忍者ブログ
ADMIN]  [WRITE
成人女性を対象とした自作小説を置いています。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 南波家の風呂を使っているあいだに八束が灯油の買い出しに行ってくれた。ガソリンスタンドの営業時間がどうのこうの、という話だ。大家権限で合鍵を使って配達までしてくれたのだから本当にありがたかった。「きみはあれだな」と戻って来て八束は言った。「手先は器用なのに生活能力は備わっていないんだな」
「いや、そんなことない」
「説得力がない」
「集中力との両立ができないだけで、集中する用事がなければまともに暮らせるよ」
 タオルでわしわしと髪や髭を拭っていると、「ドライヤー使えよ」と示される。
「すぐ乾くよ」
「セノさんの髭の量だとちゃんと乾かさないと凍る」
「初詣、四季ちゃんはどこ行ったの?」
「N社。この辺りで一番大きいから」
「おれたちもそこ行く?」
「いや、すぐ裏の天神さんに行こう」
「お、いいね。菅原道真なんて本の虫の八束さんらしいな」
 タオルを外して乾き具合を確かめていると、「きみだろ」と言われた。
「道真公は芸事にも通じてるんだ」
「……おれのこと考えてくれたの、」
 訊ねると、八束はそっぽを向いた。
「……あんまり自分の職業をいい風に捉えてないようだったから」
「……暮れの話のことなんか、気にしてない」
「……あんなものを彫れるのだから、自信を持っていい。羨ましいよ。僕は不器用だから」
 照れ臭く褒められて、素直な言葉に私はコメント出来なかった。嬉しかった。嬉しくて情けなかった。それでも私は私に満足していないのだ。してはいけないという呪を自分に授けている。満ちたら私は止まる。
 それを言いたかった。けれど八束には言えない。
「行こう。髪は乾いたから」パンパン、と八束の肩をはたく。「乾けばおれの冬は最大にあったかいんだ」と髭を撫でた。
「……確かにあんな部屋で作業してられるんだからな。冬眠を忘れた熊みたいだ」
「白髪の方が寒そうに見える。見た目かな」
「寒くはないよ。……親父の家系。姉貴は白髪知らずだった。おふくろに似たんだ」
 近い距離で、八束がこちらを見た。眼鏡越しの瞳の深さを見てしまって、瞬時にうろたえた。
「……早死になところまで似たな」
 八束はニットを拾った。私もコートを着込む。
「病気、だったんだっけ。それも遺伝?」
「いや、……おふくろと姉貴の死因は違う。おふくろの方が長生きしてるし」
「じゃあ大丈夫だよ。うまく言えないけど、四季ちゃんは大丈夫」
 八束を追い越して玄関へ向かった。八束が後ろからちいさく「ああ」と頷いた。
 南波家の裏手にまわる。小さな天満宮でも人出はあるらしい。神社の入り口で手と口を清め、八束と揃って参拝した。おみくじはスルー、でもなんとなく授与所で鈴を買った。甘酒が振る舞われていたのでもらって焚き火の近くで飲んだ。近所の人か店子がいたらしく、八束は挨拶を交わしていた。
 参道をくだり、そのまま近所の商店街で買い物をした。野菜の類はあるというから、生鮮と酒。剥き身ではあったが牡蠣を買った。さっさと用を済ませて南波の家に戻る。
 鍋の準備は、私がした。具材を切って鍋に放り込むだけだ。居間のこたつで飲むことにして、八束は座卓の準備を担当した。
 とっておきの酒器、というものを八束は出して来た。本当は親父のものだがいいんだ、と笑う。酒はまだ入れていないのに気分が綻んでいた。支度を整えてあっという間にはじまった。
「すず」とだいぶ酒が進んだ頃に八束が言った。「なんで買ったの」
「梅の花の柄のピンクの鈴なんか、自分用じゃないだろ」
「ジェンダーレスの時代、そんなのわかんないよ」
「連れ込む予定もないとか言って」
 八束はビールを煽り、空だと気づいて新しい缶を開けた。
「ないってば」
「セノ先生は隠し事が多い」
「八束先生もなかなかですよ。恋人とはどうするんですかー」
「あいつは、……僕に未練はないんだけど、」
 八束は言い詰まった。
「――あんまり人の趣味にとやかく言いたくないけど、生活に支障の出るような遊びはやめた方がいい。縛るような遊びはね」
「遊び、」
「いや、遊びでいてください、っていうおれの願望が含まれてるな。本気だとしたら」
「――なぜ縛られたと分かった?」
 八束の硬い声が入った。ぎくりとする。
「喧嘩だと言ったじゃないか……」
 八束はうなだれる。唇を噛みしめるかのような響きに、私は観念した。
「……見れば分かる、殴打の痕じゃないよ」
「見たのか」
「見えた」
 八束は黙った。
「言ったろ、観察結果だって。観察は得意なんだ」
「……」
「もっと言えば、相手は女性じゃない。女性ならもっと簡単に力を込めずに束縛できる道具を使うだろ。手錠、結束バンドとか。……綺麗な痕じゃなかった。なら力づくだ。成人男性を力づくで縛り付けられる女性はそうはいないよ。……あんまり合意でもなさそうだけど、……」
