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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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「ああ、そうだね。中学のクラスが一緒だった。高校で分かれてしまったけど、それでも頻繁につるんでいた」
「――私は、なぜあの男が私たち家族の元から離れたのか、母を捨てたのか、知りたいんです」
 きっぱりと茉莉は晩に言ったが、晩は「うーん」と唸って苦笑するだけだった。
「あの、」と樹生は口を挟む。「右腕だけって、どういうことですか」
「ああ、そうかそれが途中だったな。あなたがた家族には衝撃的な話になってしまうけど、……直生は山で死んだんだ。滑落死」
「……」
「そしてそのことがきっかけで美藤さんも亡くなってしまった」
 晩は椅子の下に置いた段ボールを探り、中から一枚の写真を取り出した。
 角が取れたぼろぼろの写真に写っていたのは、赤子を抱いた女性だった。髪がほつれていたが肌は滑らかで美しく、茉莉によく似ていた。赤子は頬を真っ赤にして、ふくふくと抱かれている。目はまだ開かない、新生児のようだ。傍にはすらりと手足の長い少女が立っていて、カメラを睨んでいた。
「これは、美藤さんとあなたがただね」
 と、晩はこの写真を茉莉に渡す。
「直生は繰り返し何度もこれを眺めていた。だからもうぼろぼろでね。これ以上ぼろぼろにさせないためにも額に入れたらと僕は言ったんだけど、すると携帯できなくなるからと、直生は拒んだ」
 樹生は晩の言葉を頭の中で咀嚼しながらも、姉の手の中にある写真を眺めた。この新生児は樹生だということだ。母に抱かれて写っている写真など樹生は一枚も持っていないし、見たことがない。そういう意味で自分を客観視するのは、とても新鮮に感じる。
 そしてこの写真を撮ったのが若き父だったのだろう。
「順を追って初めから説明するよ」と晩が言った。
「僕のところへ直生から連絡があったのは、樹生くん、あなたが生まれて間もない頃だったかな。直生は病んでいた。精神的な病で、『このままだとおれは妻や子どもを殺してしまう』と言っていた。原因はよく分からない。昔のことを思い出せば彼は基本的には物静かな男だったけど、たまにひどく攻撃的になったり、気分が高揚するところがあった。それを僕は思春期だからかな、とか思っていたんだけど、大人になっても鬱や躁の状態を繰り返していたから、彼本来の性質がそういうものだったんだろうね。
 就職先があまり良くなかったこともあると思う。大学を出て彼が就職したのは大きな百貨店だったんだけど、彼の配属先はお客さんからのクレームを取りまとめる部署でね。毎日ありとあらゆる苦情の対応をするんだ。彼の性分にそれは全く合わなかったけど、やるしかなかった。美藤さんのおなかの中には茉莉さんがいて、とにかく働かねば、という気持ちがあったんだね。真面目で、責任感のあるやつだった。
 樹生くんが生まれるころには、何度目かの鬱の後の、躁の状態だった。何日も眠らず平気で活動して、目を血走らせてね。体はがりがりで、でもどこからそんなエネルギーを漲らせるんだかね。怖かった。彼は悩んでいたよ。ちょっとしたことで感情にスイッチが入ってしまって、怒りに支配されてしまう、って。産後で疲労している美藤さんに何度か暴力をふるったと言って、とても悔いていた。きっと、……茉莉さん、あなたの記憶によく残っているのは、この頃の直生じゃないかな」
 晩の言葉に、茉莉はため息をついて返事をした。
「確かにあの男が母に暴力をふるっているところを、私は何度も見ている。私も一度突き飛ばされて、テーブルの脚に頭をぶつけて、怪我をしたことが」
「え」と樹生は思わず茉莉を見た。「そんなことあったの、」
「あんたが知らないのは仕方がないわ。……傷はまだ残ってる。後頭部を触るとね、そこだけ少し膨れているのよ」
 そう言って茉莉はその場所に自分の指で触れた。晩が「うん」と頷く。
「そう、……そのことも直生は気にしていた。なんてことをしたんだろうって、うろたえていたな」
 晩はコーヒーを口にした。それから両手を膝頭で組んで、しばらく上を向いた。
「母に暴力をふるっていたと思ったら、ある日突然ぱたっと消えた」と茉莉が言う。
「それにあなたが絡んでいるのね?」
「そうだ。僕へ連絡を寄越した直生と、ひとまず会って話した。美藤さんも一緒に、三人で。元々直生は精神科へ通院していたんだけど、そこへ入院して、しばらく家族から離れようと思うと、言った。それを聞いて僕は、精神科の閉鎖病棟なんかやめろと言った。ストレスを薬でコントロールされて、身も心も本当にぼろぼろになって、生きているのに死んでいるみたいな、そんな風になると思った。今はもっと医療が進んでいるからね、そんな風には思わなくなったけど、あの頃、あの時代、精神科にかかる奴なんてきちがい、そういうイメージだったよ。
 だからその時僕は、僕の山荘へおいでと言った。家族と離れて療養するのにちょうどいいよって。実際、そういう雰囲気の客もいなくはなかったしね。K高地の僕の山荘の、従業員寮にひとつ部屋を当てて、直生をあなたたちから離した。直生は最初のうちは部屋で横になっているだけだったけれど、調子のいいときは山荘の雑務を手伝ってくれるようになってね。調子が悪いとまた部屋にこもったけど、まあ、そんなこんなでゆっくり治っていった、と僕には見えたよ。何より僕自身が、直生が傍にいる生活が楽しかった」
 そこで晩は息をつき、少し淋しそうに「調子のよいとき、彼は美藤さんに会いに山を下りた」と言った。
「――え?」
 聞き返したのは茉莉だった。
「母さんに会ってた?」
「うん。あなたがたには会わなかったみたいだけど、美藤さんには会っていた。僕の方から、山荘を手伝ってくれた分に関しては労働の対価として賃金を渡していたから、それを美藤さんには渡していたようだよ」
「……」
「それから子どもたちの様子を聞いて、また山荘に戻って来た。そういう生活の繰り返し」
 それきり、晩は黙ってしまった。



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プロフィール
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粟津原栗子
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非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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