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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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「――そういうわけで、離婚したのは本当に最近なんです」
 長い話を、鴇田は黙って聞いてくれた。暖が新しく借りた部屋で、鴇田はステージ衣装の黒ずくめでいたし、暖も昼間に着ていた服をまだ着ていた。暖の淹れたコーヒーはお互いろくに手がつけられず、冷め切っている。それでもアルコールを出さなかったのは、酔いに紛らわせて話したくなかったからだ。
 急ごしらえで借りた部屋で家具の類は統一されていなかった。やたらと大きくて立派なカウチはあるのに、ベッドはない。洗濯機は最新型でも冷蔵庫は型の古い中古品だったりする。パソコンはあるが、電子レンジとテレビはない。
 しばらくして鴇田は頷き、「離婚されたとは思っていませんでした」と言った。
「というか、子どもが出来たかもしれないと思っていたし」
「事実がないから出来ようがないですよ。どうしてそう思ったの?」
「前に書いてたコラム読んでそう思いました」
 鴇田が語ったのは、宇宙の果ては何色であるか? の疑問ではじまった、時間軸としては秋に書いたコラムだった。
「あー、あれはそう取れるのか。おれとしては、存在したことっていうのはなかったことにはならないってことが言いたくて。いつか経験を忘れる日が来ても、それはあったことなんだっていう」
「でも生命云々と書いていたから。子どもが出来てそう思ったのかな、と」
「まあ、不妊治療をずっとしていたからね。『ある』ことにならない場合はどういうことだろうってのも考えた。考えている、だな。まだ答えが見つからない。……あれ、あのコラム。かなりいろんな反応があったのは知ってるんです。難しすぎるだろうとか、意味が分かりにくいとか、社内でも掲載するかどうかすごく議論になったし」
「……」
「でも掲載を強く推してくれた人が何人もいて、結果的に載りました。掲載してもらえてよかったと思ってますよ」
 カウチに沈んで、鴇田は膝を抱えて暖を見た。黙って黒い目をこちらに向けている。ようやく会えた人は突然の展開に戸惑っているようだった。静かな分だけ、彼の困惑が突き刺さる。
 困惑したまま、鴇田の方から「離婚って」と切り出された。
「簡単に出来るものですか?」
「んー」返答を考える。反射で答えるような、生半可な言葉では伝えられない。
「大学時代から十四・五年連れ添った仲だというのは田代さんから聞きました。そんなに長いあいだ傍にいた人と、そんなに簡単に離れられるものですか?」
「簡単ではないです。それは、……もちろん」
 暖は目を閉じた。これまでの日々を思い返す。
「彼女に対する愛情はあるし、だからこそあの人が抱いていた理想像を叶えたかったという後悔もあります。未だに考えてしまう。けれどそれを追い求めて結果的におれは苦しくなってしまった。彼女自身も苦しかった。だから長いこと連れ添った仲でも、離れるべき縁もあるんだと思う。なんていうかな、時期とでもいうのかな」
「時期?」
「潮時。彼女との時間はおしまい、という意味です。ひとりの人と一生を添い遂げられる人ばかりではないのは世間が証明している。理想はやっぱり一生ひとりの傍にいたいけれど、現実的ではなかった。無理をしてでも彼女といる道もあったけれど、やっぱりそれは、無理をする道だったから」
「……」
 鴇田はますます身体を固くし、うつむく。それでも時折、確認するかのように顔を上げ、暖を見て、また顔を隠した。
 離婚しても鴇田と会うかどうかは別の話だった。もうそんなに恋だの愛だのに身を置かなくてもいいような気さえしていた。それだけ重たい荷物をおろした気分だったのだ。指輪を外して心から息をついた自分がいた。
 鴇田に会いたくないわけではなく、むしろどうしているかを焦げ付くほど考えてはいたが、いままで散々連絡を取りあっていた連絡先はことごとく不通になっている事実を考えると、ためらった。鴇田はもうそういう覚悟でいるのだと思った。だから離婚しましたと言って不用意に会いに行けるわけもない。会社もアパートも知ってはいたけれど、そうまでして会いに行っても本人に望まぬ再会である可能性が高かった。
 離婚して数日経ったころに、会社に封書が届いた。「ご意見をお寄せください」のコーナーへの投書だったらしい。開封した内勤社員が「これは三倉さん宛てのファンレターですね」と言って封書を渡してくれた。きっちりした字で書かれたそっけない文章に、それでも暖の心は動いた。この人に伝え続けたいと思った。伝わってほしいという強い気持ちは信心に近かった。
 ほぼ同時に店の再オープンを知り、行くべきだと直感した。会えなくてもいいし話さなくてもいいから、鴇田の姿を見たいと思ったのだ。ピアノを聴きたい。否、鴇田がピアノを弾いている姿をひと目見たい。鴇田がピアノを弾くとは限らなかったので、そのときは伝言を頼むことも考え、考えた末に封筒にコラムの原案を入れて店に向かった。向かいながらずっと迷っていた。だが足は進む。
 雨天の屋外と違って店内はずいぶんと盛況で、かろうじて見つけた席にようやく座った。
