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◇
そのまま結局は山頂を制覇してしまった。
山荘は山頂にあるものと思い込みがちだが、ここの山荘の場合、山頂までは四十分程度かかるのだ。ここの従業員の健脚なら二十分ほどで行くらしいが、山荘まででへばっていた燕にはきつく、みんなに手加減してもらって登った。途中、鎖場では穣太郎に手を借りた。山で油断は禁物と分かっていて、力強い手指に、心臓が煮えた。
ちょうど天気も良く、ガスの切れ間に見事な景色が見えた。自分の足もと以外は空、まるで天空に立っているその感覚は、束の間の浮遊感を味あわせる。
みんなで記念撮影をして、それからは狭い山頂でめいめいに過ごした。女性陣はひょいひょいと岩場を進み、どうやって、と思うような突端ではしゃいだりしている。あそこから落ちたら命はないだろう。もちろん、いま穣太郎と並んで座っているこの岩場も、そうだ。怖い、けれど雄大で素晴らしい。少しだけ、こういうのは穣太郎そのものだな、と思った。
「そういえば、これ」
シャツの胸ポケットから穣太郎はなにかを取り出した。四つ折りのそれは、原稿用紙らしかった。「なんですか?」と広げようとすると、「見るのは山を下りてからだ」と強引に紙をウエストポーチにねじ込まれた。
「なんですか」
「こないだまで、ここにな、寧が来てた。ホレ覚えてるか、やさっこい顔した男だ」
やさっこい、という表現が、優しそうな、あるいはなよなよしい、という表現だということを、数秒遅れて理解した。
「覚えています。穣太郎さんの友達、ですよね」
「そうだ。あいつの正体はよく分からんが、物書きらしい。惚れたやつがいるらしくてな。それがまあ難攻不落で、もう何十年と片想いしているんだと」
「何十年は、……本当に?」
「ん、おれもよく知らんが」
穣太郎も寧がここへ来てはじめて知らされた、という。
「忙しいから、話半分で聞いとったが、まあその惚れた相手から哲学的な宿題を出されたらしい。百ほしい、とかなんとか。どう答えたらいいかと言ったから、ラブレターを書け、とおれは言った。物書きだからな、文字操るのは得意だろう、と。それであいつは、ここで何十枚とせっせと書いたよ」
「ラブレターを?」
「そうだ、と思う。書き上がったら、とっとと下山してったからな。当然おれは読んでないんだが」
「……すごい情熱ですね」
「ああ、すごい情熱なんだ」
ふ、と穣太郎の表情が緩む。言葉が続くのかと、燕は穣太郎を待ったが、それきりなにもなかった。
「――え、それで?」
「いや、それだけだ」
「いえいえ、それと、穣太郎さんがくれたこの紙と、なにか関係するんじゃないですか?」
「なんでもねえ」
「じゃあ、いま中身を見ます」
「あー、やめろやめろ、下りてからだ。絶対、下りてから」
ウエストポーチにかけた手を、掴まれた。大きな手は燕の手首を簡単に包んでしまう。それでもじたばたと燕は抵抗した。なにがなんでも見てやろう、という気になった。
「やめろ、琢己」
穣太郎の手が、燕の後頭部にまわる。
視界がぽすっと塞がった。
穣太郎の逞しい胸に抱かれている。
燕は抵抗を忘れ、その心地よさに酔った。自分の吐いた息がそのまま穣太郎のシャツに浸みこんでいく。目を閉じる。思い切り息を吸い込むと、穣太郎の体臭が香った。
時間にすれば、数十秒ほどだったと思う。肩を掴んで燕の身体を離した穣太郎は「とにかく」と仕切り直した。
「読むのは下りてからだ。分かったか」
「……はい」
「いい子だ、琢己」
穣太郎はゆったりと微笑んだ。その笑みに、肩を掴んでいる手の力強さに、なによりも先ほどの抱擁に、燕はくらくらした。
「さあ、そろそろ夕飯の支度の時間だ。戻るか」
と、穣太郎は立ちあがった。
◇
一泊二日はあっという間に過ぎてしまった。あの後山荘に戻った燕は、昼寝をして、穣太郎の作った夕飯を食べ、穣太郎の寸法はきっちり測らせてもらい、星を観察して、早く寝た。翌日は御来光を山頂で見るべく、早起きした。これも穣太郎と見た。まったく、山の男はタフだと思いながら。
そして惜しみながら、山を下りた。反芻するのは穣太郎の体温ばかりで、しかし滑落せぬようしっかりと気を引き締めて下りた。バスターミナルに行く前に、周辺に建つリゾートホテルのティーラウンジに寄った。もしかしているかもしれない、と思って覗いたのだが、案の定いた。寧は煙草をふかしながら、熱心にノートパソコンのキーボードを叩いていた。
「寧さん」
「あれ、こんにちは。来てたんだ。もしかして、穣太郎んとこ?」喋りながら寧は煙草を灰皿で揉み消す。
「はい。帰り道です」
「そりゃ淋しいよなあ。あ、ケーキ食べる?」
いつの間にか傍にウエイターが立っていた。以前もここのティーラウンジで燕に良くしてくれた、仕草が綺麗なウエイターだ。「静可さん」と寧が彼を呼んだ。ウエイターはにこりと微笑み、メニューを渡してくれる。
「今日はアップルパイがお勧めです」
「あ、でもおれ、山下りる前に穣太郎さんからお菓子もらって、食べたんです」
「いいんだいいんだ、食べなさい。山くだってカロリー消費しただろうし、それにね。きみや静可さんみたいな身体の人は、過剰摂取ぐらいでちょうどいい」
と寧が言った。ウエイターはすました顔で燕を待っている。「じゃあ、アップルパイのケーキセット、アイスティーで」と頼むと、「かしこまりました」と恭しく、ウエイターは下がって行った。
「寧さん、ラブレター書いたんですってね」と言うと、寧は吹き出した。
「そんなことまできみに喋ったのか、あいつは」
「超大作を書いた、と伺いました」
「きみもちゃんともらったんだろうな、ラブレター」
「はい?」
「穣太郎からの、ラブレターだよ。帰り際に残った原稿用紙押し付けて、おまえもツバメくん宛てに書け、と言って下りたんだけど……」
喋っているうちに、寧はまずい、と思ったらしい。語尾が詰まる。「……もしかして、もらってない?」
「いや、もらった、っていうか、」ウエストポーチの中身を意識する。
「ていうか、あいつからなんか、言われた?」
言われてはいない。行動なら起こったかもしれない。訳が分からなくなり、燕は真っ赤になって首を縦に振ったり横に振ったりした。
「ええと、……僕は先に余計なことを言ってしまったのかな」
「わ、分かりません……」
「そうか、……」
早くウエストポーチの中身を確認したくてたまらなくなった。
◇
バスターミナルから最寄駅まで移動し、街へ戻る私鉄の電車内で、燕はようやく手紙を取り出して眺めた。
『十一月には閉山するので、小屋を閉めます。
街に戻ります。
そのとき迎えに来てください。
クマダ』
そんなの到底待てない、と思った。いますぐ引き返したい気持ちがはやる。
ああだけど、その時までに絶対に、セーターを仕上げるのだ、と燕は決意する。今度はアラン模様にしよう。穣太郎の風体に、絶対に似合うはずだ。
色は白がいい。冬の熊に、きっとぴったりだ。
End.
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