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『夏居さんはS温泉郷で老舗旅館を経営されてきた方です。いまは代を替えて息子の嘉彦さんに経営を譲っておられます。あの通り口が悪いのでなかなか一見のお客が付かないのですが、悪気はなくむしろあの率直な辛口が心地よいと言って、様々な分野からのお客さまに愛された方です。主人もその数いるお客のうちの一人でした』
と早は説明したが、なんにも評価すべき箇所はなかった。少なくとも樹生にとっては、そうだった。
『広く知識を蓄え、物事の骨格を瞬時に見極めるその眼力が素晴らしいと主人などは言っていました。本来はとても努力家の方です。朝は必ず十数社にも上る複数の新聞紙に目を通しているそうです。これに基づく話題の広さも彼の経営を支えて来ましたし、それは嘉彦さんにも受け継がれているようです。このご時世、S温泉郷に訪れる人もずいぶんと減ったというのに、夏居旅館は変わらず繁盛していますね』
早の夫と夏居は、先輩と後輩のようにも取れ、盟友でもあり、特別親しかったと言う。
『よく手紙のやり取りをしていました。夏居旅館には若い頃から年に一度は必ず訪れていましたし、夏居さんは私たちの結婚の際に保証人を引き受けてくれた方でもあります。嘉彦さんが大学進学を決めた際にはぜひうちの大学へと、夫は熱心に勧誘したそうです』
「――つまり惣先生の教え子だった、てことですか」
『そうなります』
それで「岩永」と気安く呼ばれた理由が分かった。まだ早は説明を果たそうとしたが、樹生の方が嫌になって電話を切った。こんなことぐらいで滅入っている自分に嫌気が差す。
茉莉のことも気になっていた。熱が下がったか上がったか、生きているのか死んでいるのかさえもよく分からない。茉莉はあれきりなにも連絡を寄越さなかった。
あのとき、寝起きで頭が鈍っていてすっかり素通りしてしまったが、茉莉は「あの男に関わる人の場所が特定できた」と言った。「捕まえられる」と。「あの男」に関しては、茉莉の数いるボーイフレンドの中に興信所に絡む男がいて、彼に仕事を任せている、つまり「あの男」に関して調べ上げさせ、報告させている、そんな話を聞いていた。だがこれまで目立った成果はなかった。それが一気に動いたのではないか。そういう電話だったのかといまになって気付く。
こうして刻一刻と動く時の、沈黙の時間が恐ろしくなる。茉莉はなにかアクションを起こしたのではないか。決定的ななにかは既に起きたのではないか。
あの雨の日のように、樹生がぼんやりしている間に事が済んでいやしないか。
そう思いながらも目の前の暁登を愛でることで淋しさを紛らわせ現実から目を逸らしている。
じりじりと、炙られるように、しかし確実に追い詰められていた。
煙草を灰皿に押しつけ、吸うのをやめた。ニコチンが体を巡って独特の浮遊感が得られるのがよかったのに、考えが巡ってしまうなら煙草を吸う意味がないと思った。風呂を湧かし、ゆっくり浸かった。後で暁登を起こして、せめて風呂と食事だけはきちんとして、暁登は暁登の部屋のベッドへ戻すのがいいだろう。考えているうちに風呂でしばらく眠っていた。上がると暁登は起きていて、湯を沸かしていた。
「――大丈夫?」と間抜けに聞いた。
「んー、平気。なんか食おうと思ったけど、なんにもなかった。冷蔵庫」
「買いに行ってくる。なにが食いたい?」
「別にいいよ。夏の残りの素麺見つけた」
暁登はそれをさっと茹で、コンソメの粉末を落としたスープに浸した。それを樹生の分まで丼によそう。樹生はありがたく受け取り、ふたりでずるずると啜った。
途中、暁登はテレビを点けた。ちょうどニュース番組の放映中で、明日から天気が悪くなると注意喚起していた。
「雪降るのか」とテレビを見ながら暁登が呟く。
「道理で冷えるはずだよな。あんた、明日は仕事か?」
「うん」
「あんまり酷くならないといいな、雪」
冬場のバイクでの配達というだけで凍えるのに、雪で道路状況が悪化すればさらに面倒である。この辺りは山沿いであり、気象条件として冬は冷え込みやすいし、雪も降る。毎年のことで慣れているとはいえ、降られれば歓迎はしない。
「でもおれ、明日はバイク乗らないんだ。車で配達の日」
「ああ。なら凍えることはないな」
「うん。それよりあきも気をつけろよ、早朝」
新聞配達のバイトは、暁登の場合は親戚宅から譲られた濃い緑色のカブで行っている。早朝で道は暗いし、寒く、おまけに雪予報である。朝の数時間に限られるとはいえ、郵便配達並の過酷さだ。
「そうだな」と暁登は同意した。それから食べ終えた器をシンクに下げ、風呂場へ消えた。
テレビの中ではニュース番組はCMを経てバラエティ番組に変わっていた。賑やかでやかましいのが気に障り、樹生はそれを消してしまった。
→ 38
← 36
と早は説明したが、なんにも評価すべき箇所はなかった。少なくとも樹生にとっては、そうだった。