 そうだとしたら辛い、ということは黙った。なぜ八束が恋人に縛られていると辛いのか説明できない。黙っていると八束はゆっくりと顔をあげた。
「そうだよ。……乱暴者の男と遊んでる。……情はないけど性癖は一致するんだ。嫌になるよね」
 そうしてまた顔を伏せた。
「……性欲なんて消えればいい。どうせ僕は子孫を残さない。姉貴が四季を残してくれた。南波家はこれでもう安泰だ」
「……あまり無理に話さなくていい」
 くつくつと煮える鍋の、カセットコンロの火を止めた。
「話さなくていいけど、……あなたがそう感じているなら別れた方がいいとは思う。人の身体を自分のものみたいに扱うやつは自分の身体や人生も大切にしない。ろくでなしだ」
「実感がこもってるね」
「反省があるんだ」
「セノさんが言うなら別れる」
「いや、八束さんの意思だけど」
「セノさんはなんで奥さんと別れたの……」
 語尾はふるえたが、ストレートに撃ち込まれて私は目を閉じた。
「おれは、」正直に話すべきか迷う。「不器用すぎて」
「セノさんは器用でしょ?」
「手先はね、そうだと思うよ。でも誇らしいとは思わない。……ひとりになるべきだ、と言われた。言われたし、思った」
「意味がわからない」
「彼女には彼女を支える人が出来たから、こっちはもういいよって」
「それは」
 言いかけた八束を制するように、私もごちっと音を立ててこたつの天板に突っ伏した。
「うまく説明できない上に惨めになるから、勘弁して」
「……色々あるな、お互い」
「パーッと旅にでも出てしまいたい」
「温泉旅行でカニしゃぶ?」
「グルメはいいや。なんか、心臓に迫るような綺麗なものを見たいな……」
 そう言うと、突っ伏していた八束は起きあがった。立ちあがり、ふらふらと居間を出ていく。しばらくして戻ってきた手には冊子があった。展覧会の図録だった。
「感動するものなら僕は断然これだ。ようやく手に入れたんだ。古書店で探して……高くはなかったけど苦労した。『鷹島静穏(たかしませいおん)』」
 またこたつに潜り、八束は図録をめくった。K県の県立美術館で行われていた若手アーティストのコンペティションの図録だと言った。発行部数が少ないため、入手が困難だったと。
「旅行に行くならこの美術館でこの作品を見たい。いまも見られるのかわかんないけど、」
「……好きだねえ、タカシマセイオン」
「うん、好きだ。大ファンなんだ。はじめて美術館で見たときにもう心臓鷲掴みだったよ、ってもう何度も話したな」
「聞いた」
「……この図録、鷹島静穏の初期作品が載ってるんだ。珍しいんだよ。これの実物をまた見たい。『私を突き抜ける風』」
 もはやひとりごとのように八束は語った。図録には一体の彫刻作品が掲載されていた。木彫作品で、青年の半身である。まるで生きているかのように精緻で、木材とは思えぬ彫刻である。そしてこの彫刻の最大の特徴として、青年の胸から背中を突き抜けるように様々なものが彫り込まれている。花、本、鳥、幾何学の立方体。それらは風を模したと思しき流動的な形状になっている。
 図録には「K美術館アートコンペティショングランプリ『私を突き抜ける風』鷹島静穏」と記されていた。
「技術もすごいけど、作風もすごいんだ。ファンタジックで、でもすごくリアルで。……彼の作品をはじめて見たとき、目が離せなかった。美術品の鑑賞の快楽を知ったんだ。この作品は彼自身だとされていて、でもなんだかまるで、彼という人生の記された分厚い物語を読みこまされたような気になる。……同い年の人間がこんなにすごいものを作れるんだと、感動して。ここ数年は新作の発表はないけど、でも僕は、ずっと、ファンで……」
「八束さん、休むならここだと、……」
 ずるずると八束は身体を沈ませ、やがて図録を抱えたまま寝入ってしまった。私はなんとも言えぬまま残った酒を煽る。


→ 

← 


拍手[5回]

PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

****
2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。

2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」

2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
カウンター
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
フリーエリア
最新コメント
最新記事
フリーエリア
ブログ内検索
忍者ブログ [PR]

Template by wolke4/Photo by 0501