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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 早の家で過ごして十日ほど経ったころ、朝早くに叔父がやって来た。
 この時間にやって来るのは珍しいと思っていると、彼は「おれも夏期休暇」と答えた。
「藍がずっとこの家にいるからさ。出掛けるならどこか連れてくよ」と叔父は言ったが、藍には行きたい場所がなかった。早との家のこの暮らしが心地よいのだ。夏休みが終わればこれも終わってしまう、と思うと、心臓がきゅうっと縮こまるほど、藍は夏休みを満喫しきっていた。
 静かで、丁寧な暮らし。
「行きたいところ、ないです」と答えると、叔父は「ほんとに?」とすこし困った顔をする。
「欲しいものや食べたいものでもいいよ。なにかないの?」
 そう訊かれて藍はしばらく考える。叔父はショッピングモールの中に入る有名菓子店のチョコレートのジェラートや雑貨の類を挙げたが、藍に心惹かれる部分はなかった。
「三角錐」と答えると、叔父はきょとんとした。
「三角錐?」
「そう、三角錐。綺麗なやつ」
 今度は叔父が考える番だった。そして思いつかず、「教えて」と藍に答えを促した。
「前にね、お母さんがヨーロッパの方、どこだったかな、……どこかの国にお仕事で行ったんです。それでいろんなものを買い付けて来て、その中に綺麗な三角錐があったんです。このくらいの大きさで」
 と藍は片方の手のひらに窪みを作って、想像の三角錐を載せる仕草をした。
「ガラスなのか陶器なのかよく分かんなかったんですが、ずしっと重たくて、青緑色をしてました。オブジェなんだと思うんです。ひと目見てそれが欲しくなって、お母さんにそれを売らないでって頼んで、お父さんにお金出してもらって、買ってもらったんです」
「それが欲しいの?」
「うっかり落として、割れちゃったから」
 あの奇妙な立体の魅力を、いまでもありありと思い描ける。心底ふしぎな物体で、用途は全く謎。けれど母は、それが欲しいと切望した藍にふわりと微笑んだ。あなたはそれが欲しいって言う気がしたのよ、と。
 手に載せて、重さや質感を確かめてはうっとりといくらでも眺めていられた。だからそれを落として粉々に割ってしまったときは、とても悲しかった。
「難しいな」と叔父は唸った。「叔父さんにはお手上げだ」
「無茶苦茶言ってごめんなさい」
「いや、藍はなんにも悪くないだろ。ただ藍の欲しいものが、その年頃の女の子たちによくあるようなものだって勝手におれが思い込んでいただけ」
「嫌いじゃないです。その、ジェラート。茜はすごく好き。お母さんは甘いものが好きじゃないからお店の前を通っても買ってもらえない、滅多に食べられないって、お父さんにねだるぐらい」
「はは」
 叔父は笑いを収め、「この家は好き?」と質問を変えた。
「好きです。静かだから」
「楽しい?」
「友達といるときみたいにドキドキしてわくわくする、って感じの楽しさはないけど、でも、楽しいです」
「それはよかった」
 おれもこの家が好きなんだ、と叔父は言った。
「でも、淋しくない?」
 結局、叔父の夏期休暇にはどこにも出かけなかった。


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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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