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 藍が招かなくても、男は勝手を知っている風に家に上がり込んでさっさと廊下を進んでしまった。藍は扉を閉め、慌てて後を追いかける。台所にまでやって来ていた男は、素麺を茹で終えた早になにか手土産を渡していた。早が藍に気付く。「卵焼きをいただきましたよ」と早は包みをひらいて言う。
「ここのだし巻き卵は美味しいですよね。せっかくだから、いまこのままいただきましょう」
 藍はどうしていいやらぼんやりと立っていたが、男が手慣れた手つきでテーブルの上の料理を居間の座卓へと移し始めたのを見て、それを手伝う。
「塩谷暁登さん、ですよ」と早が包丁を入れた卵焼きを持って来た時に、ようやく紹介してくれた。
「樹生さんのお友達で、私のお友達でもあります」
「どうもはじめまして」
「……あの、」
「ん?」
 先ほど、藍が扉を開けるまでなにを見あげていたのかが疑問だったので、訊ねた。
「別に大したことじゃない」と暁登は目線をわずかに下に向ける。言葉を探っているように見えたが、やがて顔をあげて「小さいころ、あの木に岩永さんがよく登ってたって聞いたから」と藍を正面から捉えた。
「どんな景色を見てたんだろうなって、想像してただけ」
「……」
「もっとも、そのころの木はまだ小さかっただろうから、見えた景色は全然違うんだろうけどさ。それだけだよ」
 どこか含みを残したような言いぶりで、暁登は「いただきます」と箸を取った。食卓での会話はあまりなかった。なにを話していいのか聞いていいのか、うまく思い浮かばなかった。
 昼下がりは気温がぐんと増す。この時間、早は横になって休憩を取る。藍も朝早い時間に起きているのでそれに倣っていたが、同じ屋根の下に知らない男の気配というのがどうもそわそわして落ち着かず、その日はうまく昼寝が出来なかった。
 暁登は昼食後、一階の奥の部屋にパタンと消えると、そのまま数時間部屋から出てこなかった。あそこは確か早の亡くなった主人の書斎だったと聞いている。いまは整理を終えてがらんとしているが、重厚で広い机や椅子は残っていた。蔵書を気遣ってか北に窓のあいた部屋だったので、この家の中では最も涼しい部屋のはずだ。そこでなにをしているのやら、けれど早は気にも留めず休憩を取って、起きあがれば台所でとうもろこしを茹でたり、保存食や常備菜を作ったりといつも通りだ。
 茹で上がったとうもろこしを齧りながら、部屋に籠る男の話を早から聞いた。勉強をしている、と早は言う。
「勉強? 学生なのですか?」
「いいえ、社会人ですよ。けれど仕事上で絶対に必要なのだと言って、語学、英語をメインに勉強しています。暁登さんには当初、あの書斎の整理と片付けをお願いしていました。蔵書や資料や原稿の処分、或いは保管です。それがあらかた済んだころに彼から申し出があったんです。語学関係の本はつかわせてもらってもいいですか、と。本は読まれるためにあるのだから、この若い人が活用してくれるならと思い、快諾しました。暁登さんは仕事が休みの日は、こうやって勉強をしにこの家に来るんですよ」
 語学、英語、と言えば交換留学でアメリカへ行っている妹の茜を連想した。彼女は人とお喋りすることが大好きだから、アメリカでも片っ端から友人を作りまくっているのだろう。だが暁登には、そういう開けて陽気な部分を見出すことが難しかった。綺麗な人だけど、怖い、とも思う。
 それを伝えると、私にはよく分からないのですがと前置きして、早はもう少し続けた。
「暁登さんの勉強は、喋るよりは読み書きが中心みたいですよ」
「なんのお仕事をしているんですか?」
「出版関係です。洋書を扱うお仕事だそうですよ」
 とうもろこしのよいにおいをさせても、暁登は部屋から出てこない。藍はそのまま早を手伝い、もろこしの実を芯から外す作業に没頭した。こうして実だけを保存しておいて、後で料理に使うのだ。
 夕暮れの時間に、叔父がやって来た。「夕飯にしましょう」と言って早は暁登を呼ぶように藍に頼んだが、叔父が引き受けた。座卓に四人分の食事が並ぶ。口数はあまり多くはなかったが、男ふたりはよく食べたし、藍も負けじと食べた。早の作る食事は美味しい。母のそれも悪くないのだが、早のごはんはしっかりめの味付けが夏のこんな時候でもきちんと食を進ませる。
 数少ない会話の中で、暁登は次の休みの予定を語った。今度の休みの日は登山に行くのでここには来ない、という内容だった。
「どこに登るの?」と叔父が訊ねた。
「K岳」
「ソロ?」
「父親と一緒。あんたも来るか?」
 暁登の台詞に、叔父は複雑な表情を浮かべて首を横に振った。
「いや、遠慮する。……親父さんによろしく言っといてよ」
「ああ」
「気をつけてな」
「うん」
 食卓に再び沈黙が降りる。
 食事を終え、またな、と言って叔父は帰って行った。当然のように暁登も一緒だった。明るい室内から、徐々に涼しくなり始めた夜の闇へとふたりで消えて行った。


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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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