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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 一泊二日の登山は本当に分岐点だった。残りの夏休み期間を夜鷹は進学準備と進学費用捻出のためのアルバイトにだけ費やし、青は全く家に寄り付かなくなった。いつの間にか夏休みも終わり、後期の授業がはじまる。学校生活も終盤に差し掛かっていた。お互いに卒業論文と進路で忙しくなり、構内で出くわしても目配せ程度で済まして声はかけない。
 大学四年間が終わろうとしていた。夜鷹は無事に進学が決まり、アメリカにある大学の院生として迎えられることになった。とはいえ新年度からの入学で手続きを取ってしまったので、九月はじまりの留学先と三月終わりの在学で、時間のずれが生じた。夜鷹は先に出国し、留学生向けの語学プログラムを受講するつもりで荷造りをしていた。出来ればアルバイトを探して金も貯めたい。もしくは生活を早く移したかった。
 春の日差しが部屋に差し込む。もう青とまともに話さないまま、ずいぶんと時間が過ぎた。これからも過ぎる。
「夜鷹、昼食にしないか」
 在宅で仕事をしていた父親が、わざわざ呼びにきた。夜鷹は荷造りの手を止めて、ダイニングへと下りる。夜鷹と同じく海外へしょっちゅう出かける父親の作る料理は、いきなりこてこての和食尽くしだったり、多国籍が無計画に並べられていたりとでたらめばかりだ。今日の昼食はイタリア式で、魚介のパスタとパンとチーズが並んだ。けれど汁物は醤油ベースのかき玉汁だったりして、こういう節操のなさはかえって父親らしいと思う。
「荷造りは進んでいるか?」と父親は訊ねた。
「ぼちぼち。本に困ってる。あらかたまとめるけど、全部は持って行けないから、しばらく置かせて」
「それは構わない。いつでも帰ってくればいい」
 その父親の台詞にしばらく黙っていたが、やがて夜鷹は「あんまり戻らないつもりだ」と答えた。
「できれば拠点をあっちで考えてる」
「そうか」
「あと言っとくけど、おれは結婚はしねえから」
 そう言うと、父親はフォークを置いて夜鷹を見た。
「孫の顔が見たいなら姉貴夫婦で充分だろ。そっち可愛がっておいて。おれはガキも嫁も持つ気はない」
「うん。……なんとなくおまえはそうだろうな、とは思っていた」
 父親は水を飲み、夜鷹を正面からしっかりと見据えた。髭面の、穏やかないつもの顔だった。もっと驚かれるようなら後悔したはずだから、それなりに自分の父親のことを信頼していたのだと悟った。
「……気づいてた?」
「なんとなくね。日本じゃまだ難しいことが多すぎるけど、国を越えれば珍しい関係性じゃない。僕の友人にもいる。みなクレバーでいいやつだ」
「……おれは恵まれてるんだと思う。好きなことをやっていい環境だから。親に理解があるって言うのか? そういう理解を得られずに、困って苦しみながらこれは自分の間違いだと思ってるふしのやつがいて、……そいつは親には自分しかいない、と言った。もしそいつの親に理解があったら、あいつの淋しさは、もしかしたら」
「珍しくナーバスじゃないか」
「失恋したんだ」
「そうか。夜鷹自身を受け入れられないと言うことかな?」
「いや、環境の違いだろうな」
「なら、なおさら悔しいね」
 父親は布巾で口元を拭い、「夜鷹はもっと怒っていいんだ」と続けた。
「おまえの言うとおり、これの環境が影響するところは大きい。育ちの環境だな。文化の違い、もしくは宗教の違いとも言える。信心の差だ。だめだと思っているものはどうしたってだめで、克服は精神的なコントロールを必要とする。苦しいし、容易いことではないだろう。だからって、諦めることはない。苦しいと足掻くことや、痛いと痛がることも、無駄なことではない。泣き明かす夜なんて経験したくもないかもしれないが、心の成長には必要だ。学習であり、経験となって蓄積する。それらはこの先、おまえにとってプラスに作用する。だからもっと怒っていい。相手に対して、あるいは社会に対して。我々先を生きる大人に対して。いつもの口調で罵っていいんだよ」
