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 海鮮定食は美味しかった。少なくとも昨夜の食事よりもはるかに味がした。腹を膨らませたあとは運転を交代してもう少し南下した。カーナビは隣県を超えている。適当なところで車を停めて海岸でも歩こうかと話したが、昨日と同様に雨が降り出したので海の見える堤防に車を停めて荒れる海や雨音をミュージックにして眺める。
 どおん、どおん、と打ち寄せる波音が地の奥底から響いていた。時折白い鳥が慌てたように飛んでいく。
 平日のこんな雨の日だからか、周辺に停まる車は一台もなかった。このまま暖がアクセルをふかして海に突っ込んだら心中だなあ、とどうでもいいことを想像した。一緒に死ねば満足するだろうか。しないだろうな、とすぐに打ち消す。だって鴇田にはこんなにも触れきっていない。身体の期限を迎える前にしたいことをほとんどなにも消費出来ていないのに、身体の期限を自ら迎えるなんてばかばかしい。
 ポケットからカメラを取り出し、目の前の鈍色の海を撮った。鴇田が怪訝な顔をし、「なにかありました?」と訊く。暖は首を振った。
「ただの記録。ここまで私は西に来ましたよ、っていう」
「三倉さんって意外と出不精ですよね。九州も行ったことないんでしたっけ」
「ない。四国もない。北海道や沖縄なんてもってのほか。ああでも、関東や東京都内はよく動いてんですよ。三宅島行ったことあるし」
「都内だなあ」鴇田が苦笑する。
「学生の貧乏旅行で行ったんです。友達がそこの民宿でバイトやるから来いよって誘ってくれました。島までは船だったんだけど、船の底に男女雑魚寝で敷き詰められてさ。いまもああなのかな? よく間違いが起こらなかったもんだと思う。何年後かで噴火になってびっくりした」
「ああ、ありましたね。全島避難でしたっけ」
「そう。あれきりでずいぶん時間が経ちましたね。まあそういうわけで都内なら詳しいですよ、わりとね」
「南下はしたことあるってことですよね」
「うん。こんなに西に来たのははじめて。そうは言っても鴇田さんみたいに激しく南下してるわけじゃないですけど」
「オーストラリアのことですか?」
「もっと南下してる?」
「いえ、あそこが僕の最南端」
 どろどろと遠くで音がする。雷鳴に似ているが海鳴りの音だ。
「僕だってあんなに急に南下するとは思ってなかったんです」と鴇田は言った。
「でも絶対に恋を諦めないといけないと思ったから。要は逃げたんだ」
「……」
「恋はイコールで回避すべきものだったんです。僕にとっては。そうやって誰にも触れないで生きていくしかないと思っていたので。そうじゃないと僕は僕じゃなくなる気がして。他人を混ぜることは、とてつもなく怖い」
「……いま、鴇田さんは鴇田さんじゃない?」
「よく分からない。……地図見て南極大陸が自然とちらつくような土地まで行ったとき、僕は心の底からほっとしたけど、ここまで来たらもう会えないぞって思ったけど、……それでもどこかで猛烈に淋しかった。だから色々あっていまあんたがこういう距離にいて」
 鴇田はこちらを向いた。
「嬉しいのか、淋しいのかも、やっぱりはっきりしない。どっちにも振れる。逃げたいのか、逃げたら後悔するのか、分からないんだ」
 ばらばらっと音がして雨粒がとりわけ強く車を叩いた。海風に煽られて雨が一定しない。もしくはこれは波しぶきなのかもしれなくて、なにもかもが不明瞭だった。
「昨日はすいませんでした」
 鴇田は謝った。
「……鴇田さんわるくないでしょう。誰もわるくない」
「でも僕が気にして落ち込んだから、あんたを不愉快な思いにさせてしまったことは確か。謝らずに意地張ってさっさと帰って逃げちゃう手もあったんだけど、それはやっぱり嫌だと思ったし。僕は結局のところ、あんたから逃げ切るつもりはない。あんたをこれだけ好きになってしまったんだから、逃げるとか怖いとかぐだぐだ考える前に触れてみればよかったと思います。けれど頭の中でそう思っても、身体は自然と逃げる。そういう性なのが僕だから、面倒くさいですよね」
