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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 真夏みたいに暑い日で、着て行こうと考えていた秋物のニットは取りやめにして、夏のあいだじゅう着た長そでの薄手のシャツを着た。一応、カーディガンも鞄に突っ込む。年齢を経るにしたがって、昔みたいにアレルギーがひどくなった。主には紫外線で、肌がかゆくなる。女子みたいに日光の対策をしなければならなくなったのは非常に煩わしい。男性用の日傘というものを早々と導入している。
 ホテルの宴会場は、旧友やその家族(女子連中にこぞってくっついているのはおそらく彼女らの子どもなんだろう)の姿で賑わっていた。極力気配を消し、奥の席でちんまりと座っている老年の男性に近づいた。
「上田先生、」
 声をかけると、小柄な先生は「誰や?」と懐かしい方言で訊ねた。大学で関西からこちらへ進学して、そのままこの町で教職を取った先生は、土地の女性と結婚して所帯を持っても一貫して関西弁だった。
「荻原です。あまり覚えてもいらっしゃらないかとは思いますが」
「嘘や嘘、よぉ覚えとるで。忘れるはずないやないか。元気しとるか?」
 先生はからからと笑った。
「なんとか。ご退職おめでとうございます。これ、お祝いになるかどうか」
「おお、くれるんか? 嬉しいなあ。荻原はそやって気遣いの細い子やったな。ほら、黒川のこともな。おおきに」
 職場で贈答用にチョコレートが欲しいんだけど、と言うと、従業員から「荻原さんが?」「なんで?」「彼女か?」「詫びでも入れるの?」と総突っ込みを食らった。
「洒落とるなあ。なんやこれ。チョコ?」
「うわーっ! フラウのショコラじゃん!」
 そう叫んだのは学級長を務めていた石丸、今回の幹事だった。彼は声がでかい。一斉に視線がこちらへ向くのが分かり、嫌になった。
「え、フラウ?」
「あの高級チョコレート店の?」
「まじ? 嘘、あれ持って来たの誰?」
 場がざわつく。だからこそこそしていたのに、と後悔する。先生は「なんや人気なん?」とほがらかに石丸に訊ねる。
「人気ですよー。地元じゃ知らんやついないですよ。値段もいいけど味も超一流。なんだっけ、パティシエがフランスのどっかっていう有名な店で修行してたって言っててー」
「先生! あたし食べたいです!」
「私も!」
「分かった分かった、ほならみんなで分けよか」
 包装を解き、自分の分をひと粒取って先生は箱を石丸に渡す。皆があっという間にそこへ群がった。こういうところの団結力はやたらいいクラスだったことを思い出す。大箱で購入したがすぐになくなってしまいそうだった。
 先生は、「はは、よっぽど人気や」と笑う。
「先生のご家族で、と思って大きな箱で買って来たんですけど、もうひと箱別に買ってくればよかったですね」
「ええのや。みんなが明るい顔して食べとったら菓子も嬉しいやろ。ほんまに美味いチョコやな。フラウいうのは有名なん分かるな」
「僕のいまの勤務先なんです」
「ほお?」
 先生は、のんびりと僕を見た。
「あれだけ教職取りたいって言って入った大学を、僕は卒業できなくて。いまはその、経理をやってます」
「そうかぁ」
「僕が、……病気して一年留年してこのクラスに入ったときも、先生は本当に進路に心を砕いてくださったのに、なんていうか、情けないですね」
「荻原はいまの生活に不満なん?」
「……理想と現実がどんどん乖離していくのに、諦めがつくのが、嫌ですね」
「若い証拠や。これからなんやで」
「……」
「まだ指しとるか?」
 先生の問いをかき消すように、「あーっ、綜真(そうま)―っ!」という声で、心臓がばくっと唸った。血が身体中を駆け巡って痛い。
「遅いっ」
「ニッポン代表を逃した男!」
「ワールドレコード!」
「うるっさいなぁ」
 ちょうど僕と先生のいる場所から対角に、群れが出来た。中心にはひと際背の高い男がいて、皆に囲まれている。ああ、本当に遠くなった。すごく遠い。僕は帰りたい気分になり、その考えを真剣に検討しはじめる。そっと抜ければ誰にも気づかれない。そっと。
 先生に挨拶だけして。ここをそっと。段取りを組みながらも輪の中心から目を離せなかった。昔よりはるかに逞しくなった筋骨を備え、すっきりとした短髪は相変わらずのまま、勧められてチョコレートを口にしている。うまいな、誰が持って来たの? え、誰だっけ。石丸じゃないの? 違うよ、上田先生のとこにいるさあ。上田先生、どこ? あっち。
 顔がこちらを向いて、目が合った。――逃げたい。
 きみの目にいまの僕を写してほしくない。
「――上田先生」
 輪の中心を外れて男は軽い身体でやって来た。先生と挨拶をかわし、こっそり下がろうとする僕を「緑哉も」と逃さなかった。
「久しぶり。元気だった?」
「……なんとか、」
「そっか。今日はさ、おれ」
「綜真―っ! 話を聞かせろよーっ!」
「遠征だったんでしょー?」
