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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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八.凍土


 ――岩永直生は死んでいる。
 晩の言葉はとても静かに響いた。それを聞いた瞬間に樹生の耳から周りの雑音が消えてしまった。
 この場には樹生と、茉莉と、晩しかいないような。
 嘘、と茉莉が呟く。晩はそれ以上何も言わなかったが、瞳の色を深くして姉弟を見つめ返してきた。それは恐ろしく澄んだ目で、樹生は瞬時に悟る。樹生を問い詰めた時の暁登のまなざし、これも強い深度だったと思い出す。
 この男は本当の事しか言っていない。
 トーストと温かい飲み物が運ばれたが、三人ともそれを口に出来なかった。隣に座る茉莉の肩が震える気配がして、樹生はそちらを向く。茉莉の顔は血の気がなく真っ白で、咄嗟に樹生は姉の背に手を添えた。
「違うでしょう。あなたは嘘を言っている」
 口を開いたのは茉莉だった。
「嘘じゃないよ。……断定は出来ないけれどね」
「どういう事ですか、」
「直生の遺体は見つかってないからさ」
 晩はようやくコーヒーカップを持ち上げ、一口飲んだ。春間近の光線がガラス戸を透かして晩に降り注いでいる。
「遺体がなくてどうして死んだと言えるの?」
「遺体の一部なら見つかっているから」
「どういう、」
「見つかったのは直生が着ていたジャケットの一部と、腕。右腕だ」
 と、晩は手を上げて店員を呼んだ。「申し訳ないけれど、これを持ち帰りにしてもいいかな?」と聞き、トーストやコーヒーをあっという間に手提げ袋に収めさせた。
「話が長くなりそうだし、ここじゃ落ち着いて話せない。僕の事務所に行こう」
 そう言い、晩は会計を済ませて店を出た。
 店の駐車場から、晩の運転する四駆を追いかけて車を出す。五分程で着いた晩の事務所は中心市街地にほど近い所にあった。こじんまりとした建物で、入口に山荘名が掲げてあった。
 鍵を開けて、晩は屋内に入る。茉莉、樹生と続いた。中は事務机や電話機が据えられた、いかにも事務所という造りで、壁にはたくさんの写真が貼られていた。
「このストーブは性能がいいからすぐに暖まるよ。どうぞ」
 そう言って晩は椅子を二つ、ストーブの傍に出してくれた。だが茉莉は座らない。茉莉が座らないので樹生も座らず、立ったまま壁に貼られた写真を眺めた。
 山の写真ばかりだった。登頂記念に山頂で撮ったもの、山荘の前で撮ったもの。従業員らしきメンバーと山荘の前に並んでいる写真もあった。
 その中の一枚に目がとまる。赤や青の色味がきついそれに写っている人物のうちのひとりを、樹生ははじめ「自分だ」と勘違いした。
 よく晴れた日の川と山を背にこちらに微笑んでいるのは、赤いジャケットを着た長身の男と青いジャケットを着た小柄な男。
 茉莉もそれに気付く。二人して言葉なくそれを眺めている間に、晩は事務所の奥に消え、今度は段ボール箱を一つ抱えて戻ってきた。
「その写真、いいでしょう」と晩が言う。
「僕と直生だよ。二十五年ぐらい前になるかな。この時の直生は調子がよかったんだ。こうやって笑顔で写真に写ってくれるなんてのはね、これ一枚しかない」
 晩は壁から写真を外し、樹生にそれを渡した。
「本当によく似ているね」
「……」
「座ろう」
 再度椅子を促され、今度こそ姉弟はそこに座った。
 紙袋からコーヒーやココアを出し、晩はそれを二人に渡す。「食べるかい?」と紙袋に入ったパンを指して訊かれたが、樹生は食べる気がせず、首を横に振った。
「じゃあ、土産に持って帰るといい。僕はもらうね」
 そう言って晩は自分でオーダーをかけたトーストを紙袋から取り出し、残りの紙袋自体を樹生に寄越す。樹生は手の中のココアをすすった。ぬるく、甘く、舌に残った。
 晩はトーストだけさっさと食べ終え、コーヒーを飲んで息を吐いた。
「さて、何から話そうかな」
 晩は顎を撫でる。先ほどから黙ったきりの茉莉がようやく口を開き、「あなたはあの男の同級生だったと聞きました」と言った。


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粟津原栗子
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非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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