待ってろよ」
「三崎も飲むか?」と村上はビールの缶を軽く振る。三崎は頷いて、シンクの水きりかごからグラスを取り出すと、村上の向かいに腰かけた。
 ガスコンロの前に立った野口が、せいろ(持参したようだった)に蓋をかぶせながら、「おまえらうまく行ってくれて良かったよ」と直球を投げつけて来た。
「なんか、いい感じにまとまってくれて」
「……」
「三崎、眠れてるんだろ」
 それには、うん、と頷いた。野口は芯から嬉しそうに「ほらな、良かった」と言うので、あくまでも三崎を寝かそうとするばか親切な男ふたりに対して、なんだか神妙な気持ちになった。
「あの夜から、うまく行くような気がしてたんだ、俺は」
「……先輩、彼女とは?」
「あー、俺な、結婚することにした」
 と火加減を見ながらさらりと言う。三崎は驚いて顔をあげた。村上も初聞きだったらしく、向かい側で同じ顔をした。
「こないだ、プロポーズしてきた」
「え、本当に?」
「まじ、まじ。言うのが遅いよ、って泣かれちまった。そういうわけで、今年中には籍入れるから」
 温め直したエビチリも食卓に出てきた。それで野口もいったん座る。ぷしゅ、と音をさせてチューハイの缶のプルタブを引っ張りあげ、一口くちにして「うまいな」と言った。
「高校から苦節十年、ってやつ」
「十年」
「すげえな」
「忙しいぜ、これから。俺、実家帰るもん。帰って家継がなきゃ。中華料理屋」
「え、辞めるの、仕事」
「そう、この春で辞める。引越し、サービスしてくんない?」
 と言って野口は村上に笑った。村上は「多少は」と答えていたが、やはり驚きを隠せていない様子だった。びっくりしたまま細い目がまるくひらかれている。
「……あの、おれとのことは、彼女さんに、」と三崎は訊きにくいと思っていたことを野口に訊ねる。野口は笑って「ぜってえ言わねえ、死んでも言わねえ」と答えた。
「彼女にはね、一生黙ったまんまで行くって決めた。夫婦になるからってなんでも話せってのもね、違うかなって。俺ひとりのことならともかく、おまえのいる話だし」
「……別に、おれはいいのに、」
「なにがあっても黙っているから、おまえも黙っていろよ。なかったことにしろ、ってのはちょっと違うんだけど」
「それは、思わない、」
「ふふ。おまえ、ちょっとは俺のおかげで眠れてただろ。そういうことでいいよな」
 野口は再び立ちあがり、蒸し加減を見て、せいろの中身を皿にあけた。つやつやと皮が透きとおる、噛んだら肉汁の溢れそうな焼売だった。「俺のおすすめはからしと酢醤油」と言って、小皿もくれる。三崎は、本心から野口のことを、はじめて、ありがたいと思った。野口とはセックスばかりしていたから、いつも後ろめたさがあった。決して陥ってはいけない関係。それがひっくり返る。穏やかに凪いでくる。高校のころみたいに、野口にはなんでも話せてしまいそうな気さえした。
 村上がいない時から、野口は、こうしてたまに手料理を振る舞ってくれていた。満腹になったら眠くなるだろ、と言いながら。セックスなんかしなくても、甘やかされていた。事実はもう変わることはないけれど、これからの関係なんて三崎と野口の努力次第でいくらでも変えられる、と思った。
 後ろめたささえなくなれば、あとは友人として気持ち良くふるまえそうな気がして、三崎は嬉しくなる。
「……先輩、ありがとう」
「おうよ。それ、村上にも思っておけよ。おまえは鈍感で、自分の気持ちにも他人の気持ちにも疎いんだから」
「うん、」
 と頷いて向かいを見ると、村上は三崎の分の焼売に遠慮なくがっついている最中だった。左手でフォークをつかっているからか食べ辛そうで、犬食いに近い。
「大丈夫、思ってる」
 この大きな身体なくしては、眠れないこと。三崎の安心。


 泊まって行くかと思ったのに、野口は帰った。大きなせいろをぶら下げて、自転車を漕いでいく後ろ姿を村上と見送る。見えなくなったところで、村上は前を向いたまんま「淋しいか?」と訊いた。
「先輩、引っ越すって言ったじゃん」
「淋しいよ」
 結婚とそれに伴う引越し。おめでたい事柄ではあるけれど、やはりすうすうした。結婚てのは絶対にその人との関係性が変わるから、と誰かが言っていたのを思い出す。その通りだ。野口との別れが近付いている。惜しくなる。
「おれも引っ越そうかな」と村上が言ったので、三崎はびっくりして隣を振り返った。
「――引っ越しちゃうの?」
「……なんて声出すんだよ。あんたも一緒だよ」
 人差し指で村上は三崎の眉間を突いた。
「ネコと、あんたと、住めるところ。ここじゃちょっと狭いし、古い」
「やだ」
「やだってあんた、まだあのアパート契約しとく気か? ろくに帰ってもいねえくせに、金がもったいないぜ」
「そうじゃなくて、村上がこの家から越しちゃうのが、やだ」
 三崎と村上はまだ、正式な同居人ではない。三崎には、村上宅とは別に賃貸しているアパートがある。しかしいまやほとんど帰っておらず、ほぼ同棲状態だ。三崎は村上の住むこの家を気に入っていた。古くて、なんと言うのか、肌にしっくりと馴染む。べたべたと遠慮なく壁に写真を貼れるのも、大きな音をさせても近所から苦情が来ないのも、猫と暮らせるのもひっくるめて気に入っていた。村上という男にぴったりな場所だと思っている。狭いながら庭があり、大家の趣味なのか庭木にちいさな椿が植えられているのも、好ましかった。
「おれのアパートのことは、おれが決める。けど、出来れば村上はここから引っ越さないでほしい」そう言うと、村上は「ふうん」と笑った。笑った拍子に傷がひきつれたのか、続けて「いて」と言う。
「……傷、痛む?」手を、村上の額に伸ばす。
「まあな、生きてるから」
「そうだね……」
 そのまま村上の顔が近付く。三崎は、村上のくちびるがうまく重なるように首を傾げ、くちびるをひらいて村上を迎え入れる。外でのキスだったが、構わなかった。誰が見ていようがこんなに純粋に恋をしている三崎と村上を攻撃しようがないし、きっと堂々としていられる、と思う。
 ちゅ、と軽く音をさせて、村上は離れた。大きく伸びをする。「もう、休むか」
「あんた、明日も仕事か」
「うん」
「つまんねえな。頭の傷だけだったら、カメラでもいじってられんのにな」
 連れだって村上と家の中へ入る。その夜、村上はそれでも、本を読んでくれた。三崎は安心して、すぐ眠る。きっとそのうち、声を必要としなくなってしまうんじゃないか、と思えるほど最近は入眠が早い。そのことがすごく惜しい。
 眠りたくないと思える日が来るなんて、村上と会うまでは思わなかった。


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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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