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 片としてはやや大ぶりだが、たいした積雪にはならなそうだった。ひらひらと舞い落ちる雪の中を、三人で歩いた。広い庭の、雑木の間を抜けてゆく。夫と少年が横並びで歩き、早は一歩下がってふたりの会話に耳を澄ませながら、二人の男の背中を眺めた。
 夫の質問に、少年はぽつぽつと答えた。何に興味があるかと訊かれた時は、特に何もと答えたし、何が嫌いかと訊かれれば、別に、と言う。それでも夫は質問をやめなかったし、少年も回答を拒んだりはしなかった。
 この家はどうだと聞かれた時、少年は「どう?」と質問の意図を尋ね返した。
「なんでもいいよ。この家やぼくらに思っていることがあれば、言ってごらん」
「怒らないですか?」
「怒られるのは怖い?」
「……」
 少年は黙る。しばらく考えてから「姉ちゃんはずっと怒ってた」と答えた。
「お姉さんが怖い?」
「怖いです」
「会いたいとは思わない?」
 少年の姉は高校を卒業して、当時は専門学校に通っていた。一人で暮らし、奨学金などの助成金の制度を利用しながらではあったが、生活費・学費を全て自力のアルバイトで賄っていた。援助を申し出ても「それは弟に」と言うだけで、かたくなに受け入れてはもらえなかった。
 その姉に対し、少年は「思わない」と答えた。「怒ってるから」
「分かった。じゃあいまこの場できみが言うことに関して、ぼくは絶対に怒らないと約束する。だからなんでも言って。不満、希望、なんでも」
 早はそれを聞いて、結婚したばかりの頃のことを思い出した。一緒に暮らし始めて数か月が経ったころ、夫は早に同じことを言った。なんでも言って。怒らず聞くから。
 少年は「惣先生は顔が怖いです」と言い、夫は苦笑した。「なるほど」
「早先生のご飯はいつも美味しいけど、たまにはカップラーメンが食べたい」
「カップラーメンはぼくもたまに無性に食べたくなるよ。だからそういう時は大学生協に行ったり、学生にこっそり分けてもらってる」
 それを聞いて早は後ろで思わず笑ってしまった。本当はジャンクなものが好きで、どこかで食べているんだろうなというのはなんとなく気付いていた。少年が振り向き、それから夫に「こっそりがばれちゃったよ」と言う。夫は「そうだね」と頭を掻く。
「……この家には本がたくさんあるけど、本に興味はないです。だから、……ごめんなさい」
「謝ることじゃない」
「家は、好きです。……庭が広くて走れるし、自分の部屋があるし」
「それは嬉しい」
 少年の声は少し掠れていて、これから声変わりの予感があった。身長もぐんぐんと伸びるだろう。早の背を追い越し、夫の背を追い越す。ふと少年の華奢な背に、少年の父親が成長期だった頃の背中が滲んだ。
 家の外をぐるりと一周して、玄関の前まで戻ってきた。そして夫は少年の肩に手を置き、「きみはこれからしなきゃいけないことがたくさんある」と言った。
「まず、健康に育つこと。それにはよく食べてよく動いてよく寝ることだ」
「寝るのも食べるのも動くのも、好きです」
「じゃあきっと大丈夫。これはクリアできる」
 それから、と夫は僅かに天を仰ぎ、また少年の顔を正面から見た。
「生きる技術を身に着けよう」
「……勉強、ってこと、」
「それももちろんある。でも学校へ行けと言うわけじゃないよ。行きたくなかったら行かなくていいんだ。と、こんなことを言ったら早先生には叱られるかな」
 と、夫は早の顔を茶目っ気ある瞳で振り向いた。早は微笑みながら首を横に振る。夫は「大丈夫みたいだ」と少年に言う。
「これまでの学校の成績から判断すると、きみはどうやら算数と国語が得意だね。算数なんか、通知表の全部の項目が二重丸で驚いた。算数は、好きかな?」
「好きです。気持ちがいい。問題を見たときに頭の中が走り出す感じがするっていうのか……次々に数字が浮かんで来ます。答えを書く手の方が遅いから、もどかしい」
「すごい答えだ」
 夫は心底嬉しそうに早の顔を見た。
「国語は?」
「あんまり……書いてあることは理解出来るし問題の意味も分かるけど、好きじゃないです。まわりくどくて、面倒臭い」
「他の教科は?」
「社会の、地理は面白かったです。理科は普通。道徳は気持ち悪くなる」
「体育や図工、音楽は?」
「体育は……わりと好き。図工と音楽は嫌いです」
 少年ははっきりと答えた。夫は「だってさ」と早を振り返ったが、こればかりは仕方がない。子どもは色々で個性も色々だ。少年の父親も早には懐いてくれていたが、美術そのものに興味があったわけではなかった。早がクラス担任をしていたから縁のあった子だ。
 少年から一通り話を聞いて、夫は「そうだなあ」と顎に手を当て視線を空に向ける。考えごとをするときの癖だった。
「勉強は、しよう。学は頭の柔らかなうちにつけた方がいいから。算数が得意ならそれを重点に、主要な教科はきちんとやろう」
 夫が言うと、少年は「はい」と素直に答えた。
「それから、この家のこともやろう。家を維持していくのはなかなか大変でね。掃除、買い物、洗濯に食事の準備、片付け。僕と早先生がやっていることを、とりあえずは一緒にやってみよう」
 少年は面倒臭そうな顔をしたが、観念したのかこれも「はい」と答えた。
「早さんは何かある?」と夫に尋ねられたので、早は「土日以外は、学校へ行くときと同じ生活リズムがいいでしょう」と答えた。
「最低限、眠る時間と食事の時間は、あまり乱さない方がいいと思います」
「賛成だな」
 夫が頷いたのを見て、少年もこくりと頷いた。
 家に入ろうとしたとき、「おれもお願いがあります」と少年から言うので、夫は少年を振り返った。
「靴が欲しいです」
「靴?」
「きついから」
「おお、」
 それを聞いた夫は嬉しそうだった。「いいよ、買いに行こう」と、いましがた少年が脱いだスニーカーに目をやる。
「冬だし、スニーカーより暖かいブーツの方がいいのかな」
「走れる靴がいいです」
「走るのは好き?」
「好きです」
 そしてその冬、夫は少年に新しいスニーカーを買った。少年は基本的には家にいたが、朝晩は庭の周囲をよく走ったので靴はすぐに傷んで古くなった。動く量に比例するようによく食べよく眠り、やがてすぐに身長が一気に伸びて声変わりもした。
 それはあまりにも鮮やかな成長だったといまでも思い出す。数々の子どもらを見て指導してきたが、間近で見る成長期の迫力には、心から驚かされた。


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Beiさま(拍手コメント)
お楽しみいただけているようで嬉しいです。
惣・早の夫婦に関してはありったけの理想を詰め込んであります。モデルにした方々がいて、そこに想像も入れて書き入れた、という感じです。惣先生は物語の中では既に故人ですが、生きている惣先生をちゃんと書きたかったな、と未だに思ったりします。
さて物語も40話で、そろそろ動きがあります。今日の更新も楽しんでいただけたら、と思います。
励みになる拍手やコメントを、本当にありがとうございます。
粟津原栗子 2018/05/24(Thu)09:06:54 編集
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プロフィール
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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
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