 会いたかった人は店のステージで一心にピアノを鳴らしていた。こちらを一度見たけれど気づいてはいないようで、すぐにピアノに没頭してしまう。ボーカリストと目配せをして、音に音を重ねて音楽を奏でていた。あんなに背を丸めて、あんなに縋るように。けれど前と違うと思ったのは、音に喜びを感じる点だった。BGMでいいと言っていた彼のスタイルは変わらないだろう。けれどしがみつくように必死であるのにどこか投げやりにも聴こえていた音は、ピアノと遊ぶ喜びにあふれていた。
 もっと言うなら、情熱がほとばしっていた。あの場で演奏を聴いていた人たちは皆、焦燥に駆られたのではないかと思う。恋しくてたまらなくなる音。とても近しい相手に触れたくなる音。そのようにして店を出て行くカップルを何組も見た。近くにラブホテルがあったら繁盛してしまうと思ったぐらい、鴇田たちの音楽はなまめかしく、親密に秘めいて、すっきりと純粋な愛情を掻き立てた。
 たまらず名刺を取り出し、ペンで連絡先とメッセージを記す。それでもまだ、渡すかどうかに迷いがあった。店の前で待ち伏せするにも勇気が足りない。雨でくじけかかる。鴇田の音が鳴りやみ、割れる拍手で興奮する店の中から無理に出た。膝から震えが来るほど音に圧倒され、指先に痺れが残っていた。
 声をかけてきたのは少年ともとれるような年齢の男だった。鴇田の会社の後輩だと名乗る。彼も興奮していたが、「前にあなたと鴇田さんが一緒にいるところを何度も見ています」と真っ直ぐに伝えられ、暖はこの若者に託してみる気になった。
 彼は鴇田と暖との交流を見ていた。ふたりだけの記憶だと思っていた夢みたいにおぼろげな日々に、客観的な目が加えられる。どう映っていたかは分からない。けれどやはり自分の主張は正しいのだの立証された。
 あったことは、なかったことにはならない。鴇田と過ごしたたくさんの時間も、その中に触れあった夜が存在したことも。
「あなたに託します」と封筒を渡した。若者は戸惑う表情を見せる。
「鴇田さんに渡してください。あなたのタイミングで構いません。でもどうか、渡してください」
「渡せばいいんですか」
「渡せばきっと伝わるから」
 それだけ言って店に背を向けて歩き出した。あとは神頼みだな、と思った。神様だけがこのあとの展開を知っている。運を傾けてくれれば鴇田にはつながるだろう。つながらなかったらそれまで。妻との時間が終わったように、鴇田との時間も終わったのだ。
 そして神様は即座に鴇田を結びつけてくれた。電話がかかって来たとき、自分の幸運が信じられなくてやっぱり迷った。知らないナンバーだったが鴇田だと分かり、応答に時間を要した。勇気を出してボタンを押し、声を聞いて震えた。その結果こうして鴇田が暖のアパートにいる。こんなに早く展開するとは暖も想像しなかった。だから鴇田の動揺はその通りだなと思う。
「あの子」と言うと、鴇田は僅かに顔を上げた。
「あなたの後輩だと言ってた子。去年取材に行ったときには見かけなかった。もっとも、見かけなかった人の方が多いんだろうけど」
「ああ……日瀧って言います。今年度の新入社員ですよ」
「まだ若いですよね」
「高卒採用です。いちばん若い」
「高卒採用なら、あなたと同じか」
 境遇が同じなら話もしやすいかもしれないな、と思った。親しい雰囲気があった。鴇田はいままで変えなかった表情をようやく緩めた。
「去年までまだ高校生なのにあの店行ってたらしいです。校則で禁止されてたのにって言ってました。音楽と酒をたしなむ大人に憧れがあるみたいで」
「ああ、ありますね。大人になればどうして? って思うようなことに無性に掻き立てられて感化される時期が」
 それだけ店や鴇田の存在を羨んでいたのではないか。健全な青少年とは言わないが、そんな彼にさっきまでの演奏と周囲の様子はどう映っただろう。酷ではなかったかな、と思わず苦笑した。暖が親ならちょっと堂々とは子どもに晒せないような、ほの暗い官能が透けて見える夜だった。
 どこであんな演奏を覚えたんだか、と黒く透き通る目をした目の前の男を疑う。こんな見た目で、中身に関して言えばおそらく暖以外の人との経験もないだろうに。もしくは暖以降で覚えたぬくもりがあったか。
 それは激しく妬ける想像だった。だが暖が考えてもどうしようもないことだ。
  ぽつぽつと交わす言葉の中、鴇田の口から「あの原稿」と発せられた。



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みもさま(拍手コメント)
読んでくださってありがとうございます。
遠海の心情を追うのはさほど難しくないことだったのですが、三倉の心情は私にとって難しいもので、書きながらずっと「ひどい男だ」と思っていました。ですので遠海と三倉が再会出来たことが果たしてよいことかどうか、不安がありました。みもさんのコメントをいただいて、よかったのだなとようやく思えました。ありがとうございます。
タイトル「西風バースト」については今後物語の中で触れていきますが、秋風とは程遠いものです。それでも「風」のイメージをもらいたくてタイトルつけました。物語の中に「風」を感じ取っていただけたなら、それ以上の喜びはございません。
更新しばらく続いていきますので、お付き合いくださいませ。
拍手・コメントありがとうございました。
粟津原栗子 2020/10/12(Mon)08:09:26 編集
プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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