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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 少々、奇妙な電話がかかってきたのは、散る葉の音がかすかに聞こえてくるぐらいにしんと静まった秋の夜だった。
『ツバキさん、のお宅でよろしいでしょうか?』
「どちらさまですか?」
『小山、と申します。M大の三年で、M町に住んでいます』
 M町、といえば僕が住んでいる町で、M大、といえばこの町にある国立大学の名前だった。この辺の一般的な子どもらの、進学先だ。まだたどたどしい口調から、セールスの類ではない、ということは理解できたが、なぜM大の学生などが僕の自宅に電話を寄越すのか、分からなかった。
「何用でしょうか?」
『少し、お伺いしてみたいことがあります。直接お会いすることは、叶いませんか?』
 突然電話をかけて、突然会ってみたいという。一体どういう心理だろうか。考えていると、小山青年は慌てて『興味があって』と自身の用件を詳細に話しはじめた。
『先日、町の商店街で、フリーマーケットがありました。僕のアルバイト先は商店街のベイカリーで、商店街の一員として、僕もフリーマーケットに参加しました。チラシ配りですけれど。それで、休憩時間に、フリーマーケットを覗いてみたら、がらくたのようなおもちゃ類と一緒に、本を出されている方がいらっしゃいました。本は段ボール箱に詰められて、take free、と書かれているんです。僕は文学部に所属するぐらいには本が好きなので、中を覗くと、僕の大好きな作家である、N先生の作品がずらりと並んでいました。先生、とお呼びするぐらいに好きな作家なんです。箱の中には、N先生がデビューされる前後の、初期に書かれた本、単行本や同人誌が、並んでいました。N先生がファン向けに出されている会報誌もありました。会報誌はバックナンバーがすべて揃っていて、感動しました。この町に、N先生の熱烈なファンの方がいらっしゃったと。単行本は、いまなら手に入らないような初版本ばかりです。同人誌ももちろん、僕ははじめて見ました。僕は本当にタダで持って行っていいのか、と、売り子に聞きました』
 そこで小山青年は興奮を冷ますように息をちいさく吐き、また続けた。
『売り子は、おれには価値が分からねえ、好きに持って行け、と言いました。なんでも、知人から適当に処分するように頼まれた品だそうです。それにこれは、汚損があるから、とも言いました。中身をめくってみると、鉛筆で棒線が引っ張られていたり、染みが出来ていたりと、確かに汚損がありました』
「……」
『ですが、読めます。破られているとか、そういうひどい汚損ではありませんでした。僕は売り子に箱ごとください、と言って、段ボールをふた箱、引き取ってきました。家まで持ちかえるのが大変でしたが、満足でした。それで、家に帰って、改めて本を眺めました。――すみません、聞いていらっしゃいますか?』
「ええ、真剣に聞いていますよ」
『良かった。一から説明しないと気が済まない性質で、……続けます。それで眺めれば眺めるほどに、これらの本が大切に熱心に読み続けられた本だということが、分かってきました。本の最後に、なにかを剥がした痕があるのを見つけました。どの本にも、最後の一ページにそれの痕があるのです。おそらく、蔵書票だったと考えます。四角い痕が残されていました。何冊もめくって、そのうちのひとつに、インクのかすれが残っているのを見つけました。かすれ文字は、よくよく読んで、ローマ字で、TSUBAKI、と読めました』
「よく読みましたね」
『ああ、じゃあやっぱり、この本はあなたのものだったのですね。その後で電話帳をめくって、この町に、椿、という苗字の家が一軒だけある、というのを知りました。椿、は名前である可能性もあったのだけれど、こうして、思い切ってお電話差しあげた次第です』
「それはそれは」
 小山青年の熱心な口ぶりは、ぼくを微笑ましい気持ちにさせた。
「確かにそれらは、ぼくの本でした。知人に処分を頼んだのも本当です。それで?」
