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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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「墓な、移そうと思うとる」と運転しながら静万は言った。
「もう古くてな。墓地の位置も悪いからなかなか来んし。千勢も十三回忌でちょうどええてな。市の方で新規霊園の区画販売が始まっててん、そこ申し込んだ。墓石も新しくするつもりじゃ。やけん、吾田はええタイミングで来てくれた。……墓参りなんて、よう決心してくれたと思う」
「ずっと行かないわけにはいかないとは思っていたから。それだけだ」
「今日はこっちに泊まりか? 魚介は自慢や、その辺の居酒屋でもええもん出る。せっかくやし、食うてけ。地酒もええのがあるしよ」
 車は市街地を離れ、山道に差し掛かった。雨は小雨程度で済んでいる。木々の緑に遮られて空が見えない。そういう道をガタガタと進んで、着いた先は随分と長い階段のある寺だった。
「あっちにも道があって、階段登らんで行ける。急なんは変わらんけどな。そっちにしとくか?」
「いや、このまま石段のぼるよ」
「なら墓地に向かうな」
 長い階段を上り切るとさすがに息が切れた。墓地の入り口にある水桶と柄杓を取り、水を汲んで静万の案内で墓と墓のあいだをすり抜ける。奥まった場所に古ぼけた墓石の区画があった。「浅野家」と彫られているが、よく見ればこの辺一帯に同じく「浅野家」と書かれた墓石が並ぶ。これは案内がなければ見分けがつかないな、と静万に感謝した。
 柄杓で水をかけ、花を整え、線香を上げる。墓石の前で長く手を合わせて目を閉じた。こういうとき、故人と近ければ話しかけるものだろうかとずっと考えていて、いざ墓を目の前にして、口にできる言葉はなかった。ただ心中で千勢に言い訳じみた謝罪が浮かぶ。答えがないのは承知、死とはそういうことで、残されて生きるのも同じことだ。
 雨こそ降っていなかったが、湿気は凄まじく、じっとりと霧吹きでも噴きかけたような汗が肌に滲む。かたく瞑った目を開けて、墓石を正面から見直す。両脇に添えたばらの花はちっとも似合わなかったが、それが千勢に向けた青の答えなのだから仕方がない。
 妻は死んだ。青以外の男と共に死んだ。青にはそれが罰に思え、母にとっては青への符号でしかなかった。それに収まりをつけたくてここへ来た。今後ここへ来ることは、もうないと思う。
 立ち上がると身体中を一斉に血がめぐり直すのが分かった。背後に控えていた静万が「済んだか?」と声をかける。
「済んだ。ありがとう」
「いや、それはこっちじゃけ。ありがとうな、吾田」
 静万の表情は固く整え直されていた。
「そして姉の非礼を、心からお詫びいたします」
 そう言って静万は深く頭を下げた。綺麗に九十度のお辞儀をされて、青は覚悟していたことだとは言え、やはりうろたえた。
「本来ならば吾田さんには両親揃って謝罪をしなければなりませんが、合わせる顔がないと父はふがいなく、母もうろたえるばかりで重ねて申し訳ない限りです。こちらの心中を察してくださいとあつかましいことは言いません。が、浅野の家の跡取りとして、私が一族を代表して謝罪することでどうかお納めください。誠に申し訳ございませんでした」
 地面に頭をこすりつける勢いだったので、肩を押してそれだけはやめさせた。
「静万、こっちにも千勢に対する言い分があるんだ。言い訳、かな。改まった口調はもういいから、さっきまでの態度に戻ってくれ」
「両親は、心から悔いても悔やみきれない、と申しています。私もそう思います」
「だから、もういいからさ。そういうのは望んでいないんだ。……ちょっと、どこか座ろう」
 辺りを見渡して、結局は墓地を見渡せる御堂の縁に腰掛けた。
「おれにとって千勢は、ただひたすらに優しい女性だったんだ」
 そう言うと静万は淋しそうな瞳で、だがなにも言わなかった。
「彼女と過ごした時間は、ヒーリングだった。おれもこうやって人並みにやっていけるんだ、と思える時間。千勢はわがままを言わず、おれに頷いて、笑いかけてくれた。辛い時は黙って傍にいてくれたんだ。そういう人だった。彼女と喧嘩をしたことは、一度もなくてね」
 静万は俯く。
「でもそれっておかしい、とおれは気づかなかった。気づかないぐらい、目を塞いでいた。彼女にも欲求や不満がきちんとあって、笑いたくない夜も、怒り出したい朝も、泣きたい昼だってあったはずなんだ。それがおれと彼女のあいだには存在しなかった。お互いに不満を口にできないぐらい、臆病なまま、上辺で過ごした四年間だったんだよ。静万から見て千勢はどうだった? ただ大人しくしとやかなだけの女性じゃなかったはずだ」
