忍者ブログ
ADMIN]  [WRITE
成人女性を対象とした自作小説を置いています。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

「やっぱりジュースかねえ」
「ありきたりでつまんないよね。この辺の農園みんなやってるし」
「こうなるとパッケージかねえ。どこかいいデザインを格安でやってくれる人がいるのかねえ」
「菓子屋に格安で卸すのも手じゃない? 隣の市まで行けばお菓子屋さんなんてざらにあるし」
「それもねえ、みんな狙ってるしねえ」
「安く買いたたかれるのがオチだわね。でもそうでもしないとねえ」
 やいやい言いながら手は動く。だいぶ雨のひどくなった夜間、社長と若社長が戻ってきた。パートの従業員には、今日はもういいから帰れ、と指示を出す。
「だいぶ大きい台風だ。備えはしたが、被害は出るだろうな」と合羽の水気を払いながら社長が言った。
「今夜これからが肝だ。運頼みに近いな」
「まだこれから収穫するりんごがいっぱいあるのにねぇ」
「加工も手だな。――どうした、イズミ」
 ポケットやあたりを探っていたら、社長にそう訊かれた。素直に「忘れ物したみたいで」と答えた。
「スマホ消えたな、って。どっかに落としたか置き忘れたっぽいです」
「案外その辺にあるんじゃないか? 最後に確認したのいつだ」
「農園で時間見たのが最後だったと思うんです。まあ、なくてもあんまり困らないんですけど」
「いいから。おい、電話してみろよ」
 と社長が奥さんに指示をすると、聞き慣れた着信音が鳴った。社長の言うとおり、その辺にあったらしい。よく探せば作業台のかごの中に放り込まれていた。「すいません、ありました」と言いながら着信を確認すると、相手は姉からだった。
 不在だと分かると、それはメッセージに切り替わった。ぽん、ぽん、とメッセージが入る。はじめの通知は「生まれたよ」だった。写真も添付されている。赤子を抱いた姉と、赤子を抱いた義兄と、赤子を囲む両親が、それぞれに送られてくる。
『無事に生まれた。私も元気』
『ねえ、どこにいるの? 連絡ぐらい寄越してよ』
『元気でやってるの?』
『会いたがってるよ、みんな』
『あなたを心配している』
 嘘だ、と思った。そんな嘘をずらずらと並べて、姉はひどい。けれど嫌えない。血を分けた姉弟だからか。なんでそんなおめでたい時に、自分など思い出すのか。
 ひどい。姉も、義兄も、ひどい。こんな仕打ち。本当にひどい。
「すいません、ちょっと日野辺先生のところ行ってきます」
「え、これから? もう暗いし雨ひどいわよ?」
「すいません」
「ちょっとイズミくん!」
 無理を押し切って、外へ出た。もうカブで移動できる風速でもなく、歩いて日野辺医院へと向かう。雨に打たれたら身体も心も冷えてましになるかと思ったのに、ちっともだった。どこもかしこも熱い。あの人を思い出す。それを打ち消してほしい。あの朝、縋る自分を抱きとめてくれたみたいに。
 ――おれさ、自分の名前が本当に嫌いでさ。
 いつか日野辺から聞いたどうでもいい台詞がよぎる。
 ――送る、って書いて、ワタル、って読む。読み方はまあ、いいよ。ヒノベワタルでさ。漢字がよくない。日野辺送なんてさ、野辺送りじゃん、って。いっそ葬儀屋に就職してた方が納得だろう?
 日野辺、日野辺、と念じながらひどい暴風雨の中を歩く。そうでもないと義兄の名前を呼んでしまいそうで、怖かった。
 ――きみは、とてもいい名前だと思う。おれは好きだよ。
 嘘つけ。おれの名前。呼んでくれたことなんか、ないくせに。
 めちゃくちゃに歩いていると、増水した川にかかる橋に差しかかった。ここを渡ると日野辺医院には近い。だが轟々と川は唸っている。橋の低いところは浸水しかかっていた。それでも日野辺に会うには行くしかない。
 なんで日野辺に会いたいんだろう。こんな日に、日野辺の傍へ行きたいと思っているんだろう。
 風がひと際強く吹き、雨が身体中を強く叩く。頭上にある民家の植木があり得ないほどしなり、電線がびゅんびゅん唸る。背の高いものは、木も、電柱も、家すらも、風雨の前に崩れそうなほど周囲は荒れていた。
 水の音がひどい。川からごとごとと音がするなと思っていたら、それは大きな岩が動いている証拠だと気づいた。早くしないとこの橋も崩れるか浸水するか。あまり迷っている時間はなさそうだった。
 このひどい気分は、日野辺に会えば鎮められる。それは神頼みのように思った。ひどい状況も、身の上も。日野辺さえいれば。日野辺が肯定してくれれば。駅舎で途方に暮れていたときに、うち来る? と、当たり前に助けてくれた日野辺にさえ、会えれば。
 いま行動しないと、会えないと、後悔する。きっとまた自分は逃げる。
 なあ、おれの名前を呼んでよ。イズミ、じゃなくて。名前。
 それでおれを現実に引き戻してくれよ。
 濁流の上に足を進めると同時に、合羽のフードを引っ張られて転んだ。木の枝かなにかに引っ張られたのだと思い、抗おうとして、その手をふっと取られる。これは人間の仕業だと数秒遅れて理解した。
 後ろを向く。そこには雨合羽を着た日野辺の姿があった。
「ばっかやろう! 現! こんな日にうろついてこんなところを渡ろうって、死にたいのか!」
 胸ぐらを掴まれ、日野辺は馬乗りになって揺さぶった。
「おまえ、なにがあったんだよ」
「……」
「そんなことも言わずに勝手にいなくなるな! 生きてんだから、死ぬんじゃねえよ!」
「……――っ」
「現! 生きろ! 投げやりに、死んだみたいに生きるんじゃなくて、まっとうに生きてくれよ……!」
 日野辺はうなだれて、今度はこの前と逆に、胸に縋ってきた。ふるえていたから、泣いていたのかもしれない。風雨に紛れてわからない。けれどその身体を、確かな重さのある身体を、きちんと抱いた。大人の男の体臭を嗅いで、とてつもなく安堵した。
「みんなおまえを心配してたんだ。……現、」
「ああ……」
「帰ろう。帰るよ」
 どこに、とは訊かなかった。多分わかっていた。だって望みはあっさりと叶えられた。
 濡れねずみのまま、傍に置いてあった日野辺の車に押し込まれ、安全な道へ迂回して車は嵐の中を進んだ。


→ 

← 


拍手[4回]

PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

****
2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。

2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」

2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
カウンター
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
フリーエリア
最新コメント
最新記事
フリーエリア
ブログ内検索
忍者ブログ [PR]

Template by wolke4/Photo by 0501