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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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「日瀧となに話してたんですか?」と訊かれ、暖はうすく笑った。笑うしかなかった。
「……なに、」
「知らないうちにあなたは熱心な信者を作ってたみたいだから、安心したのと妬けたのと半分ずつです」
「信者? 誰が?」
「日瀧くん」
「僕に?」
 真剣に首を捻っている。
「しきりにあなたのことを心配していたし、憧れている風だった」
「憧れるほどのものは僕にはないんですけどね。いつも日瀧とセットで西川っていう新入社員がいて、そいつといるから余計に変な憧れを抱くみたいで」
「西川くん? さん?」
「男です。大卒入社なんで日瀧より年上なんですけど、気が合うようで休憩のときは大体一緒です。でもあれであいつらが信者かと言われると、そういうもんじゃないと思うんですけど」
「あなたに懐きたくなる気持ちはおれも分かるけどね」
 食事の支度でキッチンに向かいつつ鴇田に答える。準備のあいだにゆっくり風呂にでも入ってくればいいと言ったのだが、手元を見ていたいと言って、鴇田はシャワーだけ浴びてさっさと出てきてしまった。
 前妻と暮らしたマンションは食事にこだわりを持つ暖のことを考えてアイランド型のキッチンだった。ひとりとなったいまそんなこだわりはいらないと思って壁に据え付けのキッチンの部屋を選んでしまったが、鴇田がこんなに興味を持つならもう少しこだわってもよかったな、と後悔している。
 暖の手元にあるスキレット・パンの中で、じゅわじゅわとダークブラウンのソースが煮詰まっていく。先ほどまでここで肉を焼いていた。肉汁をそのまま利用したソースは絶対に美味いと請け負える。肉に特製のソースをかけて、あとは仕込んでおいた野菜のたくさん入ったスープと合わせて出す。パンもライスも準備があるので、主食はお好みで。軽い食べ合わせでタコとサーモンのカルパッチョも冷やして準備している。
「冷蔵庫に酒があるんです。好きなの出して」
 そう言うと鴇田は暖の傍から離れ、冷蔵庫を探る。
「あ、スパークリングがある。これいいですか?」
「いいですね。今日は昼間暑かったから冷やしておいて正解だったな。栓抜けますか?」
「やったことはないんですけど、店で伊丹さんやスタッフが抜いているところは見たことがあるので、やり方は知っています」
 その言い分が面白かった。鴇田はスパークリングワインを取り出し、コルクを留めている針金を外す。暖が煮詰まったソースを肉に垂らしていると、背後で「ポン」と軽い音がした。
「あ、グラスありますか?」
「あります。買ったんですよ。そこの引き出し」
「買ったんですか?」
「うん。一脚だけね」
 暖が示したキッチンの引き出しからグラスを取り出し、鴇田は「きれい」と呟く。
「スパークリングワインなら本当はフルートなんだろうけど、タンブラーでごめんね」
「いえ、きれいです。模様が細かくてきれい」
 鴇田はしげしげとグラスを眺める。取材で訪れた骨董市で買い求めたもので、古いものだが値が張ったわけではなかった。よくあるタンブラーの形だが、底から上部三分の一までに模様の入る切り子で、骨董さながらの薄い琥珀色と、ガラスの薄さがいいなと思って買った。
「前に使ってたのはあらかた売ったり処分したりで、この家の食器ってひとり分しかなかったからさ。これを機にあなたと長く使えますようにっていう願掛けの気持ちで買ったんですよ。気に入ってもらえたなら嬉しい。さて、用意出来たよ」
 スクエアのちいさなダイニングにこれだけの皿が並ぶのはこの部屋でははじめてのことだった。鴇田が向かいに腰かけ、切り子のタンブラーにアルコールを注ぐ。
「いただきます」
「どうぞ」
 冷えた辛口のアルコールが胃に染みて美味かった。鴇田はスープを口にして、ほっと息をつく。「美味い」
「去年店で食べたスープの感じで作ってみたんです。あのころの鴇田さんって全然食事をしないイメージだったけど、いまは?」
「食ったり食わなかったりですかね。もともとそんなに規則正しく食べる方じゃなかったので。でもこれは食べます。美味しい」
「よかった」
 暖は微笑み、自身もスープから食べはじめる。肉の焼き加減がちょうどよく、二重丸だなと思いながら食べる。つい苦笑してしまったのは、蒼生子との食事を思い出したからだった。
「……なに?」と向かいの鴇田が首を傾げる。
「いやあ……前の奥さんとの話になるから、せっかくの食事なのに気をわるくしたら申し訳ない」
「気にしないです。聞きたい」
「……おれがよく作ったのは、さっぱりした和食だったんですよ。ひじきの煮付けとか、五目ごはんとか、いんげんの白和えとかね。あんまりにも作りすぎてもうどっかの寺の坊主みたいに胡麻豆腐とか自分で作れるんじゃないかと思うぐらい。だから誰かとの食事でこんな風に肉焼いたの久しぶりだなあって思ったらつい表情に出てしまいました。ごめんね」
「……それは、蒼生子さんが和食が好きだったから、ですか?」