「……まあ、好いた男の手前猫かぶっとんのかな、てのは、思う時あったよ。千勢は家族に対しては、大胆で、大きな態度で出る時もあった」
「そうだろう? だからきっと彼女が死ななくても、離婚はあり得た話だったと思う。……おれがずっとよそを向いていたのに、それを隠して接していたことに、彼女はきっと気づいていた。だからあんな結果になったとは言わないけど、でもきっと彼女と一緒に死んだ男性は、彼女が感情や欲求をさらけ出せる人だったんじゃないかな、と思う。そうだといい、という願望も含んでいるけどね。……おれには出来なかった関係性だ。不倫はよくないことだった。これは絶対だ。間違っている。でもおれには彼女を責める理由はないし、責める気持ちも湧かない。こうなってしまったのは、おれにも原因があった」
「……原因てなんじゃ? 吾田にも浮気相手がいたか?」
「浮気ではない。これは間違いがない。けれど彼女を愛していたわけではなかった」
「ほうけ。でもまあ、よくある話と違うか? どこの夫婦にもあるっちゅうか。おれだって嫁さんと始終一緒におったらかなわん。感情のぶつけ合いとか勘弁じゃし。でも話さないとあかんことあるしな、そうやって歩み寄る工夫はすんのじゃけど。折り合い言うたらいいかな」
「おれたちは歩み寄りや折り合いさえなかったよ」
 静万は黙った。
「上辺の手触りの良さだけ選んで一緒に暮らした、それだけなんだ」
「千勢が実家に帰省した時な、『青さんの本当の心は私とは違うところにある』とおふくろにこぼしてた。一回だけじゃったが」
「……」
「それはなんとなく前嶋かな、とおれは思うた。言わんかったけどな。それはそれでいいんじゃ。なんでも許されるわけやないこと分かるし、きっと吾田も堪えることが多かっただろうから」
 静万は立ち上がり、深く頭を下げた。
「これで終いじゃ。もう吾田はうちに一切関わらんでええ。うちも関わらん。そういう縁もあるっちゅうことじゃ。縁切り、と言ったらええか?」
 静万は顔を上げる。
「どうか元気で。もう、ええから」
「うん。……ありがとう。おれもそのつもりはない」
「ならそれでよかろ。戻ろか。小さい街じゃけん、前嶋のやつ暇してんのと違うか?」
「どうかな。あいつは小さいことで遊ぶのが上手いから。あんな性格のくせにな、……昔からそうだ」
 サマースクールの頃を思い出した。雲の流れ方とか、先生の咳払いの癖とか、素数を見つけるとか。退屈を知らない性格の、幼い夜鷹。
 桶と柄杓を返し、墓地を後にする。長い階段を下り、駐車場で車に乗り込む。「駅前でええかな?」と言われて頷く。
 駅のロータリーで降ろされた際、紙袋を渡された。
「両親から。嫌でなければ食ってくれ。なんなら前嶋と分けたらいい。この辺の銘菓じゃ。うまいぞ」
 それぐらいなら、と思って受け取った。
「じゃあ、ほんまにさいならや。吾田、本当にありがとう」
「いや、こちらこそ世話になった」
「ほな行くわ」
「ああ」
 窓から手を出してひらひらと振り、車は駅のロータリーを抜けて去っていく。紙袋を手に、夜鷹のスマートフォンに電話をかけた。夜鷹はあっさりと捕まり、バスで駅まで戻ると言って通話は切れた。
 待ち時間のあいだ、紙袋の中身を取り出す。やけに重たい菓子だと思った。団子か大福の類ならそうかもしれない。箱は桐箱だった。包装を解き、空腹のままにひとつ口にしようとして、底板の位置と底の位置が合わないことに気づいた。いじっていると底板のはずが外れる。
 バスが到着し、夜鷹が姿を見せる。青はベンチの上ですっかり固まっていた。夜鷹の手が肩に触れる。
「おい、青」
「夜鷹」
「あ?」
 真っ黒な目が、青を捉える。
「底に小判が敷き詰められているってこと、現代でもあるんだな」
「意味が分かんねえ」
 和菓子の入った桐箱の底板の下に、札束がぽんと収まっていた。手渡ししたのでは青は受け取らないだろうからとあえて黙って寄越したのだろう。
 手切れ金のつもりだと分かる。もしくは慰謝料か。だが途方に暮れた。



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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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