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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 深谷にじっと見つめられるだけの時間が、もうどれぐらい過ぎただろう。今日が六日目、よく集中力が続く。いや、深谷曰くこれは「愉しんでいる」時間なのだから、集中力がどうとかこうとか、そういう話ではないのか。ソファに深く座ったきり動かないから寝ているかと勘違いしそうだが、目はずっとこちらへ傾けられている。微笑んでさえいる。
 奇妙なバイトを引き受けたのは、報酬がやたらと高額であったからだ。一週間で十万。男に「鑑賞される」仕事だ。話を持ち込んだのは兄で、「世話になった人が若くて暇で口の堅い男を欲しがっているがおまえやらないか」という話に、詳細も聞かず食い付いた。一月に会社のリストラに遭い、職を探すもなかなか見つからず、実家で寝てばかりいる日々だった。断る理由なんかなかったし、一週間で十万は破格だ。
 兄が世話になった人は、名を深谷と言った。四十代を超えるか超えないかぐらいで、痩せ型の身体に、ブルーグレイのセーターが似合った。すっと伸びた背が好印象だ。挨拶を交わした際の、温和な声も良かった。
その深谷の家で、一日を深谷の傍で好きに過ごすのがこのバイトだ。本を読もうがゲームをしようが、飯を食おうが寝ようが構わない。ただその間、おれはずっと深谷に見つめられ続ける。鑑賞される仕事、はそのままの意味だった。
 黙って鑑賞を楽しんでいた深谷が、深く息を漏らして身じろいだ。「顎、少しあげて」
「……こうですか?」
 深谷の向かいにあるカウチに寝転んで本を読んでいたおれは、深谷の命じるとおりに顔を持ち上げた。深谷が「もうちょっと」と言って、手を伸ばし顎先に触れてくる。喉仏をぐっと突き出すような体勢になった。
「くるしい?」
 本を読むにしてはおかしな体勢を、深谷が訊いた。
「いや、平気」
「顎と喉の線が見たい」
 再びソファに沈みながら、「いいよ」と満足げにため息をついた。深谷のために、しばらくその体勢でいてやる。鑑賞用の魚にでもなった気分だ。残念ながら、おれはごく平凡な顔と身体で、目を惹くカラーも造形もない。どこが楽しいのか分からない。こうやって深谷に見つめられ続けていると、身体の頼りなさを意識せざるを得ない。
 兄の話では、深谷は独身で一人暮らしということだった。三十代で一度結婚をしているが、間もなく母親に介護が必要となり、薄情な妻とは数年の別居生活の末に別れたそうだ。その母親も今年のはじめに亡くなった。子どもはいない。古くこぢんまりとした住宅に今まで通り暮らし、会社に通っている。
 真面目な人だと言うが、そんな真面目な人間が、こんなおかしな嗜好を楽しんでいる。抑圧され続けた生活から解放された反動、と言うだろうか。おれをうっとりと眺めては、満足の深い息を漏らす。おれの中になにかを見つけてはひっそりと笑う。
 昼ごろから始めて、夕方には終わる仕事だ。たっぷり見つめられた後は夕飯を馳走になる。決まって宅配で、とびきり豪華なものをおれと自分のために用意した。うなぎだとか江戸前寿司だとかふぐだとか、食おうとも考えないような豪華なものばかりだ。
 初日は緊張と強い羞恥でなにも食えなかった。じっと深谷に見つめられることが、恥ずかしくてたまらなかった。なにをしてもどう動いても熱のある視線が常におれに貼りついている。服なんか脱いじゃいないのに……――緊張しすぎた結果、二日目は早退した。疲労と緊張で熱を出した。
 それでも三日目以降は順調で、深谷がいても自由にふるまえるようになった。大抵は深谷の家の本棚から一冊より抜き出して、それをめくっている。たまに深谷に命じられたり、或いは視線を意識したりして、顔を上げる。目が合っても、深谷はうすく笑うだけだ。はじめこそ恥ずかしくて目を逸らしてばかりいたが、逆に見返すようにしたら、おれも楽しくなった。そうやってほとんどなにも喋らず互いを見つめながら、時間を過ごしている。
 日が暮れかかった頃、玄関のチャイムが鳴った。深谷が「今日はおしまいだ」と言って立ち上がった。デリバリーが届いたのだ。六日目の夕飯は中華で、深谷が器のふたを取る前に匂いで腹が鳴った。とろとろに煮込まれた豚肉や餡でとじられた海老、粽など、いつもより品数が多いのが嬉しい。早速箸を受け取り、食べる。
 この仕事も、明日で終わる。一日早退してしまったが前金で渡された十万はそのままでいいと言われている。ほとんど喋らないから、深谷のことは兄から聞いた話の範囲でしか知らない。普段はどんな仕事をしているのか、こんな時期に一週間も休みを取れるような立場なのか。なんでこんな趣味なんか持ってしまったか、これは初めてなのかいつもこうして若い男を呼んでいるのか。おれが辞めたら、また新しいだれかを呼ぶのか。そこまで考えるとつまらくなり、おれは自分から口をひらいた。「次は、どんな人が来るんですか」
「――ないよ、ない。誰も来ないよ。こんなことするのは初めてだし、これから続けるつもりもないさ」
 最初で最後だから、と深谷は笑った。鑑賞の際の恍惚とした笑みとは違う、人に向けられた豊かで朗らかな笑みだ。胸がくるしくなった。
「……なんで男を鑑賞ですか? おれなんか見てて、一日中それだけで、楽しい?」
「楽しいよ。あなたに来てもらえて正解だったから、あなたのお兄さんにはとても感謝している。ずっと夢だった。夢というか、野望だな、もう」
 鑑賞の時間が終われば、深谷の目は驚くほど穏やかだ。あの目に見られすぎて、通常の深谷の方におれはうろたえた。
「大学の頃、教授にそういう噂が流れていた。自分の奥さんを夕食後に毎晩眺めているんだ、とか言って。そういうおかしな話が本当のことみたいに似合ってしまうような教授だったからな……ぼくだったら、っていうことをいつの間にか考えるようになった。ぼくだったら、若い男だ。好みに合う男を傍に置いて、一日中好きに眺められたらいいと、よく想像しては夢中になっていた」
 箸を置き、茶を一口飲んで深谷は息を吐く。
「思ったって心の中で思う範疇の話で実行は出来なかったさ。真面目に働いて、母親の面倒を見て、妻とは顔も合わせない、つまらなくて最悪な日々をずっと過ごしてきたんだけど、それが今年になって急に自由になった。解放されたと思った。今までしたくても実行できなかったことをしようと決めたが、どこにどう頼んだらいいのかさっぱり分からなかった。それで、あなたのお兄さんに相談したんだ」
「……おれで良かった? 若いっても、おれもう二十七歳とか…」
 もっと若いのとか、かわいいのとか、スタイルがいいとか見た目がキレーなやつとか、街に出ればその辺にたくさんいる。インターネットの掲示板でも使えば簡単に引っかかる。おれは本当に普通で、鑑賞に適しているようには思わない。
言いかけて、それ以上は口をつぐんだ。単に深谷がおれに満足している事実を確かめたいだけだ。「なんでもないです」と打ち消したが、深谷はほほ笑みながら首を横に振った。
「あなたは最高だ」
 望む言葉を望んだように口にされて、充実感が身体中を巡った。顔から火が出るぐらいに熱い。身体をぴりぴりと駆ける熱で興奮して、つらいのに心地が良くて、目がまわる。
 深谷の言葉に酔いながらおれは思う。このままこのバイトを続けていたら、いつか全部見せる日が来る。服を脱ぎ、全裸になる。深谷が望めば、自慰だってきっと見せる。

