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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 抜け出すのは簡単だった。僕に話しかける人はほとんどいなかったからだ。それに僕自身もかつてのクラスメイトの顔や名前をほとんど思い出せていなかった。十五年は、それぐらいに長い。ホテルを出て駅前へ向かう途中、まだ繁華の情を残している町のショーウインドウで自分の姿を見た。元が痩せ型だが、ここへ来てますます痩せたな、と思った。秋風を寒く感じたので、カーディガンを羽織って駅の南口へと向かうも、足は重い。
 綜真が僕に気づき、あろうことか特別扱いかのように耳打ちしてきたことは、信じがたい幸運、と思う自分。けれどもうひとりの僕が、うぬぼれるんじゃねえよと僕を蹴りとばす。こんなに冴えない一般人の僕が、人気のスポーツ選手とこれからどうこうなれるわけがない。あれ、そもそもどうこうなることが僕の最善手なのか? 綜真にだっていい人のひとりやふたりは当たり前にいるだろう。あれだけ魅力を備えた人なのだから、周囲が放っておくはずもない。だったら僕が駅に向かう目的ってなんなんだろう。また嫌な気分になるだけなんじゃないのか? 自問自答でぐるぐるしているうちに、大通りに構えた僕の勤め先の明るい暖色の光の前へ来ていた。この店は夜間遅くまで営業していることもまた、売りのひとつなのだ。今日いちにちで疲れた身体へのご褒美に、どうぞ甘いものを。店内はカフェも併設されていて、イートインも出来るようになっている。繁盛するわけだ、とぼんやりする。
 僕に気づいたスタッフはいない。ずっと事務室で電卓をたたく僕のことを、ちゃんと店のスタッフだと認識できる人間が果たしているのかどうか。あの地味な経理の人、ぐらいだろう。こうやって店を正面から眺めていても誰も気づかないもんな、と自嘲気味になってクラシカルにまとめた店内を外から眺めていると、二の腕を後ろからぐっと掴まれてびっくりした。
「南口にいないから逃げられたかと思って探した。……めっちゃくちゃ探した。卒業式の日を思い出したな」
「……綜真、」
「ここが緑哉の勤め先?」
 上田先生から聞いた、と綜真はひっそりと笑った。
「こんな時間までやってるんだ? 遅くまで大変じゃない?」
「僕は経理だから、六時には上がるし、……似合わないだろ、こんな店」
「あのチョコすげー美味かったよ。おれ、チョコレート好きだし。寄ってっていい?」
「あ」
 腕を掴まれたまま綜真に引きずられて店内を正面から堂々とくぐる。僕に気づくスタッフもおらず、だが綜真に気づいたスタッフはいたのか、ほんのりと色を含んだ目配せをしながらショーケースの内側で笑みを浮かべていた。「いらっしゃいませ」
「ここってイートイン出来るんですか?」
「はい、そちらがカフェスペースになっておりますので。オーダーはお席でいただいております」
「こんな時間でも?」
「当店は十時閉店となっております。カフェのラストオーダーは九時半です」
「じゃあ大丈夫か。ふたりね」
「かしこまりました。あいたお席へどうぞ。ただいまメニューお持ちします」
 綜真は席に着くまで僕の二の腕を離してくれなかった。というか、痩せ型とはいえ成人男性の腕をぐるっと掴めてしまう大きなてのひらと長い手指。指や腕にはテーピングテープが巻き、よく使い込んでいることが分かる。さすがワールドクラス、と感心すると同時に、ものすごくドキドキしている僕がいた。心臓が痛くてたまらない。
 綜真は窓際の席を選んだ。道ゆく人が見えるし、道ゆく人も僕らが見えるだろう。そういう、逃げも隠れもできない席を選んだ。世界王者ってのはそういう自信でできているのかもしれない。
「あ」メニューを見ながら綜真は僕を見た。「でもいま思い出した。緑哉ってチョコ食えなかったよね」
「……コーヒー頼むから大丈夫。好きなの頼んで。僕なら社割がきく」
「まじ? じゃあこのショコラ三点盛りってやつと、せっかくだからホットチョコレートにしようかな。すいませーん」
 と声をかけたが、カウンターの辺りでテイクアウトの客相手にソフトクリームを販売しているところに目を留めた。
「あれなに?」と訊く。
「ああ、チョコレートのソフトクリームだよ。夏にチョコレートが売れるように販売してるやつ。素材もリッチに作ってて、ナッツをまぶして、ああやって目の前でチョコレートソースをかけて見せるパフォーマンスもする。人気だよ」
「へえ、美味そうだな」
 やって来たスタッフに「あれもイートインできるんですか?」と訊ね、できますよ、と答えをもらうと「じゃあそれにします」とオーダーした。
「寒くない?」
「寒くないよ、全然。緑哉は寒そうだな」
 笑って綜真は僕のカーディガンをそっと引っ張った。僕はうつむく。
「……日本代表、残念だったな」
 そう言うと、綜真は「知ってんの?」と問いを返した。
「……綜真の情報は、簡単に拾えるだろ」
「あー、うちのチームSNSとかやってるしな。まあ、そうなんだよ。代表入り確実って言われてたけど、故障でだめになった。でもその代わりにうちのチームの若いやつが代表入っていい成績残したし。おれ、あんまり気にしてない」
 さっぱりとした言い口だった。
「年齢的に、最初で最後のオリンピックだろうって騒がれてただろ? これで現役引退か、とかさ」
「そのニュース、僕も読んだ。ネット記事だったけど、……引退、するのか?」
「うん、する」
 あんまりにもすらりと答えるので、こっちが面食らった。その合間を縫うようにオーダーが運ばれてきた。カフェでソフトクリームを頼むと、ソフトクリームは陶製の器に盛られて出てくる。ウエハースとナッツが添えられていて、チョコレートソースは自分でたっぷりとかけられるようになっている。
「おおー、すげ。うまそ」
「美味しいよ」
「え?」
「……と、思うよ」
「先食っていい?」
 どうぞ、と目だけで合図する。綜真はチョコレートソースを上からかける。冷気でたちまちチョコレートは固まる。それが面白さで、売りのひとつなのだ。
 パリパリとチョコレートを口にして、「ん、すごい濃厚」と言った。
 ぱくぱくとあっという間にたいらげて、口の周りを拭う。それから綜真はさきほど頼まなかったショコラ三点盛りとホットチョコレートを追加オーダーした。
 コーヒーをずるずるとすする僕に、綜真は「引退ってか、趣向替え」と答えた。

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プロフィール
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粟津原栗子
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非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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