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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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「スポーツクライミング、という競技からは引く。だから、引退っていえば引退」
「……チームには、残るのか?」
「いや、独立する。スポンサー背負って、これからはクライミングに専念するんだ」
「クライミング? いまやってるだろ?」
「ロッククライミング。競技には出ないけどね。ええとさ、スポーツクライミングってのは、競技なわけだから、ルールや、時間や、点数が決められてるじゃん」
 うん、と僕は頷く。綜真がワールドレコードを叩き出したときの試合映像はこの国のどこのテレビ局でも扱ったから、よく目にしていた。たった五秒かそこらで壁を駆け上がっていく、そのときの綜真の柔軟で精悍な競技姿が頭によみがえった。
「そういうのと離れる。ルールも時間も点数にも縛られないところで活動する。まあ、スポンサーついてる以上は結果は出さないといけないけど」
「……どう、なるんだ?」
「世界中の岩っていう岩に、ただ、登る。誰も登頂が成功してないようなところに最短ルートで登りたい。出来ればフリークライミングで。装備上難しいところもあるからリードクライミングもやるけどね。それが、これからの目標で、やろうとしていること」
「……」
「その前に緑哉には会って、どうしても確認しておきたいことがあった。だから同窓会があるって分かってすぐ帰国した。なくても帰国したけど、……石丸にさ、緑哉は来るのかってめちゃくちゃ確認したよ。ロクヤって誰みたいなこと平気で言うからさ。国際電話でおれ怒鳴っちゃった」
「……怒鳴るようなことするのか? 綜真が?」
「短気だもん、おれ。せっかちだし。そういう世界で勝負してきてるし。でもこれからは、それを改める」
 そこへ綜真の追加オーダーが運ばれてきた。ショコラの三点盛りは、この時間だと今日の売り残りをサービスで出すことがある。だから三点の他に、毛色の変わった青いチョコレートがひとつサービスされていた。
「へえ、青いチョコなんてはじめて食うな。でもこれもさ、高いんじゃねえの? ひと粒の値段。サービスで出していいもの?」
「それ、中身が半生だから。明日まで置いとけないんだ」
「それにしてもだよ」
「そういう売り方してるんだ。……それで、なにを改めるの、」
「ああ、そうそう。だからさ、最善の一手ってやつ」
 それを聞いて、思わず顔をあげた。
「おまえさ、将棋指すときも、指さないときも、いっつも言ってたじゃん。最善の一手を指せたらって。これから先最善手だけを指せたらって。おれ、あんまり言葉が得意じゃないから、それをずっと考えてたんだけど、……故障して時間ができて、気づいた。おれが競技でいつも狙ってたのは、自然と、最善手だったんだなって。頭で分かってなくても、身体で狙ってた」
「……」
「最短ルート、最短時間。コースを読んで、どこに手をかけて足を置くかを想像して、試して、それがはまれば、タイトルで、レコード。でも競技でやっていく以上は制約があるから。もう身体ひとつで動ける年齢でもない。これからは頭もつかっていかなきゃなんない。いままでずっと身体の声に耳をすませていた感覚だったんだけど、これからは身体と、脳と、精神の声も聴く。未踏の岩を、どこに手をかけて、足を乗せれば、登れるか。それには頭もつかう。脳の栄養は糖分だ。チョコレートはますます重要になってくるな。この店スポンサーやってくんないかな? ――はは、話それた」
 綜真は笑い、ホットチョコレートを口にしてから、僕の顔を見て「最善の一手を指したい」と言った。
「それを教えてくれたのはおまえだ。卒業式の日にさ、約束した場所におまえいなくて、めちゃくちゃ探した。あの日おれは、一緒に帰ったらなに話そう、どうしてやろうって式のあいだじゅう考えてたからさ。後期選抜で大学受かんなきゃ最善じゃないんだ、ってむつかしい顔して思い詰めてるおまえを、どうやってシフトさせようって。いや、どうやっておれのこと考えさせようかって思ってたんだけど」
「綜真、あの日、僕は」
