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「修繕、ありがとうございました。おかげでずいぶんと綺麗になったし堅牢になりました。後世にまで残るでしょうよ」
二月の最初の週、ミナミ倉庫にやって来たのは寺の僧侶だった。この辺りではわりと大きな寺の副住職を務める、柏木斎風(かしわぎさいふう)という男だ。私の元へしょっちゅう仏像彫刻だの欄間だのの修繕の依頼に来るのはこの男だ。同い年だからだというわけではないが、本人は僧侶らしからぬ気楽さで依頼以外にも顔を出すことがある。
「次に依頼がある?」と私は訊ねる。
「まあ、ちょこまかとはあるがね。他の寺社からの依頼もあるし。でも、私が期待しているのは、」
柏木は倉庫の隅に掛布をかけられて安置されている木材に目を向けた。
「言わずもがな。――まだ手はつかないか」
「……期限があることは分かってる」
「おまえさんのことだから毎日あの木を気にかけているのは分かる。それでも制作に至れない。法要まではあと三年ある。おまえさんの集中力さえあれば充分すぎるほどの時間でないか?」
「十年近くなにひとつ作品の完成に至れていないのに、三年あれば充分とは言えないよ」
「うーん、もっと自分を信じてあげていい」
柏木はからからと笑った。
「ま、こればかりは。芸術家という方々に繊細さが我々より遥かに多く備わっていることは分かる。締め切りはあくまでも目標だけど、締め切りのない作品ほど熱意の備わらないものはないとおまえさんは前に言ってたからな。楽しみにしているよ。とにかく私は鷹島静穏のファンであるし」
茶をず、と飲み、「どら」と柏木は立ちあがった。立ちあがり、倉庫の隅へと歩いていく。
そこには石膏で作られたマケットがあった。マケットなのでスケールは小さい。立ち姿の女性のマケットを見て、柏木は「おまえさんの出現が待ち遠しいよ」と崇拝するかのように手を合わせた。
柏木はここまで原付で来ていると言う。こんな雪道で寒い中のバイクの運転は平気なのかと訊くと、柏木は「坊主はそれぐらいふてぶてしくないといけねえ」と分からぬ理屈で答えた。
「また寺に顔を出してくれ。修繕依頼を用意しとく」
「なんかすっかりおれのマネジメント事務所になったよな」
「坊主はビジネスも得意なんだ」
そう言って柏木は去った。
私は倉庫に戻り、柏木に出していた茶のカップなどを片付ける。片付けてから改めて倉庫の資材置き場へと向かった。隅に、ひと際大きな資材が安置してある。白い布をかけられ、埃から守られている。私はそれにそっと近づき、布をそろそろとめくった。樹皮を剥いだなめらかな木肌があらわになる。
ずいぶんな巨木を、柏木の依頼でこの倉庫へ持ち込んで四年になる。ずっと手をつけられていないかわいそうな材木だ。切り出された時は、それはそれは神聖な儀式で倒されたというのに。
そっと触れる。頭の中でイメージが走る。走って走って、いつもなににも結び付かずに混乱する。
私の業のかたまりは、静かに倉庫の隅に鎮座している。
窓の外では風が強かった。冷たくよく乾いた北風は、室内の温度を下げる。刃物をいじる指先に集中するもかじかんだ。手を口元に当ててぼんやりしていると、倉庫の出入り口のアルミの引き戸がこんこん、と控えめに鳴らされた。
風のいたずらともつかないような大人しさは、怯えを孕んでいるかのようだった。それでも再び鳴らされる。私は立ちあがり、引き戸を引いた。強い風が流れ込んでくる。そこには誰もいなかったが、引き戸の横の壁にもたれてコートにマフラーを巻いた八束が立っているのを認めた。
私が渡したマフラーを巻き、仕事帰りと思しき身なりだった。けれど闇に紛れた顔の半分には、赤黒い痕が閃光のように走っていた。眼鏡で守られて目は無事だったようだが、頬から唇の端に殴打症と分かる傷がある。
八束は笑うかのように口元を上げたが、私の身体の中には一気に北風が暴れ込んで巻いた気がした。
「別れて来た」と八束は言った。
「仕事帰りにさっと済ますつもりだったのに、激昂されて殴られた。殴られたから殴り返した。人に暴力をふるったのははじめてだ。まだ手がふるえて、」
八束はポケットから手を取り出した。ここにも傷があった。
「こんな顔で帰ったら親父と四季になにを言われるか分からないから。ふたりが寝た後に帰ろうと思って。……それまで、いさせてくれないか」
「……手当するよ」
入って、と八束の背にそっと手を当て、倉庫内に入れる。作業場から続く居住スペースのソファへ八束を招いた。八束はずっとがちがちと膝や歯を鳴らしてふるえていた。ストーブの設定温度を最大に上げる。
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暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
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お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」
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甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
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