 七日目も変わりなく終え、バイトは終了した。最終日の食事は高級料亭の仕出し料理で、重箱に入っていた。普段じゃありえないほど豪華な飯を食いながら、まだこの家に通いたい、と思っていた。深谷に見られたい。最高だと言ってほしい。料理の味はよくわかんなかった。
 ボーナスだと言って三万円余計にもらって、帰宅した。深谷は明日からまた仕事に行くようだ。今回のことは他言しない約束である。虚しくて、淋しい。あの目を押し隠し、世間に合わせて顔を繕い、会社へ通う深谷の姿を想像する。残念でたまらない。
 むなしさを抱えた三月の終わりに、再就職先が決まった。やけくそで受けたのに、タイミングが良かった。新入社員として仕事が始まってしまえば、深谷のことは次第に薄れる。そういう日々でなければいけない。夢中で働いて、新しいことを無理やり身体に詰め込む。
 深谷はなかなかおれの頭から去ってくれなかった。夢に見る。どこかでおれを見ているじゃないかという妄想にも駆られて、本当に気が狂いそうだった。家に押しかけてしまいたくなる衝動を抱えため息をついていた五月、前触れなく深谷と再会した。
 駅へ向かう路地で偶然出くわしたのだ。目が合ったら、離せないのは当然だった。向こうの動揺は見て取れたが、深谷もおれの心情なんかお見通しだったと思う。
 街路樹のハナミズキが風を受けて終わりかけの花を散らしている。
「――びっくりした」
「それおれの台詞、」
 思いがけない場所で会えて、声を聞けば戸惑いよりも嬉しさの方が先に沸いた。深谷は出先から会社へ戻る途中だと言い、おれは会社から出先へ向かう途中だった。お互いに会社員らしくネクタイを締めていて、そういえばこの姿を見るのは初めてだと、気付いたのも同時だったと思う。
 就職が決まったことを深谷は喜んでくれた。シャツが薄いせいで深谷の肩の骨や肘が透けて見えた。きちんと上げた前髪がよくいる会社員のようで腹が立つ。憮然としたまま、ありがとうございます、と礼を言った。
「なんだかこういう格好だと雰囲気が違って、照れるもんだね」
「深谷さん、毎日同じセーター着てたな。おれもテキトーだったし、」
「うん、あの時はまだ寒くて」
 袖を無造作に捲った腕にちらっと視線を落とし、再びおれの顔を見て「にあうよ」と深谷は笑った。艶を含んだ、時間を忘れる目だ。アスファルトに膝をつきそうになるのを必死でこらえる。
傾きかけた身体に、さっと深谷の手が伸びる。添えただけのわずかな体温でだめになる。
「――その目は、ここでしないでくれ。……いまこんな場所で崩れるわけにはいかないんだ」
 絞るように言うと、深谷はぱっと手をあげておれから距離を置いた。面食らった顔をしている。「すまない」の言い方が本気で弱り切っていた。
 ほんの少し見たり触れようとしただけでお互いこれほどまでやわくなってしまうのだから、会ってはいけなかったのかもしれない。
「――深谷さん、お休みはいつですか」
「ぼくはカレンダー通りで……あなたは、」
「良かった。おれも一緒だ」
 土曜日、行きます。街の雑音に紛れながら、おれは深谷に伝える。深谷は答えなかったが、笑った。猫のように細くなった瞳に、ほの暗い官能が宿っている。
 ざあっと風が吹き、花が荒れる。駅のホームに電車が滑り込むのが見えた。

