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一.


「南波」のプレートが掲げられた門扉をくぐると、玄関までの踏み石を飛び跳ねるようにしてセーラー服姿の少女が駆けていた。制服はこの辺り一帯の公立中学校のもの。リボンの色から一年生だと分かる。
 その年齢にすれば抜群に長身だろう少女は、小鹿のような体躯をくっととどまらせて「あ、セノくん」と私の顔を見た。だが急いでいるようで足がいまにも飛び出しそうだ。
「なんだか忙しそうだね」と私は少女が巻いているマフラーについた糸くずを咄嗟に払う。
「学校から帰ったんじゃないの?」
「歯医者の予約忘れて帰って来ちゃったの――もう予約時間過ぎちゃってて」
「送って行こうか?」
「走ってくから平気」
「走って行ったら呼吸が大変だよ」
「あ、そうだね。そうだけど」
 少女はいま気づいた、という風に笑った。
「でも走る。大丈夫、すぐそこだし。いまおじいちゃんいないけどヤツカくんいるから。すごーく本に夢中。ピンポン連打して」
「ありがとう。気をつけて行って」
「ヤツカくんと飲みに行くといいよ。歯医者の後にえっちゃんと約束してるの」
「大家さんも留守?」
「社交ダンスの集まりで忘年会なんだって」
 喋るだけ喋って少女は軽やかに駆けていなくなった。ふっと懐かしい香りを嗅いだ気がした。私よりもはるかに最新を生きているはずで、見目なんかも最先端に見えるのに。彼女はいつもどこか懐かしい。
 彼女の叔父の方はもっと懐かしい気がする。親しく馴染む感覚というのか。同年代だからだろうと思いながら玄関へと進み、インターフォンを押した。ゆっくり十数えて案の定反応はなく、少女に言われた通りにその後は三秒間隔でインターフォンを押し続けた。
 六回目を鳴らそうかというときに玄関の引き戸があいた。
「……あいてるんだって分かってるんだから入ればいいのに」
「なんの本読んでた?」
「古事記。再読。……家賃?」
「うん。今月と、来月の分も一緒に」
「確認しましょう。上がってください。――もう年末か」
 最後はひとりごちて、男はくるりと背を向けた。もう十二月、けれど薄いシャツ一枚の後ろ姿に肩甲骨の線が透ける。寒そうだが本人は寒くないらしい。後に続く。
 通された部屋はこの家の居間だったが、火の気はなくうすら寒かった。男は灯油の芯出しストーブをつけ、そのまま台所へ向かい「コーヒー? 緑茶?」と訊いた。
「ぬる燗」
「……四季になにか言われた?」
「八束さんと飲みに行くといいよ、と。今日大家さんは忘年会で、四季ちゃんは友達と約束があるとかだから」
「ぬる燗がいいなら外に出ないといけないけど、今日の僕はもう外に出る気がない」
「古事記が面白い?」
「うん。出雲の風土記を入手したので比べて読んでるんだけど、表記の相違がね」
「八束さんさえ良ければ買い出しに行って来るよ。ひとりだとあなたどうせ一飯ぐらい平気ですっ飛ばすだろ。四季ちゃんもそれが心配なんだよ」
「……とりあえずお茶を先に。まずは本題から」
 湯を沸かし、すぐに緑茶が出て来た。座卓に向かいあい、封筒を差し出す。男はそれを手に取り、中身を改めた。
 この痩型で目の細い男を、南波八束(なんばやつか)という。白髪が目立って一見老けて見えるが若白髪で、私と同学年の三十五歳だ。彼の父親は私が借りている「ミナミ倉庫」の大家である。家業は時折手伝う程度で、本業は市立の郷土資料館勤務の研究員だ。先ほどの少女とは叔父と姪の間柄で、父親というわけではない。
 家賃の支払いは毎月一日と決まっているが、年始となる一月の支払い分だけは十二月中の納めとなる。「ミナミ倉庫」はここからは少々離れた川沿いに建つ中型の倉庫で、元々は精密機器の部品を作る小さな工場だったと聞く。そこを私は住居兼作業場兼資材置き場として使用させてもらっている。広さの割に安いのは事故物件だからだが、気にしない性格なので問題なく、むしろ安く借りられて助かっている。
 金を数え終え領収のハンコを押した八束は、「契約更新のこと考えてる?」と帳簿から目を離さずに言った。
「あの倉庫は倉庫だからね。住むのにやっぱり不便なんじゃないかと親父も言ってる。給湯スペースで寝起きしてるけど、風呂はないし」
