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 仲間内でのあだ名は「ジェントル」、職場で「ジェントルさん」と呼ばれているのも知っている。名をよく知らぬ人が「あの紳士な人」と言うぐらい、もはや葛木の代名詞である。
 度が過ぎるおばあちゃん子で、祖母の教えを誠実に受け止めすくすく育った葛木は、誰にでも紳士的だ。座席は譲るし、ハンカチは拾って追いかけるし、おばあちゃんの手を引いて道を渡るし、エレベーターのボタンは長押しして扉をあけておいてくれる。おまけに笑顔。ごく自然で誰もがほっと息をつける無敵のスマイルを持っていて、毒気など簡単に抜かれる。
 そんなに皆に好印象、ぼくだったら絶対に疲れる、と皆川はいつも思っている。だが真正のジェントルマンである葛木にそんな疲労はありもしない。むしろ紳士にふるまえないことの方が彼のストレスになりうる。
 恋人なんだから、と隣を歩く葛木を横目に見て思う。せめて皆川に対しては、敬語ぐらい外せばいいのに。
「――どうしました?」
 と言ってそれはそれは紳士に皆川に微笑んでくれる。
「……葛木くんって、ぼくよりふたつも年下なのに、人間が出来ているなあって」
 出来すぎて、むしろこちらの体たらくに恐縮してしまうほどだ。こんな人間でも社会に存在していてすみません。葛木の恋人なんてポジションに収まってしまっていて、全世界共有の財産たるジェントルマンを占有してしまって大変申し訳ありません、と。
 コンプレックスなんかないんだろうな、と自分よりも二十センチ高い身長やシンプルに整えられた顔立ちを眺め、考え込んでしまう。皆川と言えばコンプレックスだらけだ。背が小さいこととか、声も小さいこととか、不器用なこと、取り上げるべき才能も特技もないこと、同性愛者であること等。
 平均かそれ以下。よくもまあこんなぼくに葛木が、このような分際で頂いてしまって申し訳なく、とまた誰に対してでもなく謝ってしまう。
 皆川の余計な思考など知らぬ葛木は、皆川の発言に対して「それはどうもありがとう」とにこりと笑う。言葉を真っ直ぐに受け止めるあたりもジェントルマン、見ろよこの世界遺産級の絶景スマイル。ほろりとほだされて、皆川はその笑顔を見られなくてうつむく。靴のつまさきが汚れていて、ああそろそろ手入れしてやんなきゃな、面倒だな、と思う。葛木はこんな風に思い煩うことなく、むしろ喜びとして、靴磨きもしていそうだと思えば余計に。
「あまり元気がないですね」
 笑顔で細くした目元をそっとあけて、葛木は小首をかしげる。口元に手を当て、高い背を皆川に合わせて下げた。「もしかして身体、つらいですか」耳元でささやく。
「すみません、精一杯やさしくしたつもりなんですが、加減がきかなかったのもほんとうです」
「……」
「みながわくんがかわいかったんですよ」
 ほんとうですよ、と耳に吹き込まれ、皆川は呻いてとっさにその場にしゃがみこんだ。その様子を見て葛木も慌てて皆川の背に手を添える。「やっぱりつらいんじゃ」と言って携帯電話でタクシーを呼ぼうとするので、ちがうちがうと携帯電話をひったくってやめさせた。
「違うから……そんなじゃなくて」
「どこか、座りますか?」
「だから……」
 このまま歩いて駅、でまったく問題ないのだ。けど、葛木にうまくそうと言えない。葛木に対する妙な意地と、先ほどまでされていたこととがまぜこぜになって、どういう顔をしてどういうことを言ったらいいのか、分からなくなる。
 今日ははじめて葛木の部屋に遊びに行って、はじめてセックスをした。
 葛木と付き合いはじめて二か月半、皆川からすれば「ようやっと」だった。仮に二人が婚姻を結ぶことが出来たとしたら、結婚するまでは清いおつきあいで、なんて流れになりかねないほど葛木のふるまいは「紳士的」だった。経験豊富とはいかないが、三十歳という歳に応じてこちらもそれなりに場数は踏んでいる。葛木だってそうだろう。だというのに、ここまで二カ月と半分。恋愛ってこんなに丁寧に進行したっけ? と考えたほど。
 ふたつ名通りのやり方だった。礼儀はきちんと、皆川を大切に、でも望んでいたよりずっと情熱的に。いままで皆川が経験してきたセックスは荒っぽくて自分勝手で少々雑だったから、今日のは余計に堪えた。世の中に「極上」という言葉が道理で存在するわけだ、と。
 あまやかされてとろかされて、夢との境が曖昧だ。自分が飴玉にでもなったような気がする。散々なめまわされて、温められて、いま地面に足がついている方が不思議。本当の自分は葛木の部屋のシーツの染み、ぐらいになっていそうな。
 早く帰宅してシャワーでも浴びて、自分のにおいになってリセットしたい。そうでもしないと飛んで行きそう。もしくは、明日ひどい罰が待ち受けている。
「いずれにせよここでこのままは寒いですから、どこか落ち着きましょうか」
 木々の向こう、灯かりのともる市道を見渡して葛木が言う。
「終電、まだ大丈夫みたいですし」
「……」
「みながわくん?」
 心配そうに揺れる声に、皆川はようやく立ち上がった。「大丈夫」と葛木に宣言する。こちらが近道だからと突っ切った真冬の公園は、不安になるほど人気がなかった。ぽかんとあいた広場に置かれた遊具が、風を受けてきいきいと鎖を鳴らすのが余計に寒々しい。比べれば葛木の部屋はとてもあたたかだったな、と後ろに置いてきた部屋が早くも恋しくなる。葛木が選んだ映画はとても面白かったし、合間に食べたハンバーガーはボリューミーで満足、葛木が入れてくれたコーヒーは熱く濃く、よい流れでしたキスはしっとりと、押し倒された床のカーペットの模様だって全部――ああもう、脳だけまだ夢の中。
 本当は帰りたくない。駅まで送られたくない。葛木の傍で一晩中過ごしていたい。