『広く知識を蓄え、物事の骨格を瞬時に見極めるその眼力が素晴らしいと主人などは言っていました。本来はとても努力家の方です。朝は必ず十数社にも上る複数の新聞紙に目を通しているそうです。これに基づく話題の広さも彼の経営を支えて来ましたし、それは嘉彦さんにも受け継がれているようです。このご時世、S温泉郷に訪れる人もずいぶんと減ったというのに、夏居旅館は変わらず繁盛していますね』
早の夫と夏居は、先輩と後輩のようにも取れ、盟友でもあり、特別親しかったと言う。
『よく手紙のやり取りをしていました。夏居旅館には若い頃から年に一度は必ず訪れていましたし、夏居さんは私たちの結婚の際に保証人を引き受けてくれた方でもあります。嘉彦さんが大学進学を決めた際にはぜひうちの大学へと、夫は熱心に勧誘したそうです』
「――つまり惣先生の教え子だった、てことですか」
『そうなります』
それで「岩永」と気安く呼ばれた理由が分かった。まだ早は説明を果たそうとしたが、樹生の方が嫌になって電話を切った。こんなことぐらいで滅入っている自分に嫌気が差す。
茉莉のことも気になっていた。熱が下がったか上がったか、生きているのか死んでいるのかさえもよく分からない。茉莉はあれきりなにも連絡を寄越さなかった。
あのとき、寝起きで頭が鈍っていてすっかり素通りしてしまったが、茉莉は「あの男に関わる人の場所が特定できた」と言った。「捕まえられる」と。「あの男」に関しては、茉莉の数いるボーイフレンドの中に興信所に絡む男がいて、彼に仕事を任せている、つまり「あの男」に関して調べ上げさせ、報告させている、そんな話を聞いていた。だがこれまで目立った成果はなかった。それが一気に動いたのではないか。そういう電話だったのかといまになって気付く。
こうして刻一刻と動く時の、沈黙の時間が恐ろしくなる。茉莉はなにかアクションを起こしたのではないか。決定的ななにかは既に起きたのではないか。
あの雨の日のように、樹生がぼんやりしている間に事が済んでいやしないか。
そう思いながらも目の前の暁登を愛でることで淋しさを紛らわせ現実から目を逸らしている。
じりじりと、炙られるように、しかし確実に追い詰められていた。
煙草を灰皿に押しつけ、吸うのをやめた。ニコチンが体を巡って独特の浮遊感が得られるのがよかったのに、考えが巡ってしまうなら煙草を吸う意味がないと思った。風呂を湧かし、ゆっくり浸かった。後で暁登を起こして、せめて風呂と食事だけはきちんとして、暁登は暁登の部屋のベッドへ戻すのがいいだろう。考えているうちに風呂でしばらく眠っていた。上がると暁登は起きていて、湯を沸かしていた。
「――大丈夫?」と間抜けに聞いた。
「んー、平気。なんか食おうと思ったけど、なんにもなかった。冷蔵庫」
「買いに行ってくる。なにが食いたい?」
「別にいいよ。夏の残りの素麺見つけた」
暁登はそれをさっと茹で、コンソメの粉末を落としたスープに浸した。それを樹生の分まで丼によそう。樹生はありがたく受け取り、ふたりでずるずると啜った。
途中、暁登はテレビを点けた。ちょうどニュース番組の放映中で、明日から天気が悪くなると注意喚起していた。
「雪降るのか」とテレビを見ながら暁登が呟く。
「道理で冷えるはずだよな。あんた、明日は仕事か?」
「うん」
「あんまり酷くならないといいな、雪」
冬場のバイクでの配達というだけで凍えるのに、雪で道路状況が悪化すればさらに面倒である。この辺りは山沿いであり、気象条件として冬は冷え込みやすいし、雪も降る。毎年のことで慣れているとはいえ、降られれば歓迎はしない。
「でもおれ、明日はバイク乗らないんだ。車で配達の日」
「ああ。なら凍えることはないな」
「うん。それよりあきも気をつけろよ、早朝」
新聞配達のバイトは、暁登の場合は親戚宅から譲られた濃い緑色のカブで行っている。早朝で道は暗いし、寒く、おまけに雪予報である。朝の数時間に限られるとはいえ、郵便配達並の過酷さだ。
「そうだな」と暁登は同意した。それから食べ終えた器をシンクに下げ、風呂場へ消えた。
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プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
****
2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」
2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
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暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
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