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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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六.



 ゴロ、と雷鳴が響き、それをアトリエ内で聞いた藍川が手元から目を離さぬまま「いかん、外の木材にシートかけないと」と言った。
「あ、おれ行きます。外って倉庫の西側ですよね。今日届いたやつ」
「そう。宅間も行け」
「なんでおれが」
「口ごたえせずにやれ」
 藍川に指示され、はい、と不承不承宅間は立ち上がる。藍川の元へ来て一年半、季節は冬の盛りである。こちらへ来て驚いたのは、天候の変わる速さだった。雷鳴が鳴ればたちまち雨か雹霰が降る。それも短時間で去る。雨も霧雨が風に舞うように降ったかと思えば雪になる。天候は判断しづらく、それだけ違う土地へ来たのだなと思い知らされた初年も過ぎた。
 案の定ついてきてしまった宅間は、いまや藍川のアトリエで炊事から掃除まで、とにかく奉公を強いられている。事情を藍川に話すと彼は「災難だったな」と豪快に笑い、まずはと宅間を餌付けしてしまった。食事を出す。布団を与える。いわく「動物を手なづけるにはまず餌付けなんだよ」とのことだ。その代わり宅間には重労働を強いた。夏だろうが冬だろうが関係なく汗が浮きマメが出来るような肉体労働だ。はじめこそ逃げ出そうとした宅間だったが、この辺鄙な土地にはなにもない。ここにいれば寝食は保証されると分かってからは、文句を言いながらも雑用をこなすようになった。藍川は、さすが偏屈な学生を何十年と渡って指導してきた立場にある人だ。私なんかよりもよっぽど恐ろしい、と恩師を思う。
 宅間とビニールシートを材木にかけ終わると同時に、ばらばらと音がして雨が降りはじめた。それはやがて大粒の雹に変わる。慌てて屋内に避難し、私は制作に戻り、宅間は藍川に言いつけられてもう身に染みてしまった倉庫内の清掃や炊き出しの準備に取り掛かる。
 ここへ来たばかりの頃は、勉強会を行っていた。どういうものをこれから作り、どういう形へ落とし込むか。依頼者から話を丁寧に聞き込み、それを藍川自身が自由に広げ、あるいは深めて、全国、全世界へと疑問を調べるための努力を惜しまなかった。私は藍川の傍にいて、発言を求められれば発したし、技術を乞われれば的確に提供したのだが、私とは別に今回の依頼品について歴史的・文化的・宗教的な調査を担う一軍もあり、遠方で技術だけを提供する一軍もあった。アトリエに詰めているのは四人だけでも、実に多くの人手を経て行う制作だった。
 私は藍川の彫る彫刻の、装飾部分を受け持つことになった。仏像のかぶる冠、宝具、仏座等々。木彫だけで表現したいと藍川が言ったので、あらゆるものを調べてマケットに起こし、彫った。また、藍川の指示で配置を考えて動かしたり、アイディアを出す段階に参加もした。藍川の出張にも付きあい、寝食すべての面倒を見てもらっていた。
 実際に作品の彫刻をはじめて、いまは半分から三分の二ほど進んだ、という進行具合だ。藍川の元へ来てからは自己的な休暇は申請していないから、場所は海辺でも山にこもったような気分でいた。いつでも静かで、いつでも言い訳せずに作品に向かえる。やるべきことは山ほどあり、藍川の手として動くことに充実感を感じていた。
 藍川の手元を見ていると、なぜもっと早くこの人の元へ行かなかったのだろうか、と思えて仕方なくなる。学生時代に散々指導されて見ていたはずなのに、だから知っていたと思っていたのに、藍川の手元は実に精巧で緻密だった。木の目の方向を定めて的確に滑る鑿。きちんと研いで引っ掛かりもしない素直な刃物は、藍川の造形を迷いなく生み出していく。こんなにスムーズな進行を見ていると、藍川と木材が親和しているとしか思えない。私などまだ木材の芽生えすら知らぬ存在に思える。それぐらい、藍川は的確に素材を知っていた。
 しんしんと深まる芸術への探求。藍川やアシスタント、藍川の家族、進捗を見にくる関係者という人目があるせいか常に集中力を要し、それは私にとって痺れるほどの心地よい緊張感だった。ずっと浸っていたいし、ずっと浸れると思う。けれどこれは藍川の作品であるから、私が本当に成したい芸術とは、片足ぶんずれた方向に歩いている。
 だから、というわけではないが、制作終了後の夜の時間と月に七日与えられる休暇は私自身が運び入れた資材を保管させてもらっている倉庫で、ひとりになる。藍川が私のためにあけておいてくれた土蔵だ。藍川の大学教授時代のあれこれの作品も安置されている、その片隅で私は刃物を研ぎ、鑿をふるう。時に素材を変え、造形を変える。私は藍川ではないから、必ずしも木材だけに素材をこだわらない。
 静かに、ゆっくりとかたちが組成されていく。
 鷹島、と藍川が私を呼ぶ声がした。土蔵の扉をあけて、藍川がやって来る。寝巻きに防寒のフリースを羽織っていた。「母屋のボイラー切っちゃう前に風呂に入りな」と言う。


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粟津原栗子
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成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
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