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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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「鷹島にはもう少し時間が必要なんだろうよ」
「……時間が経てば経つほど焦ってしまいます。離婚までしたのに、まだ自分を追い込み足りないというんでしょうかね」
「なにかを成すための、なにもしない時間って大事でさ」
 粥の碗とは別に盛られた惣菜の類から煮卵を選び出し、口にしながら藍川は喋った。
「若い頃は、そんなのいらないってばかりに作る。とにかく技術とか感性を追い求めるために必死で集中する。それぐらいの年頃の集中力と吸収率って凄まじくて、休息なんかいらないぐらいなんだ。そしてその時期を超えると、いきなりガクッとなにもしたくなくなる。インプットもアウトプットもしたくない、という時期。多くの人間はここで制作をやめる。ちょうど人間としても熟しはじめていて、仕事を持っている人はなんらかの役職についたりするし、結婚する人もいれば、女性などは子を産む。社会的な地位が上がって来るから、そっちへシフトしてしまうんだ。でもこれを適正に過ごすことこそ重要でね」
 私も藍川を真似て卵に箸をつけた。色は薄いのにしっかりと味の染みた、濃厚な煮卵だった。
「そうしている間も、実はなにかを自然にインプットしているんだ。普段聴く音楽とか、移動中の夕焼けだったり、何気なく読む本。そういうものが積み重なって、ゆっくりとアウトプットへ近づいていく。そしていきなり、でも自然に作り出すときが来るよ。これはもう神頼みに近い。いつやって来るかはわからないから、いま出来ることだけこなしてひたすら待つしかない」
「でも、大成している多くの美術家はコンスタントに制作発表をしますよ。自分から取りに行くというか、待つ姿勢ではないというか」
「そりゃそういう『型』がその人の中にもう出来上がってしまっているからだ。経験則とも言えるかな。それにそういう美術家は、やはり商業美術的な側面があることは否めない。芸術活動という仕事なんだ。そうではない美術家は、……鷹島なんかはそうだと思うんだけど、商業とか商売とか関係なしに、自分の感性だけで制作をする。この作品が売れるかどうかは考えない。職業としてはやってゆけないけれど、その分純粋な芸術に向かっていく。もちろん、売れる作家を否定して言うわけじゃないし、鷹島だって本当はそっちへ行きたいのだとは思う。そういうのも分かる」
「……」
「人の数だけ人生がある。十人似た人を束ねて形式化したとしても、そこには個性があるから本当の中身はそれぞれ違う。十あれば十違って当然。鷹島には鷹島の人生で、生活で、制作だ。鷹島はさ、自分の作りたいものを作って、かつ生活が成り立つというマジックってあると思うか? おれはさ、おまえにはあるような気がずっとしてるんだ。院生の頃から思ってて、いま対面してもまだ思う。おまえに商業美術は向かない。当たらないとゴッホのような目に遭う。けどおれは、……おまえにはあとはタイミングだけだと思うんだ」
「……機会、という意味ならおれはもう充分自分に与えているつもりです。それでも、……木材を前に手が止まるのは、どうしてなんでしょうかね」
 藍川は箸を止め、正面から私を見た。
「以前は……パニック発作を起こす前までは、土なり木なり金属の中に形が見えていて、それを盛ったり叩いたり削ったりする作業に躊躇いがなかったんです。ずっと頭の中に見ている理想を作り出せていた気がする。いまは手が止まります。イメージがぶれるのか、掴めないのか、……技術がない、ということはないと思うんです。ただ、作りたい形はあるのに、雲を掴むような気分になって、そういうときは頭痛がします。自分のふがいなさを感じ入って嫌になる……それが続いています。ちょっと、思春期の頃のどうしても形に出来ないもどかしくて焦る感覚と似ているようですけど、やっぱり違うから、戸惑っています」
「要求が高いんだろうな」
 端的にそう述べ、藍川は茶をすすった。
「いままでは成長していくばかりだったから、老いていくとはこういうことかとおれは自分のことを思う」
「老い、ですか」
「ああ、おまえに全てを当てはめるわけじゃないよ。年齢から言えばおまえは働き盛りで男盛りだし。ただ、若い頃――院生だった頃と同じアプローチを考えていて、その結果が現状であるなら、それはいまのおまえに符号しなくなったということだから、変えるべきだな。変化しないものごとはないからね。農耕民族の癖というか、去年収穫出来たから今年も同じようにやれば収穫できて、蓄えのある変化のない毎日を望んでしまう。明日の心配をしなくて済むのは楽だしね。けれど状況は毎分毎秒違うんだ。おまえも若い頃にはなかった過呼吸を経験してるんだから、それはわかっていると思う。変化への対応だ。また発作が起きるかもしれないと思えば辛いが、対処を知っているなら対応ができる。メンタル系の病気に詳しいわけではないから、あまり偉そうなことは言えないけど」
 そして藍川は最後の粥を掬い、口にして、「朝の腹に染みる」と手を合わせて食事を終えた。私も箸を置く。
「話が長くなった。足りたか、鷹島」
「日頃のおれからはあり得ないぐらい健全な朝食をいただきました。普段はコーヒーだけか、食べてもパンとかですので」
「あ、その生活改めてもらうぞ」
「まじすか」
「粥を煮ろ。夕飯はどうでもいいから朝飯はちゃんと食え。そういう話は追々話そう」
 会計は藍川が持った。店の前にはタクシーがあり、今日は夕方までこの貸し切りタクシーを利用して寺社巡りをする。
 まず向かったのは、日本の中学生なら知らない生徒はいないだろう、というぐらいに有名な寺院だった。車中、藍川に「おまえはこの辺どうなの」と訊かれ、意図が分からずにクエスチョンで返した。
「どう、とは?」
「ここに来たことは?」
「ああ、ありますよ、そりゃ。保育園児の頃から来てます。おれの出身はSですからね。Kなんてご近所さんみたいなもんで」
「あ、そうか。ならもっと別の地域の寺社巡りが良かったかな」
「いえ、懐かしいです。家族でも来たし、学校の校外学習でも来たし、ひとりで来たこともありますから。おれにとっては親しいんですよね、こういう場所のこういう建物や彫刻って。Sにも寺社仏閣が多いせいかな」
「鷹島酷夜の息子だしなあ」
「親父は石彫ですから。そう、父親に連れて来てもらった記憶もあります」
「なら学術的な説明は省いていいな。さっきの『追々』の話をしながら歩こう」
 タクシーを降り、参拝をしてから藍川が住職に話を通して寺院の中を案内してもらった。「やあ、ここの薬師如来は見事だな」と仏像をじっくりと眺める。見学の後はまた次の寺院へ、また次へ、ととにかくそこらに点在する寺院をめぐりまわった。修学旅行生でもこんなにまわらないのではないかと思う。
「大日如来とおっしゃいましたね」と私は三つ目の寺院で口をひらいた。
「大日だと密教のトップですよね。金剛と胎蔵とあったと思うんですけど、どちらに」
「お、さすが詳しいな。依頼は金剛だ。そしてその依頼の趣旨は曼陀羅の制作だ。立体曼陀羅」
 それを聞いて私は驚く。曼陀羅というと、ありとあらゆる仏が配置される絵図であり、それを立体化したものが立体曼陀羅だ。曼陀羅の図は多く描かれているが、立体曼陀羅はあまり例を見ない。


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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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