『疑問があって。あんなに熱心に読まれていた本を、あんな場所に出すなんて、と。手放してしまった理由を知りたいんです。そしてもし、いま、N先生のご本には興味をなくしてしまわれたとしても、たとえばいまなにを読んでいるのかとか、そんなことが聞きたい。つまり、本の話がしたいのです』
「なるほど」
 たった一本の電話だけで、ぼくは小山青年に会おうという気になった。本の話なら、ぼくもしたいと思っていた。自宅に来られるかと訊くと、「住所さえ分かれば」という返事だったので、自宅に招くことにした。三日後の昼過ぎに、小山青年の訪問が決まった。
 三日後、現れた小山青年はぱんぱんに膨れたトートバッグを肩から提げていた。ひょろりと背の高い、眼鏡をかけた青年で、いかにも文学部の青年らしい佇まいだった。家に入ると、脱いだ靴をきちんと揃えた。行き届いている躾に、好感を持った。
居間に通し、青年が持参した焼き菓子(いわく、祖母の手作りだという、いちじくのタルト)にコーヒーを入れて、カウチに向かい合わせに座った。小山青年は部屋の様子を眺めていたが、脇に置いたトートバッグから本をいくつも取り出すと、それらをテーブルの隅に重ねた。
「これが先日、僕が手に入れた本です」
「うん……間違いないね。たしかに、ぼくのものだった」
 覚えている、コーヒーをこぼしてうっかりつくってしまった染みも、これは、と思った個所には鉛筆で書いた、その棒線も、最後のページに貼った蔵書票の痕も。たった数週間ぼくの手元を離れていただけだったのに、とても懐かしかった。
「そういえば椿さんは、蔵書票作家としてご活躍なんですね」
 と、小山青年が言った。
「蔵書票作家というより、版画家、なんだけどね。蔵書票を頼まれることが多くて、いつの間にかそういう名称がついてしまったよ」
「作品を、ホームページで少しだけですが、見ました。白黒で、細かい模様が細部にまでわたっていて、とても素敵だった。あの、最後に貼られていた蔵書票も、ご自分でつくったものなのですか?」
「そうだね。でも、いまはつかっていない」
「……」
「どうしてあの本を手放したか、だっけか。ぼくの話長くなるけど、聞く気、ある?」
「もちろん、そのために来ましたから」
「ん、じゃあ、話そうか。あのね、ぼくもね、作家のNのことは、先生とお呼びしたいぐらい、大好きなんだ」


 いまから二十年以上も昔になる。ぼくはまだ学生で、N先生のことは、当時はまだ知らなかった。大学に入って、僕は芸術コースの版画専攻だったから、あの頃からそんなことばかりしていたんだけど、偶然、隣の大学の文学部だってやつに知りあってね。下宿先が同じだったんだ。すぐに仲良くなったよ。彼は芸術のことはさっぱり分からないと言っていたけれど、ぼくのすることに興味を持ってくれた。蔵書票をつくってくれないか、といちばんはじめに依頼してきたのも彼だ。
 彼の部屋には本しかなかった。床がたわんで、底が抜けそうだと心配したぐらいに本ばかりだった。中でも、彼がいちばん気に入って熱心にコレクションしていた作家が、N先生だった。ファンクラブに入り、新刊が出れば即購入した。あのころ、N先生はまだデビューしたばかりだったのに、すでに熱狂的なファンがいて、彼もまた、そのひとりだった。サイン会があれば出かけた。ファンレターを何度も出して、返信が来た時は狂喜乱舞していたほどだったよ。
 彼にすすめられてぼくも本を読むようになった。N先生の文章はリズムが良く、流れるようで、日ごろ本を読まないぼくにも水を飲むようにするすると読めた。次第にぼくも虜になって、N先生の本を揃えるようになった。雑誌に掲載されれば、掲載誌を買って、同じく掲載誌を買った彼と、朝まで語りあう。そんな日々を送って、ぼくはとてもしあわせだった。
 本を読む理由は純粋に「面白い」からだったけれど、もうひとつ、よこしまな理由があった。ぼくは彼が好きだったんだ。
 彼の傍にいたかったから、本を買って部屋に押しかけた。語らいあえる時間は、幸福そのものだった。彼が本に夢中になるときの、下がって目元を覆い隠す前髪や、あぐらや、角ばった手指を、いまでもありありと思い描ける。
