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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 湯に浸かりながら雨に打たれて少しはまともになった身体で部屋に戻る。鴇田はスマートフォンを手にしていた。暖の顔を見ると安堵して、「どこに行ったのかと思って心配した」と言った。部屋を出てから二時間以上が経過していた。
「外湯行ってたんです」
「フロントから電話があって、夕食の用意が出来てるって」
「そんな時間か。こっちは西の方だからかな、いつまでも明るい感じがしますね」
 連れ立って歩き、大広間で食事を取った。豪勢な海の幸を堪能するとまではいかなくて、言葉すくなに食べて部屋に戻る。鴇田は風呂に向かった。暖はベッドの上に寝転ぶ。
 まだ旅程は一泊二日を残している。明日どうしようかな、と気が重い。今日のままの気持ちで過ごすならいっそ繰り上げて帰ろうか。
 やがて鴇田が戻ってきた。暖は顔も上げずに寝転んでいる。室内の照明を落とし、フットライトだけにして、鴇田も隣のベッドへ入った。
「あんたと別れたいとは、どうしても思えないんです」と、隣から声がした。背を向けていたがそちらへ寝返る。下からのわずかな明かりの中、陰影を濃くして鴇田がこちらを見つめていた。
「誰を傷つけていても、いたとしても、あんたと一緒にいたい」
「――だったら、触ってよ」
 そう言うと鴇田は苦しそうに顔を歪めた。
「……おれに触ってくれよ……」
「……すみません」
 それだけ言って鴇田は目を閉じた。暖はフットライトを消した。暗闇で雨音と空調、衣擦れが耳に障る。


 大広間での朝食の合間に、鴇田が「予定変更します」と宣言した。していいですか、というお伺いではなかった。おれだって帰ろうって言うもんな、と暖はぼんやりと聞く。だが鴇田の提案は帰宅ではなかった。
「レンタカーで寺社めぐりの予定だったじゃないですか。そういうのどうしても見なくていいなら、海に行きたいなと思って」
「海?」
「海岸線ドライブ。寝てていいですよ。僕が運転します」