 帰りたくないと言えば良かったのにこんな風に歩いているのは、やっぱり葛木が紳士だからだし、皆川が自分に自信がないからだ。帰りたくないよ、だなんてとてもじゃないけど言えなかった。言ったとして、葛木は皆川を悲しませるようなふるまいは絶対に取らないだろうと予想がつく。本心や都合にかかわらず、笑って「いいよ」と言ってくれるに決まっていた。そうやって葛木を困らせる自分になるのだけは本当に嫌だった。
 それに今日は素晴らしい一日だったのだから、恋愛の欲に果てというものがないと分かっていても、これ以上を望んではいけない、と皆川は思っている。じゅうぶんだ。いやじゅうぶんすぎ、身の丈以上の日だった。これ以上スマートでジェントルな葛木の傍にいても、きっと自分を嫌いになるだけだろうし。
 いいんだ、と心の中でおさまりをつけようとしている皆川の肩にふと、葛木が軽く触れた。
「少し待っていてください」
 そう言って走り出す。公園が終わったすぐ脇にあるコンビニエンスストアへ駈け込んでゆく。軽い後ろ姿。それを見て皆川は唐突に、猛烈に淋しくなった。葛木のことだから、またジェントルの種を見つけて駆け出したのだろう。万引きを目撃してしまったとか、女性が落し物をして困っているとか、迷子の幼稚園児を見つけたとか。(ということが、過去のデートの際にあった。)それらを苦に思わず手を差し伸べてあげられるのは葛木の素晴らしいところなのだが、今夜ぐらいは、そんなもの無視して皆川に付き添ってほしかった。駅までの道のりを全部、皆川に向けてほしかった。
 皆川はすぐにコンビニから出てきた。手にビニール袋、ついでに道に落ちていたごみを拾い備え付けのくずいれに捨てる。皆川の元へ走って戻り、「どうぞ」と言ってビニール袋を差し出した。
 コンビニ限定の、缶入りのあたたかいホットチョコレートと、皆川の好きなメーカーのチョコレート菓子が入っていた。
「疲れている時や気が落ち込んでいる時は、あたたかいのとあまいものはきっと美味しいですよ」
 皆川のために走ってくれたのだ。ありがとう、と素直に言えない。
 あ、のかたちに作ったくちびるからはため息が漏れるだけで、それは白くなって空へとのぼり、消える。視線をそらしうつむく皆川に、葛木はついに長い息を吐いた。
「――やっぱり疲れますね、恋愛は」
 その一言が葛木のものとは思えなくて、びっくりして顔を上げた。同時に葛木の腕の中にすっぽりと包みこまれてしまう。
「みながわくんがなに考えているのか、僕には全然わかりません」
「……」
「今日はね、みながわくんに喜んでもらいたくて、気持ち良くなってほしくて、僕はとても緊張していたんですよ。みながわくんに少しでも嫌なそぶりをされたら立ち直れないぐらいに、です。あなたがとてもかわいくて好きで好きで、僕はとても幸せだったのに、みながわくん、全然笑いませんね。――心臓、聞こえていますか? まだこんなに緊張してる」
 手だって震えています、と葛木は皆川の背や肩にまわした手の力をさらにこめる。葛木の着ているコートの布地のつめたさが、頬にダイレクトに伝わる。火照っているから気持ちがいい。
「あなたが『帰る』って言った時の僕のショックときたら、終末がやって来たかと思えたぐらいだったのに。あいにく僕はジェントルマンがしみついてしまっていますから、帰るというあなたをこうして送ってしまう」
「……そんな、」
「いまこうしている間に、終電行っちゃえ、と思っているほど本当は卑怯者です」
 言うだけ言って葛木は皆川を放した。いつの間にやら終電に急ぐ人々が現れ、ひとりふたりと周囲を抜けてゆく。次第に人が多くなっていることで、はやく葛木と別れなければと思う。またね、と笑って手を振って。
 ――なんていう愚かな思いを実行するほどばかではない。皆川は、とても嬉しかった。そして恥ずかしかった。それでやっぱり嬉しかった。「ああ」と呻いてまた地面にしゃがみこむ。
「みながわくん、」
「――ごめん、帰りたくないよ」
 公園内とはいえ、駅への近道を塞いでいるのは確か、通行人の邪魔で迷惑だ。それでも自分の意思でうまく立ち上がれないのだから、仕方がない。
 葛木があんなことを言うから。
「ひとつ、お願いしていい?」
「なんでしょうか」
「ぼく、きみに優しくされたいけど、優しくされたくない」
「……複雑ですね」頭上で、困ったような、でも笑い出しそうな葛木の声がする。
「ぼくの前では、とびきりのジェントルマンでいてほしいし、いてほしくない」
「難しい」
「素のきみがいいんだ。素が紳士なら紳士で、そうじゃなくたって、」
 いくら紳士な心で生きているとはいえ、そんな風にふるまえない時だってあるだろう。無理をしてふるまってもほしくない。「ぼくはぼくで、なにを考えているかきみに分かるように、伝える努力をするから」
「……だいぶ複雑で厄介だけど」
「それは段々にわかってきました。そして困ったことに、みながわくんのそういう面倒くさいところ、僕は好きです」
 普段ならば回避するようなものの言い方をする。本当は毒だって含んでいるんだ、と分かってなんだか悔しくて嬉しい。葛木の助けを借りてようやく立ち上がる。
「じゃあ、戻りましょう――で、いいんですよね」
「いま帰されたら、泣く」
「良かった」
 外灯をバックにされては、葛木の笑った気配はしても細部まではしっかりと見えない。はやくちゃんと見たい。
 部屋までの道すがら、やはり声をひそめて、葛木が耳元で囁いた。
「――今日のこと。緊張に狂っていたから無我夢中だったというか、あんまり味わっていないんです。戻ったら、やり直しても?」
 顔から火が出るとはこのこと。
「……ぼく、どうなる?」
「さあ。ちなみに言っておけば、僕は肉食です。逃げるなら、いまのうち」
 逃がそうなんざ到底思っちゃいないだろう。だって葛木の手はしっかりと皆川の手を包んでいて、離さない。