「どうかな? 彼女も好きだったのかは怪しいな。美味しいって食べてくれましたがね。……不妊治療してたんですね、おれたちは。彼女が読んでたハウツー本に、肉料理はなんとかっていう満腹を促すホルモンが分泌されてそれに満足しちゃって性欲が減退するからセックスの前は軽い食事程度に留めましょう、みたいなこと書いてあったんだ。それを信じてね。こういう、満腹になる食事っていう食事を作らなかった。精進料理みたいなさ……いま考えれば本当かよって疑う話です。肉食わないでどうやって力出すんだよって。ベジタリアンかって思うぐらいに食事制限してました。まあおかげで健康診断に引っかかったこともなかったんですけどね」
「……」
「小麦は身体を冷やすから良くないとか、五穀米のお粥がいいとか。突き詰めてもなんの根拠も得られない情報にばっかり左右されてたなって。こうすれば確実に子どもが出来ますっていうものはなかったから、余計に。そういう結果でいまがあって後悔しているわけじゃないけど、あの食事も苦しかったりはしたなって」
「……」
「ごめん、しょうもない話で冷めちゃうね。食べてください」
 ボトルを取り、鴇田のグラスにアルコールを注いだ。けれど鴇田は黙ったまま手が動かない。
 しばらくしてきちんと箸を置いて顔を上げた。男のまっすぐな眼差しが暖に向けられた。
「僕は、肉でも魚でもあなたが作ってくれたものなら喜んで食べます。この料理、どれも本当に美味しいし」
「……うん」
「それであなたが『こっちの方が身体にいいから今日は湯豆腐にしよう』って言っても、食べると思います。それが三日続いても、一週間続いても、あなたが信じて作るなら、食べる。……だから三倉さんもいままでそうだったんですよね。自分の大事な人が信じているから、ひじきや豆も煮る」
「……」
「そういう愛情を間違っているとは思わないです。大事な人との時間を過ごしたいがためだから。でもあんたは苦しかったんですから、やっぱりそれは感情の方向として間違っていなくても、間違いだよって、根拠ないじゃんって、声をあげるべきだったのかもしれません」
 鴇田は再び箸を取る。肉に手を伸ばした。
「だから僕はあんたが僕を思って作ってくれる料理でも、違うって思ったらちゃんとそう言いたいと思います。病気のときに無理して唐揚げ食べなくてもいいけど、健康で唐揚げ食べたいのにお粥食べさせられたらやっぱり納得いかないし。いくら僕のためだよって言われても」
 その例えは暖を苦笑させた。けれどよく分かる。散々苦しんできたから、その教訓があるなら鴇田との関係の中で生かすべきなんだろう。
「うん、あなたは正しい。鴇田さんはいいね。そういうところ、本当にいい」
 鴇田は肉を頬張り、「美味しいです」と答えた。
「唐揚げ好きなの?」と訊ねてみる。
「嫌いな人なかなかいないんじゃないですか? ハイボールと合わせてやりたい」
「ああ、それは間違いない組み合わせですね。今度は揚げるよ。おれの唐揚げはしょうがとにんにくががっつりきくよ」
「人と会えなくなるやつですね。好きですよ。三倉さんの得意料理は、やっぱり肉?」
「いや、意外と中華が上手いんですよ。中華鍋でとろみをつけるのが上手らしくて」
「はは。それもやってください」
「あとはカレーも得意。前妻の前では薬膳カレーをよく作りました。旬の食材とスパイスをふんだんに使った、身体によさそうなやつですね。でも本当は市販ルー使った牛すじカレーとかいうこだわってんだかないんだかわけわかんない方が上手に作れる」
「牛すじなんか飲み屋でしか食べたことないです。家庭でできるもの?」
「いい鍋があると簡単に」
「道具って大事ですよね。うちは母方の祖父母の家に南部鉄器があって、それでお湯沸かすんです。不思議と白湯でも不満ないんですよね」
「分かるな。鋳物はいいよ。手入れが大変だけど、その手間もなんかいいんだよね」
「さっき肉焼いてたフライパン……って言わないのか、も、鋳鉄?」
「スキレットね。そう。安かったわりにものが良くて、あれは前の家で使ってたものだけどさらってきた。彼女の方は重たいから嫌だって言って、使ってなかったし」
「僕がひとり暮らしをはじめて母親に持たされたのはテフロン加工のフライパンだったんですけど、そのうち焦げてひっつくようになっちゃって。使いにくくて、嫌になって、おかげでほとんど料理をしない人間になってしまいました」
「ありがちな話だよね。テフロンはくっつかないって言っていいんだけど、加工が剥げちゃうとだめなんだ。結局のところステンレスだからね。ステンレスは熱伝導率が極端だからすぐ焦げる。でも加工してあればくっつかないし、安く出回ってるし、みんな使いますね」
「うちの母親は猛烈なテフロン信者でしたよ。だからってわけじゃないけど、料理はあんまり上手じゃなかった。ピアノは猛烈に弾けるくせに」
「お母さんはどんなピアノを弾いてたの?」
 夜はとめどなく長い。


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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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