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三.恋をしている


 その日は朝から雨が降っていた。冷たい雨は秋の終わりを予感させる。先日、ようやく畑に耕運機をかけ終わり、畑を休ませる支度が出来たところへ降った雨だった。夫は畑仕事を休める雨の日には夫婦でゆっくりしようと言って、短い小説や詩を朗読して聞かせてくれた。声のよい人だったので、この時間が早には幸福だった。
 早もまた、気に入りの本の一篇を読み返して聞かせたりした。彼女が読むのは児童書が多かった。早は小学校の教員免許も取得していたので、勤務先は中学校だけではく、小学校にも赴任した時期があった。その為か、日ごろ触れる本は低年齢層向けのものが多かったのだ。
 初めて夫と出会った時も、声の印象が強い。教え子の披露宴で出されたフランス料理に、食べ慣れぬものが出たなとナイフとフォークで応戦していたら、「箸をもらいましょうか」と隣から低音が割り込んできた。思わず顔を上げたら強面のひげ面がこちらを見ていたので少し怯んだ。田舎から出て来た冴えないおばさんが、慣れない食器に苦戦している様をばかにされたのだと一瞬思った。しかし声の主は「せっかくの食事ですから、それぞれが気持ちよく食べられる方がいいです」と早の目をまっすぐ捉えて、真面目に言った。目の奥にこの人の生来の人の良さみたいなものが見えた気がして、その瞬間にほろっと、心のどこかがほどけた気がした。
 その会話が糸口となり、夫と添い遂げるに至った。聡明で明晰で、でもどこかとぼけた所があって、顔に反して実は臆病で、朴訥。夫を回想すると秋の終わりの、葉を落とし終えた木立のイメージがつきまとう。そういう季節に出会ったからかもしれない。
 そんなことを思い起こしながら芋を洗っていると、呼び鈴が鳴った。どこかの運送会社が荷でも持ってきたかと思って玄関へ向かうと、そこに立っていたのは暁登だった。
 まだ九時を過ぎた頃で、暁登が来る時間には早かった。それに暁登は雨の日が苦手だ。眠いとかだるいとかで、自然と雨天は約束をしていても暁登は来ないという暗黙の了解が出来ていた程だ。
「おはようございます」と暁登はパーカーのフードを濡らした姿で言った。
「すみません、早くて。あと、いきなりで。電話をしたんですけど、出なくて」
「あ……ごめんなさい、洗い物をしていたせいかもしれません」
「あの、……今日は約束してなかったんですけど、上がっても?」
「もちろんいいですよ。どうぞ」
 お邪魔します、と言って暁登は軽く滴を払い、中に入る。早は先に進んで、リネン類をまとめてある籠からタオルを掴み、廊下をやって来た暁登に渡した。
「キッチンしか火を入れていないんです。だからそちらへ」
 と、暁登を居間ではなく台所へ促す。灯油の芯出しストーブが赤く燃えていた。厳冬期にこれだけでは寒さをしのげないが、いまの時期はこれで充分暖かい。
 朝沸かした湯が薬缶に残っていた。それを沸かし直しながら「珍しいですね」と暁登に声をかけた。
「雨の日に、こんな朝早く」
「雨の日は完全に活動を停止している訳じゃないんですよ」
 と暁登は少し笑った。彼なりのジョークだったのかもしれない。
「いや、あの、病院の待ち時間に抜け出して来たんです」と説明し直された。
「どこか悪いんですか?」
「おれじゃなくて、……岩永さんが」
「あら」
 暁登の説明によれば、数日前から嫌な咳をしていた樹生が、いよいよ熱を出したのが昨夜の深夜だったという。本人は「風邪だろ」と言うが、朝起きて体温を測れば四十度に届いていたので、さすがに医者に連れて行った。市街地の大きな総合病院で、おまけに月曜日である。院内はとても混んでいた。樹生は「付き添いはいいよ。むしろこの中にいたら余計な病気までもらっちまう」と暁登に言い、診察が終わったら迎えの連絡を入れるから、と言うことで暁登は朝早い時間にぽーんと放り出されてしまったという。
「先生に駄目だと言われたら図書館にでも行こうかな、と思ってました。でも考えてみれば、図書館もまだ開いていませんね」
「ああ、そうですね。市立図書館は十時からでしたね」
「おまけに月曜日だから。博物館も休館日で」
「まあ」
 早は笑った。喋っている間にお茶が入った。熱いほうじ茶の入ったカップを暁登に差し出す。
「今日はお芋の味をみようと準備していたところだったんです」
 早がそう言うと、暁登は「芋?」と疑問符をつけて繰り返した。
「ええ。秋に収穫したさつまいも。ストーブを焚くようになったので、その上に置いておけば勝手に焼けてくれますから」
 早は洗ったさつまいもを濡らした新聞紙で包み、さらにアルミホイルで包む。「樹生さんを待っている間に焼けたら、召し上がっていきません?」とストーブの上に芋を置きながら言うと、暁登は微笑んで「いただきます」と答えた。
「岩永さん待たせても、食べて行きます」
「お芋、好きですか?」
「好きです。男なのにね、って母には言われましたが」
「よかった」
 それから早と暁登は、台所でお喋りを楽しんだ。今日の暁登は調子が良いようで、いつもあまり表情を変えない人が、よく笑った。特におかしな話をした訳ではなかった。ただ、早の教員時代の話や夫とのささやかな話題を熱心に聞き、頷いては「いいですね」と言った。



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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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