End.




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ねこさま(拍手コメント)
いつもありがとうございます!
これはもう「花と群青」の反動と言うか、とにかくチョコレート菓子のようにあまいものを、と思って書いたお話でした。再読の際はぜひお手元にチョコレート菓子をご用意の上、ダブルの胸焼けで読んでください\(^o^)/
コメント嬉しかったです。またどうぞ!
粟津原栗子 2014/02/11(Tue)09:17:24 編集
みもさま(拍手コメント)
読んでくださってありがとうございます。
甘いお菓子が好きなので、バレンタインのこの時期はチョコレートにあれこれ書けるのが楽しいですw
しかも今回は近年まれにみる甘さの二人でした。こういうのも楽しいですね。
拍手・コメントありがとうございました!
粟津原栗子 2014/02/11(Tue)09:19:45 編集
nさま(拍手コメント)
いつもありがとうございます。
今回は極上のチョコレート菓子のつもりで書いたので、「ごちそうさまです」というコメントが嬉しかったです。(そして朝ドラみたいですね。笑)
本日より花と群青第3部です。ドS作者でも(笑)透馬くんの笑顔を見たいと思っているのは同じです。ぜひよろしくお願いいたしますw
拍手・コメントありがとうございました!
粟津原栗子 2014/02/11(Tue)09:27:53 編集
無題
こんにちは。
ちょうどチョコレート食べていて、久しぶりに来て見たらこのお話でw
甘い気持ちを味わいつつ、楽しみました。