 もちろん、ぼくは男だ。失恋は決まったようなものだった。彼には中学校時代からのつきあいのある彼女がいて、大学卒業後は結婚をしたい、と言っていた。はじめから失恋だったんだ。それでも好きだった。
 彼の蔵書票には、「羽鳥」という彼の姓から、鳥と風紋を描いた。ぼくの蔵書票は、花、椿と、月を描いた。両方あわせると花鳥風月になる、というつくりで、それを彼は、気に入ってくれた。ずっとつかうよ、と言って、だからぼくは何枚も蔵書票を刷った。もちろんぼくのほうは、少しでも彼とつながる方法がほしくて、考えた図案だった。
 大学を卒業して、彼は彼女の待つ、故郷へ帰った。たくさんの本と一緒に。
 ぼくの手元には、N先生に関する膨大な本が残った。叶わぬ恋なのだから捨てようかと何度も試みたが、出来ず、新刊が増えるたびに、蔵書は増えていった。そうこうしているうちに、二十年なんてあっという間に過ぎてしまった。
 春になって、なんていうのかな、唐突に、本を持つ必要がなくなった。もう、N先生を追いかけるのは、やめにしたんだ。だから蔵書票を剥がして、知人に処分を頼んだ。


 喋るとさすがに喉が乾いた。コーヒーを飲み、頂いたタルトも口にする。頬張るとそれは甘く、じゅ、といちじくの水分が口の中に広がって、とても美味しかった。
「……なぜ、本を持つ必要がなくなったんですか? 必要がなくなったというよりは、嫌になった、んですか?」
「……」
「その、N先生の著書と、好きだった男性のことを、重ねていらっしゃったんですよね。だから……」
 青年はしらばく言葉を選んでいたが、やがて黙った。問いに、ぼくはそっと笑って見せる。
「確かに、N先生の本を持っていることがつらい時もあったよ。でも言っただろう、いまは、必要がなくなったんだ」
 おいで、と言ってぼくは小山青年を立ちあがらせる。居間を抜け、廊下のいちばん奥の部屋をノックすると、しばらくの沈黙の後に、「いいよ」という返事があったので、扉をあけた。
「仕事中、申し訳ないね、セイジ。ちょっとN先生の本、漁らせてくれ」
「あー、好きにどうぞ」
 ここは書斎で、書庫でもある。文筆業をしているセイジの仕事をする大きな机があり、他は、すべて本で埋まっている。小山青年は興味深げに辺りを見回していたが、ぼくが手招きすると、通路にまで積み上がる本を崩さぬように慎重に歩いて傍までやって来た。
 その、壁に据えられた本棚には、N先生の著書がすべて揃っていた。青年は目を瞠り、ふらりと本棚に近付く。
 ぼくが処分を頼んだ本とまったく同じ本が、ここには揃っている。
「――どういうこと、」
「一冊取って、蔵書票を確かめてごらん」
 ぼくが言ったとおりに小山青年は一冊手に取り、裏からページをめくる。最後の一ページに貼られた蔵書票は、花と鳥が描かれている。『TORITSUBAKI Exlibris』というのが、ぼくらのあたらしい蔵書印だ。
「彼は――羽鳥は、いま、ぼくの傍にいる」
 机に向かって黙々とペンを滑らせているセイジの方を、顎で示す。仕事に夢中になっているセイジは顔をあげない。髭面の、昔より老いた横顔を見て、ぼくはセイジと語らった二十代のはじめを懐かしむ。
 小山青年を見ると、彼はぽかんと口をあけていた。
「お互い、一緒になる決心をしたから、本を一冊ずつ持つ必要がなくなった、というわけさ」
「――」
「きみのような人に本が渡って、ぼくは嬉しく思う。本は、物語は、作家の創造であり、憧れであり、あるいは嫌悪であり、すべてで、いわば、魂だと思う。それを読み解けるぼくらは、感動を喜びとして受け取るという、幸福を知った。人生が豊かになる魔法だ。――きみにとっても、本がそういうものであればいいなと、思う」
 そこまで喋ると、机に向かっていたセイジが「ふっ」と吹き出した。話半分でも、ぼくの台詞を聞いていたらしい。書く手を止め、こちらを振り返った。
「N先生の本、好きなのか」と小山青年に訊く。
「大好きです。素晴らしいです、N先生は」
「そうか。じゃあまた、遊びにおいで。N先生や、本について語らいたくなったら、いつでもここへ来るといい」
「はい、ありがとうございます」