「……なんかな。そんな気分になんねえんだ。落ち込むってこういうことなんだな。……あいつにとってプラスに働かないと意味がないから、怒りさえ無駄に思える」
「無駄ではない。声はあげるべきだ。その人をまだ好いているなら、なによりもおまえ自身が諦めずに根気強く自分と向き合うことだな。それはいつか、その人を変えるだろう」
「……」
「そして大前提に、僕ら年長者が理解を怠らず、おまえたちにとって暮らしやすい社会にしていくことがあるんだ。先を生きる大人の役割だから、貴重な意見を聞いて善処しよう」
「おれとっくに成人してるけど」
「だがおまえは僕の息子だ。それは生涯変わらない。若い人はね、前も後ろも考えなくていいからとにかく進まなくては」
 夜鷹はパスタをつつき、「あいつの親がうちの親みたいだったらよかったのかな」とこぼした。普段ならこんなこと決して漏らしたりはしない。出国前で、気が滅入っているのかもしれなかった。
「もし親を選べるなら、……親父みたいなところに生まれて、育って、自分のコンプレックスももっと楽に受け入れられたかもしれない」
「もし、だったら、なんて話は、考えるだけ無駄な時間だとおまえは言っていたじゃないか」
「まあな」
「子が親を選べないように、親も子を選べないんだ、夜鷹」
 夜鷹はフォークの先から目線を移し、顔をあげた。
「けれど子は巣立つ。環境を自分で選択していくんだ。これからおまえがこの家を出ていくように」
「逃げるだけだと言われた」
「逃げも戦略だ。恥じることはない。それに僕はおまえの選択を、逃げだとは思わない。勇んで踏み出す一歩だ。なかなか出来ることではない。繰り返すが、若いうちにしか経験できない一歩だ」
「どうだかね」
「おまえは昔から興味のあることに真っ直ぐで、努力を惜しまない子どもだった。教えたわけではないのにね。口の悪さと小賢しさには参ったけど、僕は努力を怠らない人が好きだ。諦めはやはり失望と同義だからね。だからおまえのことをとても信頼している。そのまま進みなさい。おまえのいまの姿勢を保つことが出来れば、人生は豊かで有意義に流れるはずだ」
「そういうこという教授って信頼できないよな」
「ここは大学じゃあない」
「ごちそうさん。食器はおれが片付けるよ」
「ああ、任せる」
 夜鷹は皿を下げ、席を立った。キッチンへ向かおうとして、父親に「そういえば」と呼び止められた。
「玄関におまえ宛ての荷物がある」
「荷物?」
「青くんから。彼、さっき来たんだ。夜鷹を呼ぼうかと言ったのに、渡してくれれば分かると言って行ってしまった。彼は就職と、ああ婚約も決まったんだってね」
 それを聞いて、夜鷹は喉の奥がずきんと痛んだ。身体の血流が一斉に止まったかのような冷感でだるくなる。
「足に鎖がついたわけだ。もう飛べねえな」
「飛ぶ必要はないさ。僕らに翼はないからね」
「……そうだな」
 食器を下げ直し、片付けを済ませて玄関へ向かった。黒い細長いケースが置かれている。それがなんなのか分かった途端、夜鷹はやるせなくなった。咄嗟にケースを掴み、振り上げて、床に叩きつける自分を想像した。重いケースを抱え上げ、夜鷹は自室への階段を上る。
 ベッドの上にそれを置き、ロックを外してケースを開けた。収められていたのは天体望遠鏡だった。ずいぶんと古いそれを、いつまでも大事にして、これで夜鷹の部屋から星を見ていた青。この家に来ることがなくなって持ち帰ったと思ったのに、こうしてまた夜鷹の手元へやって来る。
 ケースの内側に葉書が挟まっていた。大学三年の夏、青と行った山荘で青に買ってやった絵葉書だった。裏をめくると十一桁の数字が記されていた。夜鷹はそれを手に、一階の居間に置いてあった電話の子機を取りに行って、自室の窓際に座ってナンバーを押した。
 数回のコールで、電話の相手は『夜鷹』と名を呼んだ。



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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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