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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 汗が不快で目が覚めた。最初に視界に映ったのは見慣れた天井で、ああそうか、医者に行って帰って来て寝ていたんだと樹生は現在の状況を思い出す。体を起こすと、思いのほか軽かった。辺りは薄暗く、いまが夕方なのか朝方なのか分からない。枕元に置いたスマートフォンを確認すると、十六時四十二分の表示だった。
「あ、起きたな」と、部屋の扉が開いた。暁登が手にマグカップを持って入ってきたのだ。よく見れば樹生の寝ていたベッド下に、毛布とクッションと本が置かれていた。
 暁登はカーテンを閉め、代わりに明かりを点けた。「飲む?」とマグカップを差し出してくる。
「なに?」
「ココア。あんたの買い置きの。おれが飲もうかなと思って淹れたけど、あんたが飲むならいいよ、これ飲んで」
「じゃあ、もらう」
 カップを受け取り、一口飲む。甘さが喉に浸みた。
「調子は?」と暁登の手が伸びた。汗ばんでべたつく額に躊躇なく触れた手は冷たく、気持ちがよかった。
「そんなに熱くないな」
「熱は下がったと思う。体が軽いし、汗もかいた」
「一応、体温計で測れ」
 スマートフォンと一緒に枕元に置かれていた体温計を腋窩に差し込まれた。しばらくして体温計は音を鳴らす。体温は三七度台まで下がっていた。
「まだ少しはあるか。でも悪くないな」
 数字を見て、暁登は安心したようだった。再び部屋を出て行く。しばらくしてまたマグカップを持って現れた。今度こそ自分で飲むつもりなのだ。
 暁登はそのまま、当たり前のように樹生のベッドに背をもたせ、クッションを尻に敷いて座り込んだ。分厚い本をめくり出す。
「ずっとこの部屋にいた?」と樹生が訊ねると、「まあな」と暁登は答えた。
「本が読みたかったから」
 と暁登は言ったが、そんな答えは理由にもなんにもならなかった。熱で苦しい時に暁登がずっと傍に着いていてくれていたことが嬉しい。ひとりではなかった。
 暁登が開いている本は厚い。なにをそんなに熱心に読んでいるんだか。体をずらして上からのぞき込むと、暁登は「ああ」と気付いて本の表紙を見せてくれた。
 表紙を見て、息が詰まった。
「――」
「知ってる? ミヒャエル・エンデ。早先生のご主人の蔵書の中から攫ってきたんだ」
 暁登は懐かしそうに本のページをペラペラとめくる。
「って、あんたは本には興味なかったんだよな。知るわけない」
「表紙だけ知ってる」
 暁登の台詞を変に遮るようになってしまったが、今更取り消せなかった。
「面白いよ、って渡されたけど、全く興味を持てなくてさ。読みません、って返したよ」
「……誰に?」
「誰だったかな。忘れた」
 と、適当に答える。本当は覚えている。これを寄越した人には恩を感じてはいたが、なかなか馴染めなかった。本を返却したときは、少し勇気を出した。もらったけど読んでいません、よりは誠実だろうと決意して返した。返したとき、あまり表情の分からない人だったが、淋しさを感じていることは伝わった。だがその人は「そうだね」と言った。「きみのそういうはっきりとしたところはとてもいい」と言われ、その人のことを少しだけ好きになった。
 暁登は不満そうな顔をしていた。それを無視して毛布を引き上げ布団に潜り込む。と、暁登が「なあ」と声をかけてきた。
「初めて会ったときのこと、覚えているか?」
「おれと暁登が?」
「そう」
 意外なことを訊ねられ、樹生は頭を巡らす。はっきりしたことは覚えていなかった。
「あんまり。秋頃の採用だったのは覚えてる」
「そんなもんだよな。おれもぼんやりしてる。緊張してたし」
「あき、いまいくつだっけ?」
「二十二歳」
「じゃあ、三年前か」
 樹生が正社員になって一年か二年が経った頃で、まだ転勤する前でもあった。人手が足りないと言って配達員の募集をかけていたところにやって来たのが暁登だった。正社員いう立場であったので、暁登に仕事を教えたのは樹生だった。
 その時はお互い恋愛感情なんてものは持ち合わせなかった。ただの先輩と後輩、もしくは上司と部下か。暁登は樹生をよく頼ったがそれは樹生が教育係だったからで、それ以上もそれ以下もなかった。
 暁登とは、そのまま半年ぐらい共に働いた。樹生が異動となり、その職場を去ってふたりは自然と会わなくなった、はずだった。
「再会したときは?」と暁登が問いを重ねる。それはとてもよく覚えていたから、樹生は思わず笑った。
「あきが無茶苦茶だった」
 と言うと、暁登は「切羽詰まってた」と、しれっと言う。
「あれが二年前?」
「そう」
「雨の日で」
「降ってた。すげー寒くて」
「終電で一緒に帰った」
「うん」
 樹生はその日のことなら鮮明に覚えているし、何度でも思い出す。なにぶん、その街で再会した暁登の、その街にいた理由が凄かった。暁登は雨の中、その痩せた細い身を知らぬ男に売ろうとしていた。売春を試みていたのだ。


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プロフィール
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粟津原栗子
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非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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