平静に見せて実は甘い(しかも肉食w)葛木君もいいですが、クールに見えて官能的な粟津原さんの文章も本当好きですよ~。
あや 2014/02/11(Tue)10:59:34 編集
Re:あやさま
>こんにちは。
>ちょうどチョコレート食べていて、久しぶりに来て見たらこのお話でw
>甘い気持ちを味わいつつ、楽しみました。
>平静に見せて実は甘い(しかも肉食w)葛木君もいいですが、クールに見えて官能的な粟津原さんの文章も本当好きですよ~。

お久しぶりですね!読んでくださってありがとうございますw
しかもチョコレートでしたかー。思惑とぴったりで嬉しいですw
今回は文章を書くことを特に楽しんで書きました。葛木くん、あまいなあと思いながら(笑)
そして官能的だなんてそんな!嬉しいです!文章が好きだと言っていただけて、しあわせものです。今後励みになりますw
嬉しいコメントをありがとうございました!

栗子
【2014/02/11 12:59】
無題
『花と群青』を追えていない私なのですが……

えっと、えっと、もう、なんと言っていいのか……なんでしょう、この、やたらツボを突かれた感じのお話はwww
栗子さんはやはり切ないストですね(何www
みんなに優しい攻め様と、そんな攻め様を好きと思いながらも、その優しさをほんの少しだけ、独占したいとも思う受けたんの複雑な心境と。
バレンタインにふさわしい、なんとも甘くてほろ苦い、可愛いお話でした^^
好きだな、この2人。マジで続き読みたいです(笑)。

仕事がめっちゃ忙しかったんですが、久々にゆっくりと素敵なお話読めて嬉しかったです♪
2014/02/12(Wed)00:31:48 編集
Re:宰さま
お久しぶりですね!読んでくださってありがとうございます!

>『花と群青』を追えていない私なのですが……
>えっと、えっと、もう、なんと言っていいのか……なんでしょう、この、やたらツボを突かれた感じのお話はwww
>栗子さんはやはり切ないストですね(何www
>みんなに優しい攻め様と、そんな攻め様を好きと思いながらも、その優しさをほんの少しだけ、独占したいとも思う受けたんの複雑な心境と。
>バレンタインにふさわしい、なんとも甘くてほろ苦い、可愛いお話でした^^
>好きだな、この2人。マジで続き読みたいです(笑)。
>仕事がめっちゃ忙しかったんですが、久々にゆっくりと素敵なお話読めて嬉しかったです♪

私としては最近の樹海では珍しいぐらいのベタ甘だと思っています。あと、BLらしいの書いたなあ、とか。笑
恋人が誰にでも優しくて紳士だと、大変だと思うんですよね。おまけに皆川くんは自分に自信がない子なので、余計に複雑な思いを抱いていそうです。
ですがこれぐらいの障害はエッセンスとして。この後はしっかり(笑)いちゃついてほしいと思っていますw
お仕事、お疲れ様です。宰さんの癒しの時間になってくれていたら嬉しいです。
コメントありがとうございましたw

栗子
【2014/02/12 09:20】
プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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