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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 S温泉郷へ行くには、ここより南下するルートを取る。三十分も走らせればもうそこは気候が異なり、早や樹生の暮らす街よりずっと春の進んだ花や緑が増える。気の早い家の庭にこいのぼりが泳いでいた。途中の川の水面はきらめき、道行く人の服装も軽く、色合いも華やいでいる。
 二時間半ほどの道のりの中のほとんどはラジオを聞いていたが、ラジオニュースに切り替わった時に樹生はボリュームを下げた。下げて、「知っていましたか」と早に聞いた。
「何を?」
「親が、……岩永直生が、死んでいたこと」
「いいえ」
 早は即答した。
「知りませんでした。私はずっと、……直生さんは病院に隔離されて、療養しているのだと思っていたので」
 樹生は黙る。黙って早の言葉を待つ。
「だからそもそも、病院へ入院していなかったことに驚きました。直生さんはね、入院する前に私と夫の元へ来たんです。これから家族の元を離れるので、妻と子どもをよろしくお願いしますと、そういう内容でした。直生さんには頼れる親類縁者がいませんでしたから、私も夫もそういう意味で、その役を引き受けました」
「……晩、という男のことは?」
「知っていますよ。私は彼らを担任として指導したわけですから」
「あ、そっか」
「彼らの仲がよかったことは、知っていました。けれど晩さんの山荘へ直生さんが匿われていたことは、思いもよらないことでした」
 また間が出来る。車は信号の切り替え待ちで止まった。
「でも、」と樹生は前方の青信号と同時に口を開いた。
「岩永直生が病院に入院する、ってことは知ってたんですね」
「そうですね。どこか遠いところだということだけ聞いていましたが、本人が言おうとしなかったこともあって、どこの病院にいるのかまでは知りませんでした。……精神病棟への入院というのは、やはり言いたくなかったと思いますよ」
「……茉莉が、」
 車は再び停止した。信号機のない横断歩道で、道を渡りたそうにしている子どもに道を譲ったのだ。
「茉莉が父親を殺したいほど憎んでいて、その所在を知りたがっていることを、先生は知っていたはずです。どっかの病院にいるっていうヒントを、……まあ結局岩永直生は病院にはいなかったわけですけど、でも、どうして、……教えてくれなかったんですか、」
「……」
「おれたちはただ家族を捨てて家を出て行った父、だと思ってたんです。それが精神を壊して入院となれば事情は違う。もっと早く教えてくれていたら、違ったかもしれない、……特に茉莉の復讐の芽は、育たなかったかもしれない。そう、思って、」
「……」
「先生は、ずるいです」
 それは早がはじめて樹生の口から聞く、「非難」の言葉だった。早を責めるような台詞を、この青年ははじめて口にした――甘える音の響きに、早の心が熱くなる。
 親しい間柄でないと、こんな口はきいてくれない。そう思ったのだ。
 だが喜んでいる場合ではない。早は息をしっかりと吸った。
「あなたがた姉弟のやることに何も口出しはしない、と決めたからです」
 答えると、樹生は前を向いたままだったが、口を僅かに引き結んだ。
「この件に関しては、徹底的に傍観者を貫こう、と惣先生と決めたからです」
「おれを引き取ったのに?」
「あなたを引き取ることとは別の問題と捉えました。私と夫は、あなたのお父さんには残念ながら親の務めを果たせない、という結論を出していました。お母さんや茉莉さんに暴力をふるっていたような人ですからね。……そこを繋げてしまうと、私たちはあなたをどっちつかずで育ててしまうことになった。それは、避けたかったんです」
「……」
 今度こそ樹生は黙った。感情の整理がつかないのに、運転はぶれない。樹生のよいところだと思う。
 早はようやく、今日の目的を語ることにした。実はこれを話すのにタイミングを計っていたし、緊張もしていたのだ。心臓がばかみたいに痛い。思春期の胸の高鳴りみたいに、痛い。
「直生さんのことではなくて、あなたのお母さんのことを、話します」
 樹生は「え?」と助手席の早を見遣り、慌てて視線を前に戻した。
「早先生は、母を知ってるんですか?」
「小さい頃のことは知りませんよ。私があなたのお母さん――美藤さん、を知ったのは、あなたのお父さんの披露宴の式のことでしたし、その後惣先生と結婚に至ったころぐらいでしょうかね、まともに話すようになったのは。惣先生と結婚する時にね、美藤さんからsomething fourになぞらえて白いレースのハンカチを借りて、それをポケットに忍ばせて写真を撮ったんですよ。幸せな人から借りたものを身に着けると幸せになれる、という習慣を真似たんです。言い出したのは、美藤さん」
 そのハンカチはきちんと洗ってアイロンをかけ、返した。事故当時、美藤の鞄の中からそれが出て来たことも思い出す。美藤の遺体を焼くとき、棺に一緒に入れた。
「縁、というのは、奇妙なものだと思います」
 早は少しだけ窓を開けた。穏やかに温んだ風が車内に滑り込んでくる。
「私が惣先生と知り合って結婚したのは偶然です。惣先生の教え子にあなたのお父さんがいたことも偶然です。お父さんが夏居さんの息子さん――嘉彦さん、と同級生だったことも偶然です。いろんなことが重なった縁だと思ってください」
 窓の外からふわっと春が香った。南風の匂いだ。
「夏居嘉彦さんのお父さん――巌さんは、あなたの母方のおじいさんです」


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プロフィール
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粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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