 宿からいったん北へ向かい、とにかく海岸線へ出た。国道だ。そこを西に向かうなり東に向かうなり。鴇田の中でプランがあるようで、彼は「やっぱり日本海って荒れやすいんですかね」と言った。
「僕らが普段目にする海って太平洋が基本じゃないですか」
「関東在住ですからね」
「そう。だからあんまりこっち側の海を知らないなって思って。まあどっち側の海も僕はよく知らないんですけど」
「そんな名前してるのに? ……そういえばあなたの名前の由来を訊いたことがなかったですね。遠い海ってどこの海?」
 訊ねると、鴇田は「Kだそうです」とそこそこ名の知れた景勝地を挙げた。白砂青松で有名な日本海側の海岸だったはずだ。
「えーと、F県にあるんでしたっけ」
「さすが。よくご存知ですね。と言っても僕はあまり記憶にないです」
「まさかこれから行こうってわけじゃないですよね?」Fなら方向が違うし遠い。
「行きませんよ。……身内の話でちょっと恥ずかしいんですが、僕の両親はいわゆる駆け落ちというやつで」
「おお」意外な事実だった。
「音大でピアノ弾いてた母を大学の購買部で働いてた父が見染めて猛烈アタックをして、だそうです。母がもうすこしで大学卒業ってころに妊娠が分かって。それが要するに僕なんですけど、とにかく猛反対されたので大学をなんとか卒業して即駆け落ち敢行」
「それは歴史に重みがあるなあ」
 思わず感嘆を漏らすと、鴇田もふ、と笑った。
「母は大学ではそれなりにピアノの才能を認められていて、加えて美人だったので、まあちやほやされて生きてたわけです。音大に通えるぐらいに家は裕福でしたしね。なんにも知らないようなお嬢様がいきなり妊娠してしまって、父と祖父がこじれたんです。母には婚約者めいた人もいたらしいので祖父はカンカン。それで駆け落ち。はじめは知人頼って関西にいたらしいんですけど、土地に馴染めなくて。僕が生まれる寸前にFに移ったんです。そこでKの海を見て感動したとか。青くて透き通っていて、緩やかに波が寄せて返すような遠浅の海岸だったそうです。それで遠海、と」
「わー、すごい納得しました」
「あとになって祖父母と和解したのでまたそっちへ戻るんですけど、貧乏暮らしは相変わらずのままでしたね。そのうち弟も生まれたし。だから伊丹さんのところでピアノを弾けたのって、僕にとってはものすごい幸運。母親は音大にすら進学させてあげられなくてって言うんですけど」
「弟さんも楽器やるんですか?」
「これが全く。父に似たみたいです。こっちの名前は『律』ってもらってるんですけどね。旋律のリツ」
「いい名前だなあ。おれは秋生まれなんだけど、あったかくて小春日和、って日に生まれたからハルなわけなんですよね。秋なの春なのどっちなんだよって思いません?」
「あなたの名前は難読ですね。でも覚えたら好きになりました」
「呼んでいいよ」
「はる、って?」
「うん」
 その後は会話が続かず、途切れたまま車を走らせる。車内では鴇田が持っているミュージックプレイヤーをBluetoothで繋いで音楽を流していた。少し前のポップスで、南方の民族調のこぶしを効かせて女性が伸びやかにリズムを取り、歌う。
「懐かしいな」と漏らすと、鴇田が「この景色が?」と訊ね返した。海岸線をずっと走っていて、右手側は絶えず海のままだ。
「いや、ここ来るのははじめて。じゃなくて歌。おれが中学生ぐらいじゃないですか? この人の歌が流行ったのって。鴇田さんまだ小学生ぐらいでしょ。なんで音源持ってるんですか?」
「ああ、母が好きだったからです。ファーストアルバムが売れたときに、貧乏だったけど父に買ってもらったみたいです。こういう南方特有のこぶしの効いた歌い方とか、アフリカの民謡とか、ブルガリアの癖のある発声とか、そういうちょっとマイナーな音を好んでたんですよね、母は。だからクラシック弾けるくせにジャズも好きだったのかも」
「なるほど」
 女性ボーカルがゆったりとした音調で歌う。切実な恋を訴える曲だった。暖の心を見透かしたような曲に、鴇田は言った。
「この歌を作詞作曲した方、亡くなられたんですよね」
「……そうなんだ」
「歌だけじゃないですけど、音楽はいつまでも残りますね。身体の期限を飛び越えてずっと続く。僕が普段弾いてる曲だって、もう死んでしまった人の曲ばっかりだし」
「でもそれはあなたが生きているから鳴る音でしょう。やっぱり身体がないと出来ないことだと思いますよ。身体の期限があるうちにやらないといけないことって言うか。歌ったり、喋ったり、弾いたり、走ったり、眠ったり、……」
 触ったり、と言おうとして、言えずにつまづいて、会話を放り投げた。
「そうかもしれません」
 伝わったか伝わらなかったか、男は答えた。曇天の下を進む車は、昼ごろになって岬のドライブインに停まった。



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寒椿さま(拍手コメント)
お返事が遅くなってしまい申し訳ありません。
いつもありがとうございます。

三倉はおそらくものすごく激しい性質を意図してコントロールしている人間だろうなと思いながら書いていました。はじめは能天気なだけの人だったのですが、三倉の本質をそうとしたら(嫌な奴にもなりましたが)意外と面白い人間性が出た気がしています。普段はある意味自分を「殺す」人です。
対して鴇田は仰ると通りだろうなと思います。ただしまともな方向へ導けばとても強かにもなり得る人だと思っていますので、三倉がそういう存在だといいなと思います。

この世間の状況で気軽に旅行は出来なくなってしまいましたね。私はわりとあちこちしたい方ですので、いまの状況はもぞもぞします。おおっぴらに海外旅行などしたいこの頃です。

本日も更新しております。どうかお付き合いください。
拍手・コメントありがとうございました。
粟津原栗子 2020/10/23(Fri)18:09:48 編集
プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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