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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 六月の中旬にまとまって休みが取れた、と鴇田から連絡が入る。平日につらつらと四連休。本人は「去年オーストラリアなんか旅行してなきゃもっと有休が残ってたんですけど」と心なしか悔しそうだった。
「じゃあおれもそこらで申請してみます。行きたいところとかやりたいこととか、考えといて」
『どのくらい休みが取れそうですか?』
「うーん、あなたと同じ日数で取れたらかなりラッキーですので、あまり期待はしない方が」
『分かりました』
 旅行の行き先は二泊三日でIに決まった。



 インターフォンを押したが返事がなかった。本人はアパートにいると言っていたので大方イヤフォンでもして電子ピアノを鳴らしているのだろう。合鍵で部屋に入ると鴇田はベッドの上に寝転んで目を閉じていた。耳からコードが伸び、それはミュージックプレイヤーにつながっている。眠っているわけではないのは、暖に気づいてちらりと目を開けたことで分かった。
 買い込んだ食材だけ冷蔵庫に仕舞い、改めて鴇田のベッドへ近づく。「なに聴いてるの」と言いつつミュージックプレイヤーに手を伸ばすと、そこに表示されている曲名は日本語ではなく英語でもなかった。
 鴇田がうっすらと目を開けて、片耳からイヤフォンを引き抜いた。それを分けてもらって自身の片耳に差し込む。流れ込んできたのは意外な音だった。
「――え? タンゴ?」
 独特の哀愁を帯びたリズミカルな音律。けれど使われている楽器はピアノや弦楽器や管楽器だ。タンゴのエッセンスを掬いあげた交響曲、とでも言うのか。どう聴いてもジャズではない。
「ピアソラ」と答えがあった。
「こないだ店で演奏してたトランペッターがタンゴっぽいアレンジで吹いてたのが面白くて。訊いたらCDを貸してくれたんです」
「いい音だ」
「うん。このままいくらでもジャズに引っ張れちゃいそう。タンゴってバンドネオンの音がそうなんじゃないかってイメージが強いんですけど、実際はピアノもヴァイオリンも使うんですよね」
「そうなんだ」
「要するにダンスミュージックですから、大衆で奏でられればなんでもありなんです。……知ってました? タンゴってはじまりは男性同士でも踊ったそうですよ」
「へえ」
 知らなかったな、と呟きながらそっと鴇田に触れる。絡んだ視線で距離を許されたと理解した。寝転んでいる鴇田の胸の上に頭を沈めた。イヤフォンのコードで繋がっているから、少しだけ聴く分には問題なくても、ちゃんと聴こうとすると身体を接近させる必要に迫られる。いまはコードレスのイヤフォンなんかいくらでもあるけれど、こういうことが出来なくなるから新しく買わないで、と言いたいぐらいだ。
 耳からバンドネオンの音色と共に、鴇田の吐息が響く。
「移民の人たちが不満を口ずさみながら、はけ口として踊ったのが由来だそうです」
「……そういうのが文化のはじまりだったりしますね。風俗って言っちゃうと聞こえが悪いかな」
「いえ、分かります。ジャズもタンゴも戦前から日本に伝わってたそうですから、それだけなじみがいいってことですよね」
「ああ、確かに」
「ジャズって元々はセックスを指す俗語だったって説があります。タンゴでは相手が男でも娼婦でも踊ってた。みんなそういう俗の中から派生してますね。……音楽って、そういうものなんだなって、思う。熱狂したときに叩いた手のリズムとか、憩う中で聞こえた風の音とか。人が生きていく中でどれも自然に発生している。……僕はピアノのAの音が好きなのでよく鳴らすのですが」
「A? いつものあれのこと?」
「はい。ドレミファソラシドの、ラの音。ラの音からABCと数えるんです。オーケストラのチューニングで最初にオーボエが吹く音です。これ、赤ん坊が生まれて最初に出す泣き声の音だって説」
「へえ」
「太鼓の音は心臓そのものだと思いますし。……身体も世界も、動きが生じれば音楽が生まれますね。細胞分裂さえも音律がありそうだ」
 その感慨のこもった台詞に、無性に泣きたいような気持ちになった。情熱的なリズムを奏でるヴァイオリンの音を耳から外して、鴇田の身体の上に重なりなおした。ぴったりと心臓の上に耳をつける。
 力強く速いテンポの、鴇田の心音が響く。これも音楽。鴇田の音楽。
 目を閉じて聞き入っていると、手が伸びて髪をまさぐられた。耳に指が這い、耳朶を親指と人差し指とで挟まれ、こすられる。勝手に呼気に熱が混ざり、体温が上昇したように思う。
「……いまおれも鴇田さんもおんなじこと思ってる」と身体を起こして鴇田の顔を覗き込む。男の目は情感にけぶって光る。
「セックスしてえなあ、って」
「……してみたい。でもやっぱりやり方がよく分かんなくて、」
「もしかしてそれで全然触って来ませんでしたか?」
「不用意に触れたら力加減間違いそうだし、あんたは隣でよく寝てるし。どうしていいのか分かんないから……」
「そういえばキスすらしてなかったんですよ」
「触りたいと思ってたのは本当。例えば……最近の三倉さんはシャツをあまり着ないから」
「ん?」裸でいた覚えはない。
「以前は奥さん手製のシャツだってのを着てましたけど、最近は着ない訳ではないにしろ仕事以外では着ませんよね。いまみたいにカットソー着たり、ポロシャツ着たり」
「元々はそういうのをよく着てたんですよ。そういう方が楽で好きなの。首もとも苦しくないし。でも彼女がシャツの方が似合うって言って作ってくれてたから」
 確かに蒼生子手製のシャツを着る機会はぐんと減った。ものがいいものを無理に処分したりはしなかったが、もう彼女が暖のシャツを縫うことはないし、縫ったとしても暖は着ないだろう。ひとりになって新しく衣類を買い足したとき、久しぶりの感覚に戸惑いながらも自由を感じたことを思い出す。なにを選ぶのも暖の自由。うっすらと寒気を感じるような開放感だった。
「うん、分かります。それで、わりと若いというか、首元の開いた服を着ているなと見ると、そこに触ってみたくなるんです。それも手で触れるよりは、頬とか、口元を当ててみたいみたいな欲求で」
「……そっか」暖にもちゃんと分かる感覚だと思った。ごく初期の症状。これからどんどん境目のない感覚にはまっていく、その手前。
「触ったら求めすぎて止まらなくなりそうで、それも怖くて」
「いいんですよ。そういう順序も、ペースも、なんでもある」
「僕のペースだと、遅いんじゃないですか」
「あなたの、というよりは、おれたちの、じゃないかな。……触ってください」
 再会して以降でまともに触れたのははじめてだった。リセットされて最初に戻ってしまったかのような鴇田のこわばりに、それでも触れたがって動く指に、暖はあやすように唇を押し付ける。感触を楽しむように指が下唇を遊ぶ。口を開けて舐め、甘噛みすると、くすぐったいのか鴇田は息を漏らした。



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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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