「ああもう、うっせぇ!」
 綜真は群れの中心に進む間際、「八時半に駅南口」とそっと僕に耳打ちした。

 高校二年に進学して、幼少期にしか現れていなかったアトピーが酷くなった。とにかくいろんなものを刺激と受け取り、全身が真っ赤に腫れ、それは呼吸器へも及んだ。入院治療を余儀なくされ、ようやく学校へ戻れたころ、級友たちは卒業していき、僕は留年が決定した。
 ひとつ上の学年だったことは、クラスメイトたちにとっては戸惑う存在であったらしい。僕自身も戸惑った。どう接していいのかお互いにつかめず、たまの会話は敬語で「荻原さん」と呼ばれた。教室にいるのが苦痛で、僕はよく図書館で過ごした。図書館の司書教諭を上田先生が務めてらしたので、先生が誘ってくれたのだ。
 僕と先生は、よく将棋を指した。司書室に将棋盤を持ち込んだのは前任者だと聞いたが、先生と盤に向かいながらぽつぽつと話すことは、居心地の悪い場所から僕を解き放った。そして上田先生が司書室にいるからと、級友たちは先生に用があるときだけ図書館へやって来た。将棋を指していく生徒はいなかったが、その中に綜真はもちろんいた。
 黒川綜真。いまのように「スポーツクライミング」とか「オリンピック競技」とされる前からずっと、彼はその世界にいた。小学生でボルダリングをはじめ、中学生のころにはジュニアの世界大会で優勝し、シニアの大会にも出場するようになったほどだ。好成績は国内ではとどまらず、遠征だ、世界大会だと言ってよく授業を休んでいた。出席が危うい彼を上田先生は当然ながら面倒を見ていたので、図書館へ来る回数は時間が許せば他の生徒よりも多かった。
 レポートを手伝ってやってくれ、と言われたのがはじまりだった。綜真は五教科全般に苦労していたので(出席が足りていなければ無理もない話だった)、学年上位にいた僕は彼に与えられた特別課題を彼と一緒にこなすようになった。綜真はひとつ年上の僕にも敬語をつかわなかった。世界大会だのなんだのでクラスの状況を構っていられる場合じゃなかったのだろうとは思う。でも僕を当たり前に「緑哉」と名前で呼んで慕ってくれることが、僕には本当に嬉しかったし、救われたようにも思っていた。
 上田先生がいなくても、僕がいれば、綜真は図書館で長居するようになった。将棋もたまに指した。綜真も僕も初心者は同じで、でもこんなにお互いの立場や状況も異なるのに、盤の前では平等に立てるんだと思えることは、僕に安心感をもたらした。
 最善の一手を尽くしたい、と僕は思っていたし、よく言っていた。留年したからこそここから先はなにひとつ取りこぼすことなくやりたいと思っていたのだ。そうでないと道を踏み誤る。これから先、僕は大学進学を果たし、教職を取って、この町で教員になる。もしくは公務員でやっていく。そう決めきっていたし、だから綜真に惹かれていく自分自身のことを見ないふりをしていたし、とてもじゃないけど直視できなかった。
 綜真は、僕といるときはあんまり言葉を発しない人で、雰囲気としては時代劇に出てくるような、物静かで腕の立つ侍、という印象を与えた。僕はおしゃべりが得意ではなかったから、綜真と言葉を交わさずとも将棋を指せることや、レポートに向かえることは、心地よかった。そしてその若い侍は、僕にとって非常に魅力的だった。否、学校じゅうの誰にとっても魅力的だっただろう。大きくて長い手足が。必要な筋肉だけを備えた身体が。精悍に引き締まり、日に焼けた顔が。それでも話しかけると、ほろっと表情を崩して十八歳の少年に戻る、それへの愛着が。
 どんどん惹かれていった。綜真目当てでクラスメイトどころか他のクラスの女子まで図書館へやって来ると、すごく嫌な気持ちになった。自分の性別を呪い、性癖を呪った。こんなはずじゃない、と心を否定した。思春期特有の。ちょっとぶれているだけで。綜真はただのクラスメイト。僕は女性を愛せるはずだ。
 最善の一手を尽くすためには、この感情を認めてはいけない。
 卒業が迫るころ、僕は大学の前期選抜に落ちて、後期選抜でなんとしても受からねば、というプレッシャーで必死に勉強していた。綜真は体育系の大学にスポーツ推薦で受かっていて、海外遠征などに出掛けていた。帰国して会ったのは、卒業式の日だった。
 ――今日、一緒に帰ろうよ。
 あの日の綜真に、僕はやっぱり応えることは出来ない、と思う。綜真、僕はさ、大学すら卒業できなかったんだよ、と。
 世界大会でワールドレコードを記録して日本中を沸かせた綜真に、合わせる顔なんてとてもじゃないけど持たない。

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プロフィール
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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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