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そしてしばらくして、いらっしゃいませ、と本田が丁寧に発音した。穣太郎は顔をあげる。
ティーラウンジの入り口に、帽子を目深にかぶった、痩せた男が立っていた。彼が帽子を脱ぐ。汗をかいてぺたりと寝た髪は、つむじの部分だけぴょこんと跳ねた。
燕は穣太郎に気付くと、ほっとした顔で、穣太郎と寧の席へやって来た。
「お、お久しぶりです、穣太郎さん」
「おお、久しぶり。まー細いなあんた。暑かっただろ。座れ、座れ」
「いえ、すごく涼しいですよ、ここは」
街からやって来た燕の、ごくまっとうな言い分に寧は愉快そうに微笑んだ。本田がさっと動いて、椅子を用意してくれる。燕はぺこんと頷き、テーブルに着いた。
「また会えてうれしいです。お元気でしたか?」
「おうよ、体力勝負の仕事してんでな。あ、こっちは寧だ。友達だ」
「こんにちは。燕、と言います」
「素敵なお名前ですね。こんにちは」
本田がメニューを持ってきて、燕に渡す。ケーキは頼まれている旨を告げているあいだに、寧はそっと穣太郎に耳打ちした。「かわいい子じゃないか」
「きみと正反対だな。線が細くて、白くて」
「そうだろう」
と、なぜか穣太郎は得意になった。なぜだろう。燕を褒められると、嬉しかった。自分のことのように嬉しい。
「で、約束の品って、なに?」
待ちきれない、という風に聞いたのは寧だった。
「ひどい男なんだよ。きみとの約束を忘れたらしいんだ」
「おまえが語るな」
「あの、そんなに大した約束じゃあ、ないんです。ただおれは、穣太郎さんにまた会いたかっただけで、」
言葉は尻つぼみに細くなったが、寧にも穣太郎にもはっきりと聞こえた。穣太郎は「はっはっは」と笑った。「そうかァ、かわいいやつだな」
「それさっき僕が言った」と寧。
「で、なんだ?」と穣太郎は燕を急かす。
「星を編みました」と燕が真面目に答えた。
「星を編んだァ?」
編めるのか? と穣太郎は首をひねった。その仕草が可笑しかったらしく、燕はくすりと笑った。笑うとなんだか触りたくなる。頬とか、耳を、くすぐってみたくなる。
「僕、本職はニッターなんです。あ、編み物をする人のことです。山荘でもレース編みをしていましたが、あれは持ち運びしやすくて軽かっただけで、本当は棒針編みの、特にシェットランドのフェアアイルの勉強をして、」
横文字が並んだので訳が分からなかった。
「細かい、一目一目色を変えていくようなデザインのニットです。という話をしたら、あんたあれも編めるか、と穣太郎さんが星を指して」
夜、夕食の時間をようやく終えて終業したときの会話だったという。星を見ながら、穣太郎は言ったそうだ。当の本人はまるで覚えちゃいないが、星を編めるかとは、まったくロマンチックな難題をふっかけたものだと思う。
編みます、と燕は答えてしまったそうだ。ニッターとして火がついたからだし、大柄の穣太郎に、密に編んだニットはよく似合うと思ってしまったからだし。
「僕なりの星が編めたので、持ってきました」
そう言って、燕は背負っていたリュックサックから紙袋を取り出した。まるごと穣太郎に寄越す。ぱんぱんに膨らんだ包みをあけると、飛び出すようにして毛糸の帽子が出てきた。紺を基調に、赤や黄色や白といった色の毛糸が編み込まれている。
エイトスター、という本来ならば雪柄の模様を参考に編んだ、と燕が言った。
「夏に毛糸の帽子なんて、変ですよね。でも編めてしまったら、すぐに渡したくて」
「変じゃないさ、なんせおれの職場は山の上だからな。夏でもセーターは必需品だ」
「いまかぶってくれますか?」
「おう。――ほうら、どうだ」
穣太郎の頭に、ニットの帽子はちょうどよくフィットした。実のところ最近禿げかかっていた穣太郎だ。気になっていた部分が隠れて、気分もいい。
「――とても素敵です」と燕も満足そうに息を漏らした。
「本当だ。似合うな、穣太郎。とても丁寧で繊細な仕事だ」
「ありがとうございます。どうですか、穣太郎さん」
「ちょうどいい」
帽子を脱いで、もう一度それを眺める。寧の言う通り、丁寧で繊細で、穣太郎には到底真似できない。このやせっぽちの男の手からこんなものが生まれると思うと、穣太郎はなんだか嬉しく、嬉しいことが、むずむずした。
そこへ本田がケーキセットを運んできた。穣太郎がつくったケーキではないけれど、穣太郎は「食え、食え」と燕の背を叩いた。薄いTシャツ越しに痩せた肌が触れる。熱を感じると、ずっと触っていたくなった。こういう感覚は、正直久しぶりだ。ちょっとまずい感覚ではないだろうか。
手を離す。剥がす、が正しかった。燕は耳をぽっと赤くしていたが、やがて「いただきます」と丁寧に手を合わせてケーキを食べ始める。
ああ、いい子だな、と思った。
「ん、美味しい」
「ここのケーキはさすがだろ? ほら、もっと食っていいぞ。全部、全種類いいぞ」
「ありがとうございます。でも僕、穣太郎さんの作ってくれたパンケーキとか、マドレーヌとか、素朴な焼きっぱなしのお菓子、好きでした。たまに無性に食べたくなったり」
「そうか」
それは料理人として最大の賛辞で、穣太郎は嬉しい。
「また山荘に来い」
「はい、お邪魔します」
「邪魔には来んでいい。おれの飯を食いに来い。それで、また星を見よう」
「ふふ」
穣太郎と燕とで、会話が弾む。なんだよ、という顔を寧はしていたが、ふたりは知りようもない。
◇
以来、穣太郎は帽子をかぶって厨房で腕を振るっている。
いつでもその頭に星を頂いている。星をかぶった熊の料理は、登山客にたいそう評判がいい。
End.
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