 これから季節は夏に向かう。薄着になってゆく。深谷はおれの身体をどう見るだろう。ごく平均的で、深谷の目に好ましいかどうか分からない。日焼けせず色が白いのが悩みだ。それから、鎖骨の下に目立つほくろがある。
 どう見せようか、そればかり考えている。
 肌を見た深谷が、目をさまよわせればいい。ため息をつけばいい。悩ましげに顔を歪めながらも、また目を輝かせて、おれを見ればいい。
 早く週末になればいい。
 おれに夢中になればいい。



End.





拍手[94回]

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こりんさま(拍手コメント)
いつもありがとうござます。
こういう、恋愛になるかならないかギリギリを行くような、危なげなお話が好きです。この二人はもうはまり込んでしまったので、抜け出せないんだろうなと思いながら書いていました。この後段階を経てすごいことをやらかしていそうではあります。どうなるんでしょうか(笑
ご想像にお任せしたいと思います。
拍手コメントありがとうございました!
粟津原栗子 2013/03/10(Sun)07:48:40 編集
見習い婦女子さま(拍手コメント)
はじめまして。ようこそいらっしゃいました!
このお話ぐらいの、恋なのかえろなのかハッピーエンドなのかそうでないのか、の微妙なところを書くのが好きです。なかなか思うようには書けませんが、気に行って頂けて嬉しいです。
この二人がどうなるかはひとまず読み手の皆さんのご想像にお任せです。たっぷり想像して頂きたいと思います。どうなっちゃうんでしょうね(私も気になるところです。)
また遊びにいらしてください。コメントありがとうございました!
粟津原栗子 2013/03/10(Sun)07:54:41 編集
noさま(拍手コメント)
ご無沙汰しております。
感想が頂けて嬉しいですw
最近は比較的のんきな子ばかり書いていましたが、本来はこういう色のお話が好きです。また書きたいと思っていますので、その時はぜひ遊びにいらしてくださいね。
コメントありがとうございました!
粟津原栗子 2013/03/11(Mon)19:42:57 編集
ふぃりぴーのさま(拍手コメント)
こんにちは。お久しぶりですね!
こういうお話はふぃりぴーのさんが好きそうだなあ、と思っていました。楽しんでいただけたでしょうか?w
いろっぽいのを目指しましたが、そのくせ誰も脱いじゃいないのでした。1話で終わるように表現を短くしたら淡々としすぎたような気がしています。改稿はあるかもしれません。テーマ的には私の趣味ど真ん中です(笑
ほったらかしの気まぐれ更新ですが、またぜひ遊びにいらしてください。お待ちしています。
コメントありがとうございました!
粟津原栗子 2013/03/16(Sat)13:34:30 編集
猫さま(拍手コメント)
はじめまして。
コメントありがとうございます。
書いている時、特に意識した音楽はありませんでしたが、不思議ですね。実際に聞きながら書いてみたらまた違うのかもしれません。
こういうような、色味の薄いお話を書くのが好きです。またぜひ遊びにいらしてくださいね。頑張ります。
ありがとうございました。
粟津原栗子 2013/04/15(Mon)07:41:08 編集
プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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