「おれとじゃ最善じゃないって、怖くなったんだろ。それも分かるよ。あのときおまえは、自分の決めたルートから外れることをすごく怖がってた。あのさ、おれはね。おまえと将棋指してるときの、おまえが、筋を読み違えないように、ってめちゃくちゃ考えてるあの顔がすげー好きでさ。最善手を考えてるときの、静かで真剣で深い顔が」
「綜真、僕は」
「あの顔を覚えてたから、どの試合に出てもなんとかやってこれた。でもこれから先はおまえを確認しないと怖くて進めない。筋を読み違えることは、事故につながることになるから。緑哉、おれは卒業式の続きをちゃんとやり直したい。いま、これから、やり直したい」
 綜真の顔は、筋を読み違えないようにと、ルートを辿る、テレビの中で競技に向かうあれと全く同じだった。慎重に、丁寧に、迅速に、臨む。
 最善手を手繰って進む。僕の最愛は高校のころから全く変わらず僕を惹きつける。
「今夜さ、一緒に帰ろうよ」
 そう言われれば、観念するしかなかった。
「僕は、……本当は、カカオアレルギーなんかじゃなくて、」
 絞るように答えると、綜真はそっと笑って「知ってる」と言った。
「本当は、チョコレートがめちゃくちゃ好きで、でも、……高校のころのクリスマスかなんかで、きみが女の子からもらってたチョコレート菓子を僕に『食う?』とか言ってたのを、意地張って、アレルギーだとかって、誤魔化して、……」
「うん」
「卒業式も逃げちゃったけど、……一緒に帰ればよかったって、ずっと後悔していて。……綜真が、僕が年上でも、冴えなくても、なんでも、無条件に僕を信頼して肯定していてくれたことは、僕にとってすごく、……嬉しいことだったのに、って」
「そっか。よかった。おれも後悔してたから、おんなじ後悔だったんだって分かって、――うん、よかった」
 息をつき、綜真は力を抜いた。そしてテーブルの上にある青いチョコレートを指し、「食べなよ」と言う。
「……食べる、けど、ここじゃ食べない」
「おれと一緒に帰る?」
 僕はテーブルにほとんど沈みながらこくこくと頷く。
「帰る……そうま、と、一緒に、帰る、……」
「やべ、めちゃくちゃかわいいわ。じゃあこれは包んでもらおう」
 すいませーん、と綜真はスタッフに声をかける。これ持ち帰りたいんで包んでください。あと、お会計を。はい、かしこまりました。少々お待ちください。あ、チョコレートって他にも買えるんですか? はい、ご購入いただけますよ。あちらのショーケースよりお選びください。
 その会話を、僕はテーブルに突っ伏してふるえながら聞いていた。だってテーブルの下で綜真の手が僕の手を掴んでいる。手首をぐるっと、離さないように、逃げないように、しっかりと掴んでいる。
 僕の人生。高校は留年して、大学も卒業できなくて、憧れの先生にもなれなかったけれど、大好きなチョコレートの専門店に勤めている。テレビの向こうで笑っていた最愛の人が、いま僕の手をホールドして離さないでいる。
 だから僕は、僕が思うよりずっと最善の一手を指しているみたいだ。そう思って、必死で僕を掴む手を僕も掴み返す。

 ◇

 卒業式の朝早く、図書館へ行くと綜真が窓辺の席に突っ伏していた。
 春はじめの日差しを受けて、そこだけ光っているみたいだった。そうま、と僕は呼ぶ。綜真はふっと顔を上げる。寝てた? と訊くと、本当はずっと起きてた、緑哉が来るのを耳すませて待ってたんだ、とてらいなく答えた。
 ――将棋、今日でもう指せなくなっちゃうな。
 ――いや、指せるよ、多分。
 ――多分ってなんだよ。
 ――えーとさ、だから、なんていうかさ。
 そう言って綜真は僕の手首を取り、そこを支点にしてするりと身体を寄せた。鼻が当たり、息が触れ、短くキスをする。
 ――緑哉、いまの嫌じゃなかっただろ。
 心臓がもたない。すごく痛い。痛い、と思いながら僕は頷いた。
 綜真はものすごく嬉しそうに笑った。
 ――そうだろ、な。今日、一緒に帰ろうよ。
 とても幼い顔で、これ以上の喜びはないという顔で、笑ってそう言った。

end.

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短編は久しぶりでした。楽しかったです。
次回はおそらく冬頃に。


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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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