「んー、でもあの倉庫がないならないで困るんだよなあ」
「作業場として確保して、居住は別に移したら、という意味。うちの物件で空きが出るんだ。この二月で」
「ミナミ荘のこと? 学生向けの?」
「いや、ハイツ・ミナミの方。ファミリー向けの方だ。部屋数あるし、リフォームしたから広くて綺麗」
「でも倉庫プラスで家賃が乗るわけだ」
「多少は落とせると思う。セノさん、綺麗に使ってくれてるし、滞納したことないから」
 私は軽く笑い、「いまのままの契約更新で」と答えた。
「近くに銭湯があるから風呂は困らない。どこでも眠れる。お湯も沸かせるしトイレもある。充分だ」
「もう……あの倉庫に何年になるんだっけ」
「離婚した翌年だった……三十歳で借りたんだよ。五年?」
「……今後再婚のご予定は?」
「ない。誰かを連れ込む予定すらない」
「ないの?」
「ないよ」
「元奥さんに未練……だとしてもまだ若いんだから」
「そっくりお返しする。……いや、違うな。……そうじゃないといけないんだよ、おれは」
「ひとりでいる主義?」
「かもしれない」
 そう言うと八束はふっと息を吐き、帳簿を閉じた。そのままファイルと家賃を持って家のどこかへ消え、戻って来たときには分厚いカウチンニットを手にしていた。
「飲みに行こうか。ぬる燗」
 ニットを羽織り、かけていた眼鏡を外した。外すと案外童顔だと分かる。大人っぽい顔立ちの姪とはあまり似ない。
「古事記、いいの?」
「ひとりでいる主義でも、知人と酒を飲みに行くぐらいはいいだろ」
「やさしいね」
「人ってあんまりひとりにならない方がいいんだ」
「それは誰かの言葉?」
「僕がそう思うだけ」
 私も立ちあがり、古ぼけたワークコートに袖を通す。火の元と電気と戸締りを確認して八束とともに家を後にする。
「日本酒の他にメニューのあてはあるの?」と八束に訊かれた。
「ない。テキトーに言っただけ。立ち飲みバルでワインだっていいよ。っても、おれたちの格好だとイタリアンやフレンチや懐石は追い出されそう」
「そんなところで飲む気なんかないだろう」
 学生時代の安い海外旅行の際に奮発して買ったニットをいまだに大事に着ている八束と、父親のお下がりを繕いながら着ている私のみてくれは、同じ年頃のサラリーマンからすれば考えられないほどみすぼらしく映るだろう。
「ものを大事にしているだけ。体型も変わらないし」
「体型の変化ってやっぱり生活の変化なんだろうなって思う。変化しない生活をお互いに選んだってことかなって」
「でもセノさんは結婚」と八束は言いかけ、「いや、くだらないな」と言い直した。別にいいんだけどな、と私は思う。結婚離婚の話題を根掘り葉掘り訊いてくれてもいい。くだらない話題になるだけだ。
 ――なるほど、「くだらない」からやめてくれたのか。
 ひとりで笑っていたら八束は面倒臭そうに耳の後ろを掻いた。そのまま腕を前方に伸ばす。そのモーションが綺麗だな、と思った。八束は動作のひとつひとつが綺麗だ。けだるげでやる気もないのにどこか惹かれる。
「大橋のたもとのおでん屋って今日やってるかな?」と橋の方向を指して八束は言った。
「ああ、いいね。おれ今年はまだおでん食ってないな」
「じゃあ今夜はそこで。十一月のはじめに寒い日あったよな。あの日、四季が煮てくれてうちはおでん食べたよ」
「四季ちゃんおでん煮るの? あの子ってどこで料理を覚えてくるんだろうっていつも不思議。南波家って男所帯だろうに」
「友達のお母さんに教わってくるんだって」
「ああ、『えっちゃん』」
 ぽつぽつ話しているうちに市街地へ出た。街路樹にはLEDで輝かしい明かりが灯る。クリスマスの月か、と思いながら隣を見る。
 なにも巻かれていない八束の首元に、不意に指を当てたい衝動に駆られる。人淋しい。人肌恋しい。こんなうちは全然だめなんだ、と思う。


→ 





ここからは長編を。2ヶ月ぐらいの更新になると思います。



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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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