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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 庭の隅に建てた納屋には色んなものが入っている。使わなくなった足踏みミシンに、アップライトのピアノ。古い布団はいつかちゃんと中の綿を陽に当てて干し、打ち直そうと思っていてやらず仕舞い、いまでは虫や小動物に食い荒らされている。屋外の納屋なので、家の中にあるそれとは違い、保管には向かない。大事なものは仕舞っていない。
 農機具もここに入れてあった。ビニール紐に始まり、シュロ縄、スコップ、薬剤や耕運機まで。夫が生きていた頃、鎌や鍬の手入れは彼に任せていた。刃を研ぐとき、微妙な角度で切れ味が変わって難しい、と言って楽しげで真剣だった。いまは違う。早がやる。
 前の日にこの納屋から雪かきスコップと竹箒、長靴などを出して、家の玄関の中へ運び入れていた。これは正しい判断だった。気象予報士が散々訴えた予報は当たり、いまはそこら一面、真っ白だ。しかもまだ止まず、むしろこれからもっと降るという。
 昨日までに頼んでおいた灯油の配達は済んでいる。食料も野菜と米を中心に整っているので、雪で閉じ込められてもすぐに困ることはないだろう。停電や断水でもあったら難儀はするが、マッチ一本で着火する芯出しストーブを使っているので暖は取れる。このストーブの上で煮炊きも出来るから、まあなんとかなると踏んでいる。
 本当は暁登にこの雪への備えを手伝ってもらえたら、と思っていた。しかし彼の電話は何度かけても繋がらず、折り返しの着信もなかったので諦めた。きっとなにか不都合があって電話に出ないのだ。都合がよくなれば連絡があるだろう。
 雪の複雑な結晶の溝に音が吸い込まれて、酷く静かだ。チリチリと雪がガラス窓に当たる時の微かな音と、ストーブの炎の揺らめき、そのストーブの上に載せた薬缶の沸騰、それしか聞こえない。雪の降り方を眺めて早は少し、わくわくしていた。まるきりひとりの時の非常事態で、誰のことも心配しないでいいならこんな天気も悪くない。もちろん、そんなことを考える自分は不謹慎かつ至って呑気であることも承知だ。
 最後にこの一帯が大雪に見舞われたのは、ちょうど五年前だった。あのときはもっと酷かった。夫の病が進み始めた頃と重なってしまい、病院へはどう行ったら、とか、雪かきをいつ、とか、あれこれ考えてはおろおろするばかりだった。
 庭が広いせいで雪かきが間に合わず、家の敷地内から脱することがもう大変だった。結局、降り続いた雪は80cmほどの積雪となった。ライフラインが寸断されやしないかと気を揉んだが、それも夫という存在がいたからであり、いないいまはこんなに違うものかと驚く。
 大切な誰かの為にありとあらゆる不安を抱いては対策を練る。それはとても貴重で尊い経験なのだとつくづく実感する。実感はするが、いまその状況でないことを悲しんだりはしない。夫は死んで、それは過ぎたことだ。早はまだ生きているので、懐かしんだり感傷に浸ったりして後ろばかり振り返っても仕方がない。
 雪が止むまでは、必要最低限の雪かきだけ行って家に籠もる。先ほどから早はセーターを引っ張り出して、ブラシと鋏で丁寧に毛玉を取っていた。夫が気に入って着ていたネイビーブルーの分厚いセーターは、値が張った分ものも良く、擦り切れた肘当てだけ付け替えればまだ充分着られる。虫食いもない。これは大柄の樹生には着られないだろうが、暁登には似合うかもしれないと思っている。暁登が着ないと言ったら、市のバザーなどに出せばいい。それでも貰い手がなかったら鋏を入れて鍋つかみにでもしてしまおうか、と考えながら毛玉を取る。
 雪が降っているから散歩をしよう。
 不意にきらりと、その台詞が頭に過ぎった。早は無意識のうちに目を細め口元を引き締めていた。かつて夫が、学校に行かなくなった少年にそう言った。
 少年にアトピーの気が見受けられるようになったのは、少年がこの家にやって来て二度目の冬を迎える頃だった。確かに日ごろから痒いと言って皮膚を掻いてはいたが、それはごく軽度で、市販のクリームを塗ってごまかせる程度のものだった。それが二度目の冬、いきなり広範囲に広がった。全身真っ赤で、全身猛烈に痒い。とりわけ上半身が酷く、掻き壊して血が滲んでいた。
 初めはじんましんも疑ったが、発疹の出方が全く違う。医者に診せればあっさり「アトピーでしょう」と言われた。その小さな医院には少年が本当に幼いころからのカルテが残っていた。幼少の頃より少年がアトピーに悩まされていたことを、その医院で初めて知った。
 薬をもらい、少年を家に連れ帰った。彼が風呂を使っている間に夫にそのことを話す。夫は「アトピーってのは慢性的なものじゃなかったかな」と疑問を早に投げた。
「これまではあんなに酷い痒みにはならなかったよね。それが突然ああなのだから、別の皮膚症状ってことは考えられない?」
「お医者様が言うには、アトピーには様々な原因があるそうです。季節的なこともあるし、ストレスも原因になると」
「……ああ、ストレス、ね」
「あの子は、あんなことがあったのにこちらが驚くぐらいに冷静で、落ち着いています。泣くことも、駄々をこねることも、攻撃的になったりすることもない。怖いぐらいだと思っていました」
「それは確かにそう思うよ」
「反動がこういう形で現れたのだと、私は思うのですが」
 夫は静かに頷いて、左手を口元に当ててしばらく考えていた。やがて少年は登校をきっぱりと拒否し、一日を家の中で過ごすようになる。アトピーは薬でかなり落ち着いたが、学校に行こうとはしなかった。
 十二月中旬、雪が降った。夫は自室にこもる少年を呼んだ。面倒くさそうに少年は階段を降りてくる。夫は少年に上着を渡し、「雪が降っているから散歩をしよう」と自身も上着を羽織った。
「早さんもおいで」と夫は早にもコートを渡した。


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Beiさま(拍手コメント)
いつもありがとうございます。
書き始めるときはどこで暮らしている人たちの物語かを考えます。そこには想像も入りますし経験も混ざります。今回は雪の備えは冬には必需になる地域、ということにしてあります。災害はないにこしたことはないですが、暮らすその土地に応じて考えねばならないことでもありますね。火の近いところにいる方は地震や噴火を想定しますし、水害、風害、気温の上下もあるでしょうか。
書きながら色々と想像します。Beiさんのお住いの地域はまた違うのでしょうね。いろんな場所で暮らす人のことを書いてみたいです。
今日の更新もぜひお付き合いください。
拍手・コメント、ありがとうございました。
粟津原栗子 2018/05/23(Wed)08:08:30 編集
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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
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