 小山青年は、セイジの言葉にとても嬉しそうに頷いた。ぼくも微笑む。
「きみにも、蔵書票をつくってあげよう。きみには、どんなモチーフが似合うかな」
 そう、ぼくは言った。


 その後、小山青年とは日が暮れるまでたっぷりと語らいあい、夕飯まで食べて、帰宅して行った。セイジは一向に書斎から出ては来なかったが、夜も十時をまわろうかというころ、「腹減った」と言って書斎から出てきた。
「タルトとコーヒーがあるよ」
「へえ、しゃれた夜食だな。あの男の子は帰ったのか」
「帰った。でもまた来るって」
「うん」
 タルトを切り分け、トースターで温める。(セイジは、焼き菓子は温かい方を好むのだ。)そのあいだにコーヒーをゆっくりと淹れる。カウチに深く座り込んだセイジは、「ああいう若いの見ちゃうとさ」と言った。
「なに?」
「歳取ったな、って思うよな」
「学生時代に出会って、もう二十年以上経つから」
「おまえ、いま、楽しいか?」
「楽しいよ。――だって、きみがいるからね」
 セイジは、大学を卒業して一度は故郷に戻ったものの、数年前にこちらへ再びやって来た。本格的に一緒に暮らしはじめたのはこの前の春からで、時間はかかってしまったけれど、ぼくが学生時代に思い描いていた未来を確かにいま、手にしている。
 一緒に暮らせること。傍で、セイジを飽きることなく眺められること。セイジのために食事を用意してやること、あるいはその逆があること。一冊の本を共有できること。
 幸福が胸に迫る。しかしそれは泣きそうなほどの情熱を伴った感動ではなく、こんなにも安らかで穏やかで、しんと静かだ。
 かたかた、と北風が窓を叩く。もうじき冬が来る。
「週末は、落葉を見に行こうか」
 唐突に、セイジが言った。
「弁当と、N先生の本を持って」
「小山くんも誘う?」
「うーん、どっちでもいいかな。うん、どっちでもいい。いても、いなくても、どっちでも楽しい」
「いい子に本が渡ったね」
「ああ」
 手招かれ、コーヒーとタルトをセイジの元へ運ぶ。テーブルへ置くと、隣に座るように促された。
 セイジはそのまま、ぼくの肩に頭を預けてきた。
「いい夜だ」
 セイジは微笑んだ。いまこの瞬間を、ぼくはうれしく思う。
 ぼくと、セイジと、N先生の本と、それらを語りあえる仲間のいる日々。



End.


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Fさま(拍手コメント)
いつもありがとうございます。
読書の秋、というわけで、文学青年たちを登場させてみました。思いきり本のこと(と蔵書票のこと)が書けて、私は満足です(笑)
二十年以上経って一緒になった経緯は明かしていませんが、燃えあがる情熱というよりは、静かな生活なんだろうな、という想像を、秋の日に重ねました。雰囲気が伝わってうれしいです。「深閑」という言葉、素敵ですね。頂けてしあわせです。
拍手・コメント、ありがとうございました。
粟津原栗子 2014/11/08(Sat)07:46:24 編集
Lさま(拍手コメント)
いつもありがとうございます。
そうです、「あの」短編です。その節は大変お世話になりました(笑)
同じ本を共有する、という状況も素敵ですが、二冊ずつある家庭、というのも素敵だな、とLさんからのコメントを見て思いました。確かにそっちでも書けそうです。そもそもが、本と一緒に引っ越す、というシチュエーションを大変美味しく感じますw
椿さんがあっさりと本を手放した理由は、「嬉しかったから」だと思います。改めて一緒になって、あたらしい蔵書票をつくって貼り直して、という作業。わくわくしたでしょうね。
というように、本(あるいはこの物語)に関していくらでも語れてしまうわけです。メール、またお待ちしておりますw
拍手・コメント、ありがとうございました。
粟津原栗子 2014/11/08(Sat)07:55:26 編集
プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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