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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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「ん?」
「この封筒の中身」
「ああ」先ほど若者に渡してもらった殴り書きの草稿だった。
「テナガザルとかいろんなメモが書いてありましたけど、僕にはよく意味が分からないんです。あなたがなにか……いろんな思考をして、いろんなことを考えているってことは分かります。そしてそれは僕に関することだってことも伝わりました。ただ……やっぱり僕には分からなくて、」
「そうですよね」
 暖は息を吐く。
「取材でこの近くの動物園に行ったんです」
「はい」
「いろんな動物の中にテナガザルがいてね。解説文を読んで知ったんですけど、一夫一妻制の動物だとありました。基本的には家族で行動します。核家族です。雄がハーレムを作るような一夫多妻の群れにはならないそうで」
「はい」
「歌で群れを分けます。歌でテリトリーを守りあっている、と言うんでしょうか。歌う動物は他にもたくさんいますけどね。なんだかあなたがピアノを弾いている姿を、というか、あなたはずっとひとつの音を飽きずに鳴らし続けているときがあって、あれを連想したんです」
「……僕は縄張りを主張したくて鳴らしている訳ではないです。あの音が好きなだけで、」
「分かりますよ。そういうことじゃないんですけど……気になって、なんとなく調べてみたんです。図書館とか会社のデータベース使って。そしたら仮説を立てている作家に行き着きました。その作家は発達障害があって、電車にも乗れないぐらい怖がりで臆病で敏感。でも奥さんと子どもがいます。ある一定のテリトリーから出られず、けれどテリトリーの中で核家族を築く。僕はチンパンジーの類人ではなくてテナガザルから進化した、とありました」
 その本を読んだとき、鴇田もそうではないかと思った。
「生涯ただひとりに出会うためにあなたは誰にも触れられなかったんじゃないかと。別にあなたが発達障害である、と言いたいわけではないです。むしろ触れられない点を除けば、あなたはきちんと社会生活を営める自立した大人ですから。ただ、全く誰にも触れられないわけではなかったことはおれが証明しました。たったひとりのためにいままで触れて来られなかったのだとすれば、それはどれだけの愛情を持ち得る人なのだろうか、と」
「……」
「というようなことをコラムに書こうかと思考をはじめたのはいいんですけど、つまり結局のところ、どれだけあなたがおれに距離を許せたことがすごいことだったかを自らで立証するような結論になってしまって。つまり、どれだけあなたはおれが好きだったかっていう、その、……」
 暖は言い詰まる。本人を目の前に話すとなんとも音声にし辛い。
「通常では考えられないようなとてつもない愛情をもって好かれたかみたいなことを……書くことになるなって。こんなのコラムになんか出来るわけないと、」
「それで大きく『ボツ』って」
「……おれなりにあなたのことを考えた結果なんですけどね。載せられないし、照れ臭くて文章にすらしていません」
 終わりです、と宣言する。ローテーブルの上に載ったコーヒーを口にしようとすると、鴇田の指がそっと伸びた。
「……僕の気持ちは、伝わりましたか?」と、真摯な瞳で訊かれた。
「……伝わりました。ものすごく、」
「思い知りましたか」
「骨身までどっぷりと染みこみました」
 言いながら鴇田の指はまだ戸惑っている。それでも暖に触れようとする。伸びた指は暖の左手を確かめ、するりと薬指を撫でた。なにも嵌まらなくなった指はいま、なんの引っかかりもない。鴇田が目を細めた。
「……またあなたに、好きだって言っていいんですよね」
「……まだ好きでいてくれてるんなら」
「好きです。それでもう、……誰にも言い訳や嘘をつかずに、内緒にせず、傷つけずに、あなたに触れていいんですよね」
「……うん」
 鴇田の手を取って指を絡ませる。そのまま自分の頬に当てると、心地よさに身体が湧いた。
 鴇田のために離婚したわけではなかった。夫婦としてすれ違い、道を分けたから縁を解いたのだ。けれどこうして鴇田のことだけに向き合っていられる時間が出来たから、よかったのだと思う。妻に対しても鴇田に対して誠実になりたいと思っていた。いままでたくさんの喜びを与えられた分、返したいと思っていた。
「好きなだけ言って、好きなだけ触っていいんです。あなたが平気なら」
 そう言うと、頬に当てていた手で下から舐めるように撫でられてくすぐったさに笑いが洩れた。
「おれも好きな時に言いますし、あなたが大丈夫なら触ります」
「三倉さんが?」
「え?」
「僕を好きだって言ってくれるんですか?」
 鴇田が目をまるくした。暖は口元を緩める。
「おれの気持ちは伝わっていると思ったんだけど」
「『情』のことですか? それはやっぱり僕にはうまく理解しがたいんですけど、……ああそういえばそれは僕に対して誠実に受け止めたからだよって田代さんに言われました。その人なりの価値観で大切で、情ってのは慕う気持ちで心が動くことだって、……あれ? 言ったの田代さんじゃなかったかな? でもなんか、田代さん含めその辺りの人に」
「え?」驚いて身体をのけぞらせる。頬から手が離れた。「田代?」
「あ、いえ、あなたの名前は出してません。ただ僕が、パートナーのいる人を好きになってしまったという告白をしてしまったから、」
「意外だな……」そういうことを上司らにすらりと言うタイプには思えなかった。
「なんていうのか、飲みの席でほろっと」
「あなたが酔うまで飲むところは見たことがないけど」
 いつどれだけ飲んでもけろっとしていて、平常のままピアノを弾いていた。
「飲んでないんです」と言われる。
「え? 素面で?」
「だからとにかく……あんたのことになると僕はおかしくて……僕じゃなくなる感覚が嫌だったんですけど、」
 鴇田は自身の髪をくしゃくしゃに掻く。せっかく上げた前髪は、中途半端に収まりどころを失ってしまった。
 その髪に触れる。撫で、漉くように髪を引っ張ると、鴇田は猫のように目を細めた。
「……いまでも嫌だと思う?」
「出来ればあなたを好きな自分のことも好きになりたい」
 その意思は暖に好意的に映る。鴇田が自分を責めてばかりいたら嫌だったと思う。苦しみながらも自分を肯定しているところが、この人の強いところだ。
 そこに至るまでにはどんな苦しみがあっただろうか。どれだけ悩み、自問して、そのたびに答えを出してきたのだろう。その工程のことを考えると暖は嬉しさと同時に淋しさも思う。ひとりでそんな境地になんか行ってほしくなかった。それは触れられない人生を歩んできた鴇田なりの処世術なのだと思うと、ますます淋しい。
「じゃあ」と気を取り直して鴇田の頬に触れる。
「おれはとにかくあなたをたくさん肯定して、限度額いっぱいまで触ることにします。本当はね、離婚してもうしばらく恋愛とかどーでもいいやって思ってた。あなたとは音信不通になってしまっていたし。けれど手紙をもらって、演奏を見て、あなたを大事に思う気持ちでいっぱいになった。田代のいう『心が動く』です。鴇田さんには最初からそうだった。だから自分も含めてあなたを大事にします」
 そう告げると鴇田はうっすらと目を細めた。
「気持ちのいい関係になりたいと思います」
「テナガザルみたいな?」
「うん。まあ、おれは歌えない上に、何度目かで申し訳ないんだけど」
「いいです。僕はそういう過程を踏んできたあなたが好きです」
 鴇田は笑った。裏表のない素直な言葉が嬉しかった。嬉しい、と口に出来ることすら嬉しかった。


 軽く揺すられて目を開けた。薄いカーテンの引かれた部屋はまだ薄暗い。青っぽい部屋の中にカーテンの隙間からオレンジ色の強い光が差し込んでいた。徐々に明るくなっていくそこに男の頬が照らされ、眩しくて目を閉じる。
「三倉さん、」と呼ばれるも返事はあやふやで目を開けられない。眠りに抱きかかえられているような心地で、手足が蕩け切って意思を持って動かせない。
「……行きますね。おやすみなさい」
 うん、おやすみ、と呟く。現実で呟いたかどうかは大いに怪しい。


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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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