「……確かに面倒かもしれない」
「……」
「でもあなたひとりで結論付けるのは早い。悩むんだったらおれも混ぜて。そういう仲なんだよ……」
 また波が打ち付け、振動が伝わる。鴇田が身動いだ。
「運転代わりましょうか。そろそろ宿に戻らないと」
「ああ」
 もっと言葉にすべきで、だが見つからず、うまくコメント出来ないまま座席を入れ替えて車は発進する。海沿いを北上し続けながら暖は考える。好きなら触れたいと思うこと。それがうまく出来ない鴇田のこと。でもきっとそういう鴇田のことを好きになったので、暖ははじめからお手上げなのだ。なす術はなく、神様の采配する運頼みで進む恋。
 ……そんなのに身を投じるなんてばかげている。暖は暖で鴇田に触れたいし、触れて欲しいと言っていい。鴇田が困るなら一緒に困ればいいし、悩むなら、悩めばいい。
 今夜もう一度触れて欲しいと言おうと決意したころ、薄日が射しはじめた。雲の割れ目から光が薄い布地のひだのように地上に、海上に、落ちた。
 言葉を失い、ただ眺める。鴇田も車を路肩に寄せて、光を見た。ふたりで車を降りて海に落ちる光の柱を茫然と見る。咄嗟に暖は身体を震わせた。ポケットからカメラを取り出し、海を背にして鴇田を立たせる。
「どういう顔していいのか分かんない」と鴇田は言ったが、気にしなかったし、ぎこちなさはあったけれど本人も笑っている。カメラを夕景に設定して海を背後に鴇田を撮った。満足してカメラを仕舞おうとすると鴇田の手が伸びる。
「僕にも撮らせて」
「おれを撮ってくれんの?」
「こんなに西まで来たんだっていう記念に」
 一緒に撮ろうと言わない辺りが鴇田らしいなと思った。カメラの設定だけ指定して、同じアングルで撮ってもらう。その場でピクチャを再生してみたが、初心者なりにうまく撮れていた。嬉しいと思った。
「さっきまであんな天気だったのにね」と夕景を眺めて呟く。
「――前にあんた書いてましたよね。雨でも晴れでも同じ空、みたいなこと。暴風は怖いけど薫風には癒されるって」
「ああ、メイストームのコラムのときかな」
「なんか、本当にそうなんだよなって思う。本当、さっきまではもうだめだって思うような気分だったのに、たったこれだけでここまで来て良かったなって」
「……分かる」
「早く宿戻りましょう。戻りたい」
 鴇田は笑った。この旅の中で一番さっぱりと嬉しそうな顔をしている。
「温泉浸かって、美味いめし食って、あんたに触りたい。触ってみたい」
「……」
「単純だよな」
 自身に呆れる響きで、でも嫌じゃないと思っているのが伝わった。暖はポケットから手を出し、ぎゅっと鴇田の手を握る。
「――いって、」
「おれが運転するよ。鴇田さんの運転じゃ日が暮れる。まじで」
「法定速度で走ってるんだけど」
「ものごとって崩していけばすごくシンプルなんですよ」
 そう言うと鴇田は目を細めた。目を細めてまた光を見る。
「色々と絡んでわけが分からなくなってしまうけど、ほどいてみればなんだっていう単純さ。だからあなたの誘い文句は嬉しかった。おれも触ってよって言おうと思ってたんです。早く戻ろう」
「あ、待って。日が雲に隠れそうってか、雲の流れが」
「ああ、――すごいな」
 言葉なく夕日を眺め、海を眺め、また曇天に戻ったのを見送って車に乗り込んだ。


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粟津原栗子
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成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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