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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 三十代に入って、岩永直生からまめに連絡が入るようになった。
 中学三年生という一年間を共にしたが、そして通孝は恋心を抱いていたが、直生に告げることはなかったし、むしろ離れる道を選択した。直生は勉強が出来たので当たり前のように県内屈指の進学校へ進んだし、通孝は早く親の経営を支えなければと考えていたので、手っ取り早いかと思って商業高校へ進学したのだ。以降、音信は途絶え、初恋は初恋のままで終わるのだと思っていた。
 直生の結婚披露宴に招かれたときに久しぶりに直生に会った。直生の隣で微笑む女性のことは、少々複雑な想いで見ていた。綺麗な女性だったので嫉妬の対象にはならなかった。ああ、結局はこういうのを望んだんだな、と思うと、男の自分は逆立ちしたって無理だから、仕方がないと思う。直生との恋が叶うなんてことは、端から諦めていたのだ。
 披露宴の席に鳥飼がいたことは、とても驚いた。度胸があるなと思ったのだ。かつて恋心を抱いていた人を自分の結婚披露宴に呼ぶ、その意図はなんだろうか、と。ましてや鳥飼は四十歳に届こうかというころでも未婚であったから、そういう女性を招くのはどういう心境かと問いたかった。もちろん訊きはしなかったが。
 直生は幸せそうに笑いながら、「すぐに子どもが産まれるからそのときは見に来てくれ」と言った。大学を出て就職して一年かそこらだ。よっぽどセックスに励んだかと鼻白んだが、直生は直生の人生で、通孝とは関係がないことだと思いなおした。
 道は分かれたまま、交わることはない。そう思っていたから、ぽつぽつと便りが届きだしたころは意外に思った。他愛もないことからはじまった交信。ある日強く「会いたい」と要請があったときは、だから、正直戸惑った。
 実際に会ってみて驚く。直生はひどく痩せていて、目ばかり血走らせていて、幸福そのものの披露宴からすっかり様変わりしていた。
 昔通った、昔からある喫茶店で、直生の妻・美藤も同席していた。美藤にはあざがあり、明らかに暴力を振るわれていることが見て取れた。そして直生自身の手も生々しく腫れていた。妻を殴って出来たあざだと言った。
 入院しかないと思うんだと、直生は覇気のない声でぼそぼそと喋った。
「――どうしても美藤や、子どもを、殴ってしまう」と。
「家庭内暴力、」
「そう、それ……」
 なぜ、と問う前に直生は顔を手で覆い隠して震えだした。美藤が「直生さん、」と言って背に手を添える。直生は泣いていた。「ごめんなさい」と後悔から来る謝罪の言葉は、間違いなく自分自身のことを責めていた。「ごめんなさい、ごめん……」言葉はむやみに繰り返される。
 それを聞いて、通孝の体に衝撃が走った。こんなにも苦しんでいる。こんなにも追い詰められている。
 ――全く知らなかった。ただ幸福に在るのだと思い込んでいた。
 直生と美藤のことを、自分のことから切り離して考えられるくらいには、初恋から逃げ切っていた。けれどこの直生の切実な嗚咽を聞いてしまえば、それは途端に怪しくなった。
 一から全て話せ、と促した。直生が渋ることも苦しがることも容赦せず語らせた。そこから分かったのは大したことではなかったが(例えば自身に当てはめるなら、そんなのは少し考え方を変えるだけで解決出来そうなことだった)、直生にとっては大問題で、その根本はすべて直生の精神の弱さにあるように感じた。少なくとも通孝はそう結論づけた。
 中学生のころのことを思い出せば、晴れたり曇ったり、こころのうつろいは岩永直生という男にさほど遠いものには感じなかった。
 自分に対して悔しく、憎らしく思うんだ、と直生は歯を軋ませながら言った。
「――美藤を、子どもらをこのままでは、殺す」
 ギリ、と奥歯を噛みしめる音を耳にして、通孝はやるせなくなった。
 どうして直生の性質を分かってやれないのだろうと、美藤を責める気持ちがあった。どうしてここまで追い詰められてしまったのだろう、と。それはおまえの、おまえたちのせいではないのか、と。安心して一家を支えてくれる役目にあるとでも思ったのか、この弱い男を。
 むせぶ直生の背を優しく叩きながらも、疲労した目で通孝を見つめてくる女に無性に腹が立った。
「……そういえば今日、娘さんと――息子、だったか。は、どうしたんだ?」
 と訊くと、美藤は目を伏せ、直生は「早先生のところだ」と言った。
「――早? もしかして鳥飼早?」
「そう。いまは結婚して、草刈早、だ」
「結婚した?」
「うん、……おれの大学時代の恩師と結婚したんだ」
 ざっくりと鳥飼早の話を聞いた。彼女は変わらず岩永直生にとっての「聖母」として、交流があるらしかった。
 黙ったままの美藤が口をひらいた。
「この人を、失いたくないんです」
「ええ、」
「だから、主人と話して決めました。治療に専念しましょう、って」
「それは……つまり、」
「主人のかかる病院には、急性期の患者が入る病棟があります。そこに入院しよう、と」
「ばかなこと」
「それしか……いまは考えられないので、」
 それはつまり、閉鎖病棟に閉じこめられる日々を送ることを意味していた。
 病棟、病気療養、といえばまだ聞こえとしては充分だ。哀れみと同情の目を傾けられることに馴れればどうってことはない。けれど精神科の閉鎖病棟は違う。キチガイのかかるところであるし、医師は匙を投げたも同然の意味だ。
 おまえは社会にとって触れてはいけない狂気だから隔離する。一生そこで暮らして、とっとと死ね、と言われているようなものだ。
 通孝の背筋がぶるりと震え、強張った。
「――そう、それで、入院する前にきみに会っておこうと思って」と直生は言った。
「……どうして僕なの、」
「おれはもう肉親を亡くしている。いたとして、関わりたくもない間柄だった。美藤も同じような境遇で、おれたちには頼れる人がいないんだ。だから、美藤や子どもらをきみや早先生らに頼めたら、という甘えと、あとは……きみなら受け入れてくれると、思った。これも甘えだ」
「なにを、受け入れればいい?」
「……おれが存在すること、」
 そう言って直生はまた顔を伏せ、美藤に背をさすられていた。だがそれもうっとうしいのか、「触るな!」と妻に吠えた。
 怒鳴ってからはっと顔をあげ、通孝を見て目を逸らした。「ごめんなさい」
 通孝は、辛くなった。どうして、という思いが募る。どうしてこんなに責められなきゃならないのか、この弱い人が。なぜ周囲はここまで放置したのだ。なぜ、どうして。答えは出ないが、ただ直生を取り囲む環境に対しての憤りと怒りがあった。
 僕なら直生のいちばんの理解者になる、と通孝は根拠もなく自信を漲らせた。
 彼をゆっくり休ませてやれるのは、自分だけだろう、と。
「うちにおいで」と通孝は言った。
「うちの山荘の従業員寮のひと部屋きみにあてられる。外界と隔てられるという意味じゃ、入院や療養生活と変わりないよ。なんせ周囲は山しかないからな。自然環境は多少厳しいけれど、空気と水がいいのが自慢だ。きみにきっと、合う」
 ひゅ、と直生の喉が鳴ったのが聞こえた。
「いいか岩永、きみは他人よりすこし繊細に作られてしまっただけだ。おかしいところはなにもないし、ましてや謝る必要もない。きみは、治る。元気になる。そうすればまた、……暮らしていける、」
 そう思う、と結ぶと、直生は目からぼろぼろと涙をこぼして頷いた。
「そうしても、いい?」
 直生は泣きじゃくりながら訊ねる。
「きみに甘えても、いい?」
「甘えるために連絡寄越したんだろう?」
 そう言うと、直生はようやく笑った。ぎこちなく頬の筋肉を動かした。久々にそうしたから忘れてしまった、そんな言い分を聞いた気がして、目の前の痩せた背の高い男を憐れに思った。
 すぐに来い、という話でまとまり、当面の必要な荷物だけ持って直生をその場で預かることにした。
 去り際、美藤は通孝に深く頭を下げた。なにからなにまで、という慣用句を、通孝は最後まで言わせずに一蹴した。
「岩永のためです」
 そう言うと美藤は疲れた顔を少し緩ませた。諦め、不安、安堵、そういったあらゆる感情が垣間見える。
「なぜ、ここまで、……」と美藤は疑問を口にした。その疑問には「友人なので」と答える。
「岩永が幸福に暮らせることを考えただけです」
「……」
 そこには「おまえには無理だ」の誹りも含まれていた。美藤は黙って頭を下げた。


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粟津原栗子
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成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
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