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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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「――岩永くん、」
 声をかけられて顔を上げる。そこには還暦を過ぎたぐらいの歳の男が立っていた。初めは誰なのか本気で思い出せなかったが、「まさかこんなところで会うなんて」と耳を引っ張って搔く、その仕草で思い出した。思い出した途端に舌打ちしたくなった。
「――お久しぶりです、緒方(おがた)さん」
「ああ、うん……」
 緒方は険しい顔をして耳を搔いていたが、ややあって「どこか悪いのか」と訊いてきた。
「私ではないです。知り合いが怪我をして治療を受けているので、様子を見に」
「そうか」
 また沈黙が出来た。そしてやはり緒方の方から「相変わらず、勤めは変わっていないんだな」と樹生の格好を見て言った。着替える手間を惜しんで飛び出したので、ダウンジャケットの下は職場のユニフォームそのままだった。
 樹生は笑いもせず、「そうですね、変わりません」と答える。
「相変わらず、非常勤雇用でか」
「……いえ、数年前に正社員になりました」
 と言うと、緒方はふん、と鼻から息を漏らした。こういう男だったな、と思い出す。社会人とはすなわち正社員のことを指し、アルバイトやパートタイム、非常勤雇用など立場の弱い働き手の事を認めようとしなかった。
 隣いいか、と言うなり緒方は樹生の返事も聞かずに隣に座った。樹生に用はなかったので、帰りたくなった。
 仕方がないので、「水尾さんの付き添いか何かですか」と訊いた。緒方は驚いた顔で樹生を振り返る。
「……水尾と連絡を取っているのか?」
「取っていません、全く。ただ、結婚した事は耳にしたので知っています。子どもが出来たことも、先日知りました」
 臨月が近いのか、あの時見た水尾の腹はパンパンに膨れていた。緒方は渋い顔をして、「そうだ」と答えた。
「産気づいて、今日の昼からここに入院している。まだ生まれてないが、」
「こんなとこにいていいんですか」
「娘のこんな時に、母親ならともかく男親の出来ることなんかないさ」
 その台詞に責められているような気がした。被害妄想も甚だしい、と自分を一蹴する。
 緒方は「きみには悪いことをしたのだとは、思っている」と言うので、余計に腹立たしくなった。「悪いことは何もしていない」などと開き直って自分を正当化してくれた方がまだマシだと思う。
「きみと水尾が結婚して家庭を築いて……そういうことが本当に耐えられないと思った。きみはおれの妻を奪い、水尾から母親を奪った女の息子だ。そんなやつに……どうして娘をやれるか、と」
「……」煙草が吸いたい。この場から立ち去りたい。
「だが、事故のあったとき、きみはまだ十歳にも満たない少年だった。その責はきみには問えない。きみも母親を失ったからな。……今日か明日には、水尾は子どもを生んで母親になる。もう関わらないでくれ。ようやく……ようやく当たり前の幸せを手に出来た水尾やおれの為にも、どうか」
 それを聞いて、樹生の目の前が真っ赤になった。怒りで視界がぶれることがあるのだ、と知った。
『おまえには誰も幸せには出来ない』と言われているも同然だ。
 この男とこれ以上いると怒りでこいつを殴り殺しそうだと、瞬時に想像が巡る。離れなければと思って腰を浮かせかけると、病院の長い廊下の方から「お義父さん!」と若い男が駆け寄って来た。
 丸い眼鏡をかけた、どこか剽軽な印象のある男だった。
「どこまで飲み物買いに出かけてるんですか。携帯も置いてくし。生まれちゃいますよ」
「すまん、いま行く」
 緒方は男に引っ張られて立ち上がった。この眼鏡の男が水尾の夫なのだろう。スーツがよく似合っていたから、緒方も望む「まっとうな職」に就いた、「まっとうな男」なんだろう。
 緒方と水尾、親子に「当たり前の幸せ」をもたらした幸福の使者。
 若い男は樹生に気付くと、くりっとした目をこちらに向けた。
「お義父さんのお知り合いですか?」
「まあな」
「初めまして、婿の守脇(もりわき)と申します。すみませんね、お話に割り込んじゃって」
「大した話はしてないから」
 緒方は娘婿の背を叩き、「行こう」と促す。娘婿はにこにこしながら「郵便屋さんなんですね」と樹生に言った。
「僕の勤め先は印刷会社のデザイン部門なんですが、郵便屋さんにはよくお世話になっていますよ。サンプルを送ったり、冊子の発送を定期的にしますし」
「そうですか、ありがとうございます」
「おい、行こう」
 緒方はよっぽど娘婿を樹生に引き合わせたくないようだった。もっともそれは樹生も同じだ。もう二度と緒方には会いたくない。
 すみませんね、と頭を何度も下げて守脇は緒方を伴ってエレベーターホールへと消えた。
 樹生は重く長くため息をつく。ついてから頭を天井に向けた。
 ここのところ、こんなことばかりだ。過去の出来事を樹生自身はもうなんとも思っていないのに、周囲が騒ぎ立て、道をぬかるませる。
 ただ自分は静かに、恋人と安らかに暮らしていたいだけだというのに。
 長いことそうしていた。だから処置を終えた暁登がとっくに処置室を出て、乗せられた車椅子でじっとしたままそれを聞いていた事には、全く気付いていなかった。


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本日、ブログに設置しているカウンターの数が100万に達しました。
構想上の樹海では、カウンターの数=ひとりの方の1回の訪問数、ではなく、ページビューの数になります。
この忍者ブログを利用し始めて8年になりました。途中お休みも頂きましたが、私が書き続けて来たことへの純粋なアンサーなのだと思っています。
とても嬉しいです。どうもありがとう。
なにかお礼的なことを考えているようないないような。時間が許せばやりたいです。

ブログの記事投稿数も、あと少しで1500に達します。
よく書いたものだと感慨深いです。


100万というキリ番を踏んだ(ことに気付いた)方。おめでとうございます。
もしよければメッセージをください。リクエストにおこたえ出来たらと思います。

本当にありがとうございます。これからもよろしくお願いします。


拍手[11回]

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Beiさま(拍手コメント)
メッセージをありがとうございます。いつも励まされております。
100万という数字に驚いています。それだけの閲覧数があるということですので、飽きっぽい私が珍しく続けてこられた結果の数字だな、と思っています。
これからも書くことは続けていきたいとも思いました。
これからもどうぞよろしくお願いします。
粟津原栗子 2018/05/30(Wed)08